日西墨三國交通発祥記念之碑

昭和三年に建設されました。
二枚目の絵葉書の塔が黒ずんで見えるのは...。
戦時中に爆撃目標にされることを虞て黒く塗り潰したそうです。
たぶんその痕跡ではないかと。
三枚目は昭和43年の撮影。まだ公園として整備される前の画。
車では上がれませんでした。
そしてカラーは現在の状態。

最初の一枚を除くとすべて同方向からの撮影です。


 ↓絵葉書
 
 
 記念塔のある高台からの風景です。
絵葉書が撮影された時代(消印は昭和18年・他のモノクロは昭和43年撮影)は
車両で登る事はできませんでした。
現在の登山口と反対側にあるやっと一人が通れるような 杣道(たぶん塔の工事用に造られた。)から登りました。

月の沙漠記念館前を走る舗装路は昭和50年以降に出来たものでこの絵葉書には写ってません。

昭和43年にも良く視ると茅葺の家があります。

最近の海側から視た記念塔です。
 

 以下、町のサイトより転載
西墨三国交通発祥記念之碑とは、
1609年(慶長14年)9月30日(旧暦9月4日)の朝、
岩和田海岸(現田尻浜)で当時フィリピン諸島長官ドン・ロドリゴ総督を乗せた
イスパニア(スペイン)船・サンフランシスコ号が沈没し、
これを岩和田の人達は力を合わせて救助しました。
当時の岩和田の人口は300人程で、助かった人は300人以上、
部落の生活は貧乏でしたが、心のやさしい人々は自分のことよりも他人の難儀を救うために、大切な着物や、食べ物を分け与えました。

このことがあってから、日本とメキシコとスペインと三国の交通が始まったのです。
このことを記念して、御宿町の東、岩和田の山の上に白く輝く記念塔が1928年(昭和3年)に建ちました。

(参考)

サンフランシスコ号の乗員総数373人

生存者317人・死体収容数・行方不明56人