昭和...たぶん戦前か戦後まもなくのものと思われます。
戦後は昭和30年代までは現在の中央海水浴場のみでした。
浜海水浴場・岩和田海水浴場は時代の要請で作られました。
しかしそれもレジャーの多様化と少子化の影響で平成と年号が
変わったあたりから全国的に衰退の途をたどっております。
二三枚目は昭和46(1971)年の撮影
犇めくと言う言葉が決して過言ではない時代です。
1982年、資生堂のサテライトスタジオが特設されたこともありました。
1990年、海水浴に若干陰りが出始めた頃です。
一番下のカラー写真は2011年の撮影。
昭和43年(1968)撮影
ホテル ニューハワイ 建設中です。2019年現在 閉館しております。
ほぼ中央に見えるのが旅館「あじろ苑」現在は跡地にレッドバロン
この手前の砂の土手高さは現在と比較するとさほどの高さはありません。
昭和43年(1968)撮影
当時は旅館「あじろ苑」が建ってました。
その後、跡地に屋上にプールがある春デーンマールレッドバロン
現在は所有者が変わってRB...となってます。
この手前の砂の土手高さは現在と比較するとさほどの高さはありません。
昭和43年(1968)撮影
PONYの広告塔の後ろにあるツインの建物
その前にブロック塀が確認できると思います。
ブロック塀の上には蛸壷が装飾されてます。
砂の土手のレベルが上がりその塀を埋めております。
昭和50年夏・平日に撮影した画です。
中央海水浴場・海に向かって右端の監視台の上(5m以上)から浜方向です。
ホテルはまだ一棟だけです。浜海水浴場に五軒の売店があります。
御宿漁港から人の波が途切れておりません。
戦前の絵葉書と思われます。
現在はまず視ることのないバンガローが写っております。
※昭和50年頃までは絵葉書の物とは異なりますが少数ありました。
見張臺(監視台)の文字からも時代がうかがわれます。
疎らな海水浴客からは戦後の爆発的な混み方は想像できなかったかと。
水際から数十メートル先に浅瀬が見えます。
タイドプール(潮だまり)なのか、蛇行した清水川の一部なのか?
大きさからみると人工の物とは思えないのですが...。
※漁港が造られてから潮の流れが変わり地形が変わったことも考えられます。
昭和の中頃まで、中央海岸では地曳網漁が行われておりました。
漁獲高の減少、漁民の減少などなどの理由で衰退。
その後は観光地曳網が細々と行われておりました。
※技術の継承も途絶えて現在は行うことは難しいでしょう。