簡閲点呼
 御宿で佐倉連隊の簡閲点呼が行われた。
 (日時は不明ではあるが大正三年から七年【1913〜1918】までの間に少なくても一回は行われた)
 司令官は近衛歩兵第四連隊黒田善治(くろだよしはる)大佐であった。

 行事の後に黒田大佐が新装となった小学校を見学。 
 黒田はこの時に兵事係より五厘講の経緯を聴いた。
黒田少将がこの時に伊藤と会見し、いたく感銘し
数日後に風呂敷に包んだ扁額を届けたと言う話は事実とは異なる。
伊藤と黒田の初会見は昭和六年(1931)のことである。
また、この時点では大佐であった。
 簡閲点呼  (かんえつてんこ)

 陸軍および海軍の簡閲点呼とは、兵役を終え、予備役や後備役となった人々などを集めて行った点呼のことです。
 徴兵制度があった当時は、一度兵役に服した人は、予備役や後備役に服し、戦争が起こった時、いつでも兵として召集される可能性がありました。
  このような人々を、在郷軍人とよんだ。

…したがって,将来の総力戦に備えて,国家(軍部)は常日頃から軍人精神の涵養(かんよう)に努め,軍事能力の鍛練を図った。
教育召集(定期的に数日間軍隊に召集し訓練する)や簡閲点呼(将校を各地に派遣して,
実情の視察や訓示などをする)はその一環である。
と同時に,このことは第2の要因である,国家意思の国民への浸透に一役を担った。…

 兵事係(へいじがかり)

 役場職員・軍と連絡をとり、在郷軍人を管理していた。赤紙(召集令状)を配ることや戦死報告を家族に伝えることも仕事であった。