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レッドバロンは何回かみたので作ってみたい気が....。 スーパーカーはストーリーは記憶が無いのだが形は憶えてます。 |
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ご無沙汰致しました、この数日旅をして(ネット上の)新しく見つけたサイトの管理人さんに、食玩のネット販売をしているサイトを紹介され、早速、登録して購入してしまいました。 雑誌「フィギュア王」の最新号を見ましたら、コナミから「超人ヒーロー伝説」と言う食玩(?)が5月26日に発売される、とありました。 |
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ぽせいどんさん、今日は8000番Hit!ありがとうございました(^o^) Yahoo!メッセンジャーの方、たまに11時過ぎに繋ぐことが ぽせいどんさんは深夜だけじゃなく、朝もネットに繋いでいるんですか? |
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いや〜〜、ほんと懐かしい。 今くるっとHPをめぐって来ました。 ほんと懐かしいキャラと海のキャラに癒された。 ロボットものが特に・・・・・ ロボットミュージアムにいつかはアラレちゃん が入るのかな?(笑) http://www.ismusic.ne.jp/mori/ |
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はい、境港です。 こちらですと、水木しげるさんのキャラクターグッズなども販売されているかとも思います。 水木しげるロードについて調べましたら、ぽせいどんさんのおっしゃっていたキャラクターの像も有るようです。 でも見たことが有りませんのでどのような姿、大きさなのか全くわかりません。 中途半端な情報で申し訳ありませんでした。 鳥取県出身の漫画家でもう1人、「名探偵コナン」の青山剛昌さんが大栄町の出身と聞きます。 こちらも私の住んでいる所から数十分の所です。 でも、「名探偵コナン」のテレビも漫画も、あまり見たことが有りません。 また、映画監督の岡本喜八さんは、米子市の出身です。 以前、NHKの「ひるどき日本列島」と言う番組でこちらに来られ、幼なじみと再会された番組が有りました。 私はその時、中継場所から歩いて数分の所におりましたので行って見たかったのですが・・・・ DVDの「遊撃戦」(岡本喜八さんも監督としてではないかも知れませんがタッチされています)は購入して見ました。 小坂一也さん、二木てるみさん、E・H・エリックさん、池辺良さん、中丸忠雄さん、三橋達也さん、西村晃さん・・他、懐かしい人たちが沢山出演していらっしゃいました。 映画と言えば、私はよく古本を購入するのですが、その中に時々変わった本が紛れ込んでいる事が有ります。 山手樹一郎さんの時代小説でしたが、最後まで読んで最終ページの何も印刷されていない頁に、『夜、雷雨の音を聞きながら寝ころんで読む シナリオ化のため』と、毛筆で記してありました。 昭和30年代の本でしたから、その頃テレビか映画に携わっていた人が読んだのかナー?と、思いました。 他には、その小説が映画化されたときの出演者と役名を記されている本(映画を見た人が感動し、原作となった本も購入して読まれたのでしょうネ)、栞として(?)健康保険証や暑中見舞いなど挟み込まれた本もあります。 新刊とは違った、何かほのぼのとした暖かみを古本には感じます。 |
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「のんのんばあ」という作品は、水木氏自身の体験記だったそうですね。当然舞台は境港、NHKでドラマにもなりましたね。 平面ものなら「水木しげる妖怪画集」というのがあったと思います。数社から出ていた記憶があります。 |
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・・と言う、鬼太郎など妖怪の像が並んでいる所が、私の住んでるすぐ近くに有ります。 車で数十分の所なんですが私は一度も行ってみたことがありません。 鬼太郎列車(列車に鬼太郎たちの絵が描いてある)も走っています。 水木しげるさんは、鳥取県の出身なんですネ。 |
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たしか食玩で、水木しげる氏の妖怪シリーズがあって、砂掛けや子泣きもあったと思いますが。 |
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ぽせいどんさん。またボトメ拾ってやってきました。 そういえば、ぽせいどんさんPInk rose さんのところに |
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<妖怪はどんどん増えていくのですか? 砂かけ婆と子泣き爺は是非とも作りたいと思っています。 但し資料が手に入ればですが...古書店を覗いたがありませんでした。 チロリン村とクルミの木のも同様です。 3Dの場合は一枚だけの画から作るのは難しいのです。 マッハ号の時のようにそれなりの量があれば.........。 |
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色々と探してみたのですが「ゼロテスター」に関して詳しく記されている雑誌は見つかりませんでした。 平行して、検索もしてみましたら以下のサイトを見つけました。 http://www5b.biglobe.ne.jp/~watanabe/P057.html |
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ぽせいどん様 水木しげるワールド拝見しました。メフィストの表情いいですね。妖怪はどんどん増えていくのですか? ももの節句のひな人形も拝見しました。やはり、「ひょっこりひょうたん島」の人気は、ぽせいどん様のHPの中でも絶大な人気があるようですね。ただ、個人的には私は「チロリン村とクルミの木」の世代なので、もし我儘がまた聴いていただけるなら、「チロリン村とクルミの木」の3Dもお願いできないでしょうか。 |
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>ロボタン 胸の勲章見てくれ、頭のプロペラ見てくれ〜のうたには確かに「高く飛んだぞ5メートル」の歌詞がありました。 >NHK そのものずばり「小学3年生理科」だったでしょう。さんちゃん見てるよきのうも今日も、さんちゃん見てるよ大きな目玉、・・・・観察ノートを続けよう、でした。 >四つの目、肉眼、科学、時間、ミクロ、だったような気がします。「ケペル先生」が終わった後、曜日は違いますが、理科的好奇心を満たしてくれました。 このころ、まだ十代だった小林幸子が「チャンスだピンチだ」というクイズの司会をやってましたっけね。 |
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お邪魔します。 あなたは天才と思います。 神様はずるいです。 あたしも絵うまくなりたい!!!! |
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今年もひな人形載せました。 いろいろ考えたのですがひょうたん島です。 以前掲載したことがありますがモーニング娘も歌っていることだしよしとしましょう。 |
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懐古人さんのそのHN通りの懐古振りにはいつも圧倒させられます。 私などは、記憶の片隅に残っている断片的な思い出を、時々に発行される書物、音源、映像(玩具・・も)など見聞きしながら、当時の事を思い起こすのが精一杯です。 その記憶も年々薄れてきますし、40年も前のこととなると殆ど実際に体験したことだったのか、それとも夢だったのか判別出来ないようなものも有ります。 しかし、記憶に残っている以上それは実際経験した事でなかったにしても、それに準じた何らかの実体験が有り、それをもとに私の夢、空想となったものと思います。 事実でなかったとしても、今ではそれらの記憶も私にとっては事実と言えるかも知れません。 でもやっぱり本当のところはどうであったのか知りたいですからネ、時々に思い出したことなどこれからも投稿を続けて行きますのでよろしくお願い致します。 懐古人さんの続報、楽しみにしております。 |
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続き・・ 一方、こうした「おかあさんといっしょ」に、「うたのえほん」が、昭和36年4月から始まるのです。「うたのえほん」は何となく見覚えのあるものだが、実は以下の構成になっていた。 放送形式: 因みに、昭和39年(1964)では、 憶測ですが、1967年(S42年)までは、コーナーこそ変わるも、大体、以上のような構成が続いたように思います。 コメント: 我々がよく観た昼の再放送時間帯では、昭和39年では「おかあさんといっしょ」の終了から直ぐに「うたのえほん」となって、恰も、「おかあさんといっしょ」に歌のコーナーと体操のコーナーが組み込まれているように思います。 そんな勘違いをしたのは私だけか・・? NHKの方も分からなかったそうです。でも、しっかり憶えている方は笑ってるかもしれませんが。 |
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これから、仕事で長い間投稿はできませんが、地道にしてきた事を報告しましょう。 1959年〜1967年頃、大半の人は「おかあさんといっしょ」は、歌、人形劇やお話、体操からなる構成と思っているが、少し違うようです。調査では、以下の事が判明しました。(出演者の敬称を略します) 昭和34年10月5日〜36年4月の間: この頃は、NHKに全く資料がなく、歌や体操のようなものはあったようだが、関係者の証言がないため、その存在はハッキリしてないらしい。「ブーフーウー」の詳しい情報は別サイトなどで分かるので割愛するが、そのほかのコーナーの内容は問い合わせても不明。
私個人の頼りない記憶をあえて言うなら: |
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昨日の夜、友達から電話があり明日は事情があって早く家に帰れないので付き合ってほしいと言われ、今日また一緒にカラオケに行きました。 今回は2時間にして二人で思う存分唄いまくりました。 私が一番最初に唄ったのはもちろん「快傑ハリマオ」です。 そしてもしやと思い検索すると「豹の眼」もあったので唄いました。 他には、「青い山脈」「霧の中の少女」「東京のバスガール」「熱砂の誓い」「出征兵士を送る歌」「青春のパラダイス」「情熱のルムバ」「古城」「踊り子」「我が愛を星に祈りて」「ロボット刑事」「変身忍者 嵐」「アイアンキング」・・・20曲以上唄ったでしょうか・・友達も私に影響されたのか途中から「同期の桜」など軍歌も歌っていました。 歌のよっては消費カロリーが表示されるものもあり、友達は8.5以上10.5と言う物も有りましたが、私は何故か3.1〜4.5くらいまで、最高で6.3でした。 友達に言わせれば、私の声は全く聞こえないので当然の結果だと言い、3.1なんて初めて見たと大笑いされ、私は出来るだけ勇ましく大声で歌える曲を選択したつもりだったのですがだめでした。 私としてはこのまま引き下がれず、次回リターンマッチを申し込んだ次第です。 |
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FUJIのZC1000は最高速72/秒でした。 これで撮影したものを通常の18/秒で映写すると 本当にきれいなスローもションが出来ました。 撮影は1分持ちませんでしたが激しいスポーツなんぞには 最適でした。 Super8は54/秒が最高でした。 ビデオでは真似できませんでしたね。 そういえば相撲放送などではしばしば分解写真てのがありました。 カクカク動いてました。これはこれで味がありましたが。 |
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懐古人様 懐古人さんの投稿されたNHK教育テレビの番組は私にも何となく覚えが有ります。 学校の授業で見る番組は殆ど理科と社会科の授業の時だったように思います。 理科の時は実験、観察に関する内容(確か男の子の人形と女の子の人形が実験して実験の内容をフィルムで流してでもどうしてそうなるんだろうと更にその実験結果について色々と考え理解していくと言う番組でした、実験の場面では男性のナレーションだったような気がします)、社会科の時は自分たちの町について色々調べたりする番組だったような気がします。 覚えている番組は人形劇で「大きくなる子」、題名は忘れましたがうさぎの子供が主人公の人形劇、「カメラマンの倉さん?」、他に影絵の劇(切り絵?)とか夏休みにはよく見ていました。 「四つの目」も何となく記憶に有ります。 高速度撮影を私が知ったのはやはり兄に教えてもらってでした。 当時、テレビ番組でスローモーションのシーンが有ると私は「アッ!フイルムをゆっくり回して写したんだ」と言いますと「それはフィルムを早く回して撮影して映すときに普通の速度で回しているんだ」と言って更に「フィルムをゆっくり回して撮影して普通の速度で映しても写っている齣は少ないからかえって早く動いてしまうが、早く回して撮影すると普通の速度で映したときコマ数が多いからゆっくり動いて見えるんだ」と詳しく教えてくれました。 どうも私は子供の頃から勘違いばかりしていたようです。 |
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aatw様 「0テスター」は、私も資料を探しておりますので、わからないときはお願いする事も有るかも知れません、その時はよろしくお願い致します。 VTRについては、私がこれまでに投稿した事は要領を得ないものでしたが、それでも全く間違ってはいなかったと言う事がわかって安心致しました。 |
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ロボタン懐かしいですね。尤も白黒時代のものですが。 aatw様の情報ではVTRは50年代に開発ですから、やはり、60年代ではまだ高価でテレビ界では普及されてない印象ですね。 1.学校のテレビの話題 ヲユキ様の以前投稿した中で、学校のテレビですが、私の方では、テレビは黒い木製のボックスに収納され、高い台の上に設置されてました。扉を開けて観る形式のものでした。白黒映像でしたが。NHK教育テレビの番組が中心でしたね。 特に印象に残るのは、タイトルは忘れましたが、「さんちゃん」という人形が主人公の小学3年生の理科?の教育番組で、「さんちゃん、1、2の3年生・・」の歌が特徴。たしか、理科の実験を通し、人形のさんちゃんや他の人形キャラが、先生(人間)と対話して、授業を進行していく形式だったと思いますが記憶が薄れています。 学校のテレビには、理科の実験や自然観察の番組がよく写され、その時だけは授業が楽しかった気しますね。ところで、NHKに「四つの目」(検索ではS41〜47放送)がありましたね。(TV50年には解説がなかった)記憶では、故草下英明氏が優しく解説し、人間から見る目、X線で透視して見る目、時間を早くしたり遅くして見る目、大きく拡大して見る目のの4つの視点で観察し解説する面白い番組でしたね。私はS41〜43の間に時々観ていました。この頃が特に面白い時期だった気がします。「高速度撮影」という言葉を覚えたのも、この番組でしたね。 2.TV50年に話題となった番組についての私的追記 ●記憶が定かでありませんが、「お笑い三人組」が夜8時でその次ぎに夜9時から「事件記者」があったように思ます。個人的な話ですが、「お笑い三人組」には、病気のコレラの噂で大騒動する内容が記憶に残り、その後の事件記者のシリアスなオープニングテーマを聴いて一層病気に怯えたようなことがありました。この頃は、やれ日本脳炎・小児マヒだの、やれ赤痢・疫痢だのと学校で言われ、様々な予防接種を受けたり、生ワクチンを飲まされたりしました。「お笑い三人組」は 映画にもなり、その映画版が数回テレビで放送されたのを憶えていますね。 ●「週間こどもニューススペシャル」のコーナーについては録画してないため、60年代の「子供ニュース」の紹介があったかは分かりません。子供ニュースのオープニングかエンディングは、家々の屋根や町並みから火の見櫓がポツンと立っている風景の絵だったように思います。内容は、普通のニュース形式のような感じでしたが、もう一度あの感触を観たい気がします。 ●「お笑いオンステージ」(S47-S57)ですが、記憶が定かではないが、初期の頃は、色々なコーナーの中の1つとして「てんぷくトリオ」(故南伸介氏、伊東四朗氏、故戸塚睦夫氏)だけの喜劇のコーナーがあったように思います。が、S48年頃の戸塚氏逝去でトリオを解散後、中村メイ子さん、故東八郎氏等が加わって、南伸介氏を中心とするお笑い劇場なるものとして構成し直したと思いますが、正確には判断できません。「減点ファミリー」もその頃に始まったような気がします。間違いであれば御容赦下さい。初期の頃のてんぷくトリオ時代の演技で記憶してるシーンには、食事をするのに、食べ物に行ったり来たりし、フォーク片手で食べ物を睨み付け鬼のような形相と大仰な格好で食べる南伸介氏と伊藤四朗氏、寝ころんでしまう戸塚睦夫氏の、エネルギッシュな演技に大笑いしました。その頃は必死のドタバタ演技でしたが、戸塚氏逝去後は回を追うにつれ何となく緩やかな演技となった印象を持ちます。南伸介氏も表情が徐々に疲れ気味になっていくのが気になりました。また、「笑点」の大喜利での司会は最高でした。林家菊三氏が「なにやら怪しい雰囲気、そこだ!」と造花のようなものを南伸介氏に投げつけた時、いきなり怒り顔で菊三氏に殴り込んだかと思うと司会席に戻りニコと笑う演技が一番記憶に残ります。早くに亡くなられたことは本当に残念ですね。 最後に余談ですが、NHKといえば子供の頃に印象に残る女性アナウンサーとして「村田幸子」さんがいます。今は時々評論家、解説者としてNHKに顔を出すことがあります。40年以上前、子供のような可愛らしい顔とそれに似合わない落ち着いた魅惑的な低音ぎみの声が特徴でした。昭和36、7年頃あたり、夕方の番組を紹介するコーナーにも出て夕食時の1つの顔だったような気がして、とても気に入っていましたね。可能なら川口のアーカイブスに行って、是非その村田幸子さんのアナウンス振りと夕方のコーナー(落ち着いたピアノのテーマが耳に残ります)があるか検証してみたいですね。(他に、下重暁子アナも印象的でした) 長々と失礼しましたが、懐かしい番組は話に尽きないものです。 |
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http://www.globetown.net/~tv_daisuki/____robo-01.jpg ゼロテスターの資料もありますので必要ならアップロードしますが.... 家庭用VTRの件ですが 現場では1インチVTRが主流でしたねバキュウムフィードといってヘッドとテープの接触を |
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古いアニメーション雑誌を掘り起こしておりましたら、1986年9月号の「ジ・アニメ」のテレビアニメーション放映スケジュールの中に「ロボタン」が有りました。 0倉様 昨日、車のカウンターが100000となる瞬間を無事見ることが出来ました。 |
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懐古人様 皇太子御成婚のテレビ中継は以前の特集の時に見たことが有ります(テレビ30年の時?)。 「新日本紀行」のテーマは今でも良く覚えています、NHKアイカーブスで放送された中に子供の頃見たと思えるエピソードが放映されたことも有りました。 「愛の国から幸福ヘ」と言う歌も有りましたネ、私の友達も切符のキーホルダーを持っていました、高校生の時でした。 テレビのチャンネルは当時はガチャガチャと回し外枠のリングを回して微調整していました、私が中学生の頃、それまで12チャンネルしかなかったのが、友達の家に行きますと見慣れないボックスがテレビの上に有るので聞きますとUHFを見るものと言っていました。 此処でも鳥取県が出てきましたか、確かにリゾート開発と言うか色々な施設や団地など出来ましたが地元にいながらその神の山の神聖な土地と言うのが何処なのか良くわかりません、映像を見ていればわかったかも知れないのですが・・・ ロータリー車、ラッセル車は良く覚えています、と言いましても実際見たことは無いのですが小学生の時に兄が教材か何かの付録の紙工作のロータリー車とラッセル車を作ったものを見せてくれました。 「ひょっこりひょうたん島」の主題歌がモーニング娘の歌だったのは新作の放映時の時ではなかったのですネ、実は偶然にも今日(昨日ですネ)車に乗っている時にラジオでこの曲を聴きました、 懐古人様の御陰でどのような内容の番組だったのか詳しく知ることが出来ました。 |
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記憶にある方も大勢いると想います。 若き日の扇千景(現大臣)の 「私にも写せます」のCMで一気に普及しました。 フジはCマウントを採用したレンズ交換式のZC1000まで作りました。 このカメラはフィルムサイズを別にすれば16mmと変わりません。 |
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新日本紀行以降: ●「プリン・プリン物語」(S54-S57) ▼このあたりから、前回あらすじを伝えた新作が始まります。 テーマソングは、もちろん、前川陽子さんです。 以上、低レベルの話題を長々投稿し、すみませんでした。お約束なので。私としても時間が無く、ここまでにしておきます。 |
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前回お約束したように、NHK50年番組の続編をその1とその2に分け報告致します。 さて、「宇宙人ピピ」以降の懐かし番組ということでしたね。今回も独断と偏見でピックアップしますのでご勘弁下さい。 尚、今後の続編は不運な録画中断とテープ切れがあり、所々の抜けがあり、最後のグランドフィナーレ(懐かし映像ものではない)は未収録です。 ▼ 放送博物館内の映像と話題。 ▼ 元皇太子(現平成天皇)と正田美智子様の結婚式パレード映像。 このパレード中継に20代頃と思われる若々しい中村メイ子・神津善行夫妻が映される。 コメント:神津善行氏の意外に可愛らしい顔が観られた。個人的には「家族そろって歌合戦」の審査員の頃を思い出す。母の切手蒐集帳に昭和34年皇太子御成婚記念切手(10円)があった。持っている方もいるのでは。 ▼ 冨田勲氏作曲の「地球は誰のもの」の歌が、スペースシャトルからの地球の映像とともに流される。東京放送児童合唱団と千葉県少年少女オーケストラとの共演。 ▼ NHK南極放送開局式の映像と話題。20才頃の山口百恵さんが南極基地と連絡する過去の映像あり。 ▼ 「新日本紀行」(S38 - S56)の話題: 冨田勲指揮によるテーマ曲演奏。千葉県少年少女オーケストラ演奏。 昭和40年代の新日本紀行を、山田洋次氏と冨田勲氏との対談形式で、下記タイトルにて紹介。 @「幸福への旅」(S48) 北海道帯広の「幸福」の駅について。駅の周りは雪のつもる人影のない風景。コメント:国鉄時代の有名な「愛国から幸福ゆきの切符」は母が所持してた。所持してる方もいるだろう。 A「南部潜水夫」(S49) 岩手県における冬アワビを捕る男達の素潜り。 B 山形県のポンポコ楽団。冬の農村、出稼ぎで残された主婦らが木魚、木琴、アコーデオン等で合奏する。主婦らが演奏したのは誰でも憶えのある「子ぎつねコンコン・・」。 コメント:小学校の頃、木琴で奏でた童謡、ドレミファ・ソ・ソ・ラファドラソ・・でしたね。 C「新日本紀行」のテーマ曲の解説。日本人の心に響く音の作曲に苦労したと冨田氏談。 D「三重連の峠」(S45) 奥羽線における三重連SL(3台のSLが連結した車両、計 4,800馬力、60車両の貨車を牽引) E「ある廃線」(S45) 北海道、赤字線の根北線(12,3km単線)の廃止についての記録。 (駅が小さい、プラットフォームが2,3人程度しか立てないもの) F「鶴の来る駅」(S48)北海道の釧網線茅沼駅の駅長が鶴を餌付した話。現在でも鶴が来ている。 G「鶴になった男」(S62、NHK特集)鶴を飼育した苦労の記録。 H「葛飾」(43) 東京の葛飾区の祭り保存に努力する映像。 I「北山」(S42) 京都の北山という山村で電気開通を遂げた苦労の記録。 コメント:白黒の懐かしいテレビに見入る家族は印象的。(ふと思い出したが、昭和36年頃、テレビの中にはチャンネルが固くて大人でも回すのにひと苦労したものがあった) J「現代若衆宿」(S45) 三重県漁村の若者達が宿(若衆宿)に入り、結婚するまで共同生活する習慣を紹介。コメント:昔あったような村の団結感、ルール、濃い愛情を感じた。今は、それが窮屈な?自由な時代かな。 K「男はつらいよ」の映像と話題。渥美清氏談:寅さんのように縛られないで生きていけたらいいね。 L「神山異変」(S46) 鳥取県の大山(だいせん)の広大な土地をを買い取り住宅計画を進める土地会社の社員の様子。コメント:土地開発が神聖な土地までに入り込むのが問題テーマなのか?をはっきりせず淡々と現実を写した感じ。 M「筑豊」(S44) 筑豊炭鉱の労働の様子、町の暮らし、集団就職で去る学生、廃鉱をつづる記録。コメント:高度成長期の集団就職からは日本は雇用安定の良き時代。学校の石炭ストーブやSLも無くなり始める頃。教科書には、まだ、炭田(三池、石狩、筑豊)や塩田(坂出、松永、赤穂と記憶したが自信なし)の記載があった。 余談:以上はすべてカラー映像。私は昭和38年頃の白黒映像時代から観ているので、この頃の映像を観たかった。初期白黒映像では、トンネルや炭鉱で働く人々の様子、離れ小島の人々の生活、ロータリー車が豪雪に屈し除雪用羽根が回転停止するシーン(ん? 昭和30年代のニュース映像と混同か?)などの断片的記憶がある。(注)ロータリー車とは、SLのような黒色の除雪用車両で、前方の大きな回転羽根が回転し積雪を横方向に排出する今は無き超旧式なもの・・以後、積雪をかき分ける旧型ラッセル車へ移行かと。 |
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VTRの話題、興味深く拝見しました。 30年前から家庭用VTR装置があったのですね。しかし、40年前は、あっても、とても高価で、テレビ局の方でも、多くの番組のVTR画像は残ってない状態かと思います。 NHKアーカイブスで、その辺の事情も探ることが出来るかと。 さて、お約束のNHKのTV50年は、続けてると鬼が笑いそうなので、その1とその2だけ、連続投稿させて頂き、終わりとします。 新日本紀行と人形劇のみで終わります。話題は皆さんにはツマランものでしょうが、約束破りと言われてはと思いまして一応投稿します。 |
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私が小学生の頃は(1950年代)、NHK教育テレビなどの放送を見て授業の参考にするときはどこか違う教室(理科室?音楽室?)に行き、そこでテレビで放送されているオンエア中の番組をそのまま見たような記憶が有ります。 小学6年の時に(1960年代)校舎が新しくなり、それぞれの教室にテレビが置かれていたと思います。 でも、これで何か番組を見たと言う記憶は有りません、と、言いますのも私がその新築された校舎にいたのは僅か半年しかなく、すぐに卒業したからです。 それでもその僅かの期間にそれまでの小学校と全く違った近代的な体験もできました。 一番違ったのが木造だった校舎が鉄筋コンクリートのぴかぴかの建物になったこと、そしてそれまでは各自自由な服装で登校していたのがお揃いの制服を着て登校するようになったことです。 教室の机は現在と同じ(と、思う)スチール製の机と椅子、しかも各自別々(それまでは木製の二つ繋がった机で二人一組で使っていた)です。 いつものように話が逸れてしまいましたが、中学生の時はテレビを使った授業が有ったのかどうかハッキリとした記憶は有りません。 高校生の時、先に言いました放送部(放送委員?)の友達から初めてビデオについて話を聞きました。 良く思い返してみますと「ビデオのヘッドは45°斜め付いていて・・」と言っていた様な気がします。 授業に使うためテレビで放送された番組を学校に備え付けられたビデオで録画したと言っていましたが、私はそのような授業を受けた記憶は有りません、もっともその友達は私とは違うクラスの人でしたから、そのクラスではそう言う授業が有ったのかも知れません。 そう言えば、私もテレビに出演したことがあります。 当時私たちの地方の○○放送テレビが、県内の全高校の紹介を毎週一校ずつ紹介する番組が有りました。 それで私たちの科も何人か選ばれて演技(実際、いつも通りの事をするのですが、カメラを前にした行動は正に演技で、カメラマンからも色々と指示も有りました)をしました。 放送は日曜日でしたから、その日私も家族には言わずに一緒に見ていましたが、誰も私に気づいてくれませんでした。 NHK少年ドラマシリーズの「タイムトラベラー」は私も見ておりました。 主演の少女は後に「ウルトラマン80」の先生役で出演しておられた人ですよネ? 他に「夕映え作戦」なども好きで見ていましたが、一番印象に残っているのが「七瀬ふたたび」で、夏に毎日一挙に放映されて私はテープレコーダーで音声のみ全話録音して現在もそのテープが残っている筈ですが、この番組もNHKに残っていなくて、当時のスタッフの人が家庭用VTR(β)で録画して残されていた映像がビデオソフトとして発売され私も購入しました。 私がビデオデッキを購入したのはこの番組が放送されて少し経ってからでした。 |
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当時もビデオがあったのですね。 私がビデオを買ったのは20年前です。まだリモコンがケーブルで本体とつながっているという代物でした。当時録画したトムとジェリーや少年テレビ映画などは廉価版のテープに3倍速でありながら劣化もせずになかなかの画質でのこっています。 山口崇さんや澤田隆治さんがビデオカメラでブラウン管の映像を撮っていたのでしょうね。チューナー録画ではなくカメラでしょう。ブラウン管のフレームが何度か映っています。音声はイヤホンジャックから録音したのでしょうか,周囲の音なども入っていませんから。 「天下御免」は残念ながら見ていないのですが、「てなもんや三度笠」はビデオで発売されたくらいですから映像も音声も素晴らしいものです。ただ、画像は今のビデオとは少し違います。フィルムとビデオの中間のような感じですね。 このビデオ方式の名前が「てなもんや三度笠」発売の時に、目にしたか,耳にしたのだと思います。それが思い出せないので、何度か耳にしたことのあるキネコかなと思った次第です。 これで納得できました。あとはビデオ方式の名前が分かればまたお知らせします。 |
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30年くらい前に家庭用VTRはありました。 最近は8mmというと8mmビデオをさすらしいですね。 |
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天下御免の頃、昭和45年、私の中学にVTRが導入されました。当時の私は放送委員会の委員長で、これをいじる許可をもらいました。テープはオープンリールで録画時間は50分、1本1万円くらいだったと思います。カタログにはカメラ(白黒)も紹介されていました、50万円くらいだったと思います。実は、タイマーを設定して「天下御免」をチューナーを使って録画し、昼休みに放送したこともあります。あのテープをとっておけば・・・・。当時はまだ、VTRテープが高価で、NHKでさえも使い回しで、残らなかった、と聞きました。少年ドラマシリーズが残っていないのもそのせいです。私がBmaxを買ったのが昭和51年で、「タイムトラベラー」にも間に合いませんでした。 |
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彼のUMAは何度かTV出演したとか? 今までの情報を整理推測すると、海岸直近の黄色い屋根付近が怪しいと思われるが定かではない。 |
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昨日、投稿しようとしたのですが私のミスで出来なくて、その時に打った文章は消滅してしまいましたので打ち直します(ぽせいどん様、お手数をお掛けして申し訳ありませんでした)。 昨日は仕事が午前中で終わったものですから、いつもの県外のデパートまで行って見ました。 この日アパートの駐車場に車を止めた時、カウンターは099947となっていました。 |
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Benさん、お久しぶりです。 「てなもんや三度笠」については、私も当時のスタッフの何方かがご自分でテレビ放映された映像を残され、その方の所有されていた映像と聞いたことが有りますが、その方法までは記憶に有りません。 |
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「てなもんや三度笠」(昭和41年)のビデオを見てみますと、残念ながら録画方法には言及していないので、どのような方法で録画したものか分かりません。ただ、澤田氏が当時録画したものであると、最初にテロップが出てきます。また、ブラウン管の枠も映っており、画面下の前田製菓の文字広告も映っています。しかし、映像も音声も十分鑑賞に堪えうるもので、そういう設備を個人で所有していたものと思われます。しかも30分連続で録画できるものを。 ただ、キネコという言葉に引っかかっています。「てなもんや三度笠」のビデオが発売される時に広告か紹介記事で、録画方法が載っていたと思うのですが、それがキネコという言葉ではなかったと思うのです。モとかホとかいう言葉が入っていたような。 方法としては、画面を直接撮影していることに間違いは無いと思うのですが。 |
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個人レベルで扱えるしろものではない気がいたします。 ランニングコストは16mmの場合は8mmの比ではなく 天文学的な数字(私にとっては)となります。 |
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ご無沙汰してます。 http://www.kaigisho.ne.jp/literacy/midic/data/k7/k748.htm ビデオが無い時代は、キネコで保存していたと言うことをよく聞くので,これではないかなと思います。ブラウン管の枠が映る事も良くあることです。 |
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先ほどはいろいろとお話させて頂きましてありがとうございました。 それではまた宜しくお願いします。 |
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ヲユキさんの想像したとおりです。リールに巻いた16mmの片側を撮影して DS8という規格も後に出来ました。 |
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私が最初に見たのはVHS、βでしたが、不確かな記憶をもとにした投稿ばかりですみませんでした。 私が最初に購入したのはVHSでした。 |
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テープ幅は4インチのものまでがあったそうです。 私はVTRをみたことがありましたが 購入は出来ませんでした(いまでも貧乏人) 8mmは3分しか撮影できませんでした。 (ダブル8なんてのもありましたが途中でフィルムを反転させる必要があった) 基本的にはサイレントでした。フィルムの両脇に磁性帯を貼った サウンドフィルムというものもありましたがこれはもっと高価でした。 まず8mmの可能性は無いと想います。 |
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あれ、そうだったんですか。あの時代にも一応VTR有ったとは知りませでした。 (貧乏人だったもので) みなさんのお話からすると山口崇さんが言っていた「テープ代が1万5千円程」も 納得です。 そうするとBS2で見えたブラウン管の枠らしきものは何だったのか? 「天下御免」の基本映像がそういうものだったのかなあ? |
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Uマチックは3/4インチカセットでした。 |
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ぽせいどん様 それにしましても、放送局にも残っていない映像を有名無名にかかわらず、映像、音声、文章などで残しておられる人たちの御陰で、当時のままあるいはリメイクと言う形で再び目にすることが出来る作品も沢山ありますから、おせっかいオヤジ様のおっしゃる通りその人達には m(._.)m ですネ。 |
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VHS以前にテープ幅が1インチのカセットのものがありました。 テープも高価でしたがデッキそのものがまず買えなかった。 8mmはその当時¥1000/分くらいでしたね。もちろん音は無し。 これでTV画面を撮るとTVは1/30 8mmは1/18で同期ががとれず フリッカーがでます。 |
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私は、テレビを見ておりませんので映像がどのようなものであったのかわかりませんが、当時一般の庶民が購入出来るような金額ではなく、テープ自体も大変高価であったと思われますが、VTRは発売されていたと思います。 以上、番組を見ていなかったため、私の勝手な思いこみによる憶測の域を出ないものですが・・・ |
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昨日のNHKBS2、TV50年「天下御免」の山口崇氏私蔵版見ました。 す、すごい!としか言えない。何故かと言うとピンボケ的な映像の周囲にブラウン管の 枠が写っていたようです。(と、私は思う) 当時(1971年10月)は当然VTRは無かったでしょうから、8ミリ等で放送中の TV画面そのものをフィルムに残したのでしょうか? 「一本撮るのに1万5千円ぐらい掛かった」とも言っておられました。 そんな貴重な資料を提供してくださった山口崇氏にはただただ m(._.)m です。 |
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また、来ますね〜♪今日は、ありがとうございました! |
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いったん削除したBBSのログを再編集してます。 ついつい読みふけって作業がなかなか進まないのが 悩みの種です。 |
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ぽせいどんさんもTVゲームをされるんですね。 FFXはグラフィックは最高ですし、ゲーム自体の難易度もかなり低いと思われますので初心者でも(私も初心者ですから)楽しんで冒険を進める事が出来ると思います。 それ程苦労したイベントは無かったのですが二つだけ覚えています。 一つはエスカレーターのように動く道(?)のイベントです。 最初は何処で乗り換えればよいのかわからずに、闇雲にうろうろしていたのですが何度もしている内にどういう道筋で行けばよいのかわかってきました。 所が、今度は方向転換、乗り換えのタイミングが合わなくて違う方向に行ってしまい「オ〜イ!何処へ行くんだ〜、そっちじゃないヨ〜〜帰ってこ〜いよ〜〜!(本当にそう言いたい気持ちでした)」と言ってももう遅く、一度タイミングを外すと方向感覚を失い、何処にいるのかわからなくなってしまって・・このイベントをクリアするのにかなりの時間を要しました。 後、最後の最後の闘い・・これも本当に悩みました。 向こうは消耗してもすぐに回復しますし、こちらは、回復してもアイテムの数は限られていますしこの状態で戦ってもこちらが負けることは明白です。 色々な戦い方を試したのですがだめでした。 そこで過去の様々な闘いをふりかえった時に、この様な敵に効果的なダメージを与えることの出来るアイテムがあったことを思い出しました。 調べてみると数は少なかったのですが、なんとかなりそう・・と、早速戦闘再開・・アイテムを使うと思った通り、ターン毎にみるみる消耗して・・・ その後、攻略本も出ておりますので違う方法も紹介されているかも知れませんが、私はそのようにしてエンディングを迎えました。 きっと感動的なエンディング・・と期待したのですが、以外とあっさりとした幕切れで少々ガッカリしたものですが、これもX2への前章的な終わり方だとすれば納得出来なくも無いかナ?・・ それと、その後発売されたインターナショナル版(?)に付いているDVDビデオを見なければX2へと続く話の筋道がわからないのでしょうか? 私は購入していなくてまだ見ていませんが、もしそうであれば購入してみようと思います。 ご存知の方いらっしゃいませんか? |
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PCを購入してからはTVゲームにふれる機会がめっきり減りましたが バハムートはベヘモス(ベヒーモス)のアラビア版かなんかのはずで |
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今日はいつも行くスーパーでセーラームーン・ドールコレクションの食玩がありましたので、購入致しました。 まだ置かれて間もないらしく、私が最初の購入者のようです。 全6種、スーパーセーラームーン・ちびムーン+ダイアナ・セーラーマーキュリー・セーラーマーズ・セーラージュピター・セーラーヴィーナスです。 何が入っているか表示されていますので迷うことなく全種揃える事が出来ました。 この店に来るよい子達・・お兄さん(?)が最初に買い占めてしまってごめんネ、と思いながら購入致しました。 「デル・プラドカーコレクション B」も入荷の電話がありましたので購入致しました。 今回は特製バインダー付で「ポルシェ930ターボ」です。 この車は公道を走っているのをよく見かけました。 |
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昨日は、DVDクリーナーを購入致しました・・って・・実はその前日、PS2ソフト「オペレーターズサイド」を購入していたのですが、何故か全く読み込みが出来ない状態でゲームが出来ませんでした。 以前購入したパソコンのゲームソフトもグラフィックボードとの相性が悪いらしくて起動すら出来ないソフトがあり、ボードも探してみました。 |
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ヲユキさん 〇テスターの情報ありがとうございます。 少しずつですが、思い出してきました。あの0テスターのデザインは、かっこよくて、大好きでした。 また、わかったことがありましたら、教えてください。 |
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ヲユキさんの言うとおりに「キ印」がまずいんでしょうね。 TV版月光仮面はホンダドリームです。 |
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今日は仕事が午前中で終わったものですから、家に帰らずいつもの県外のデパートに言ってみました。 後、コナミSFムービーセレクションのメカもプレミア価格で出ていました。 懐古人様 前回の投稿でWが打てなかったようで、とんでもない言葉使いとなっていました。 |
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ひょうたん島の声優は当時と殆ど変わってないようですね。博士は勿論中山千夏さんの大好きな声です。冒頭で墜落したにも拘わらず「はーい、ライオン君、だだいま」の明るい且つ可愛い声には笑ってしまいました。冷静で柔らかな博士は中山千夏さん意外考えられないですね。仕事の関係上暫く書き込みはありませんが、詳細は、来週か再来週あたりにTV50年の続編報告にてお知らせします。ぽせいどん様の指摘した「キ印キッド」と「キャプテンキッド」の違いは何だろうか? |
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御注文受書に、誤記があります。 「政治家の頭の良くする薬」の薬冷まし剤「ヨクナール」 とあります。 これは、変ですね。 ヨクナールは薬冷まし剤ではなく、「政治家の頭を良くする薬」ですよね。魔女達はここで間違いをおかしています。 これは、なんだか自業自得的な展開に結びつくヒントでしょうか? |
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こんにちは〜!初めてカキコします!(ボトルはいっぱい流れ着いてますよ♪) HPは何度か遊びにきてますぅ〜♪楽しいHPですね! |
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宝探しの歌が........ 「キ印キッドが言いました。バビロンまでは何センチ」が 「キャプテンキッドが言いました」に変更されてました。 |
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懐古人様 「ひょっこりひょうたん島」新作の詳細な解説、楽しく拝見致しました。 あたしがこの番組を見ていたとしても、懐古人さんのような真摯な見方が出来たかどうかわかりませんが、コメントを拝見して制作者の意図までも予測して見ておられる懐古人さんの姿勢にはただただ敬服するばかりです。 大学の名前は、確かに笑えますネ。 以前のひょうたん島でもかなりの駄洒落的な言葉、名前が沢山出てきましたが、私が一番笑ったのが「借金バード」と言うキャラクターでした。 当時私はバードと言う言葉の意味がわからず、兄が「借金取り」と言う意味だと教えてくれて、なるほど!・・と思った事を覚えております。 ノーベル賞と言い、政治家の頭のよくなる薬と言い、独裁者、それに兵器を売る者・・意図的ではないにしても、何となく時事ネタ的な要素を思うのは考えすぎでしょうか? 新作の主題歌は、別のサイトで話題にのぼっているのを見たときにはモーニング娘の歌だったと言う投稿を目にしたような気もしましたが、やはり私たちの年代には前川さんの歌が良いですね。 博士の歌は、当時のひょうたん島でもよく歌われていましたネ。 新作でも博士の声は中山千夏さんですか? これで完結していないようですから、遠からず纏まった新作として放映されるのでしょうか? |
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0テスター 1973年10月1日〜1974年6月17日 未来科学開発センター(タチバナ博士によって設立された施設)の0テスター(未来科学開発センターチームのキャプテン、剣持 勉が指揮をする)、吹雪シン(鋭い反射神経と抜群の頭脳を合わせ持つ0テスターのリーダー)、荒石ゴウ(全滅した宇宙開発団の生き残りで吹雪のライバル)、リサ(アーマノイドに8歳以前の記憶を消された)の3人は、戦闘サイボーグ アーマノイド星人の侵略から地球を守るために戦う。 当時日本版サンダーバードを目指して制作され、メカニックデザインにはサンダーバードのジョン・デノワを起用しかなり力を入れて制作されたようですが、人気は今一つだったようです。 とりあえず小さな特集の記事がありましたので投稿致しましたが、これだけではわかりませんね。 |
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ぽせいどんさんこんばんわ〜(^o^)鉄腕アトム完成!おめでとうございます。 ところで、先日メッセンジャーでお話をお聞きした鉛筆のスクリプトって、 それからガッチャマンのゴッドフェニックスSWFムービー、拝見しましたよ。 ぽせいどんさんはテレビ番組にも御出演されたことがおありなのですね。 |
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ひょうたん島のあらすじを短く説明しようとハショッテしまい、冒頭の説明が不正確になってお詫びします。冒頭を正確に言えば: 尚、スタンバード大学=スタンフォード+ハーバード、 ケンブリフォード大学=ケンブリッジ+オックスフォード、の笑える造語であることは判りますよね。 |
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出たのは一度だけですのではたしてみつかるか? タレントやってたわけではありませんので出演料はもちろん無し。 記念品のタオルを二本くれただけだった。 数年前に別な番組でインタビューに答えたときはラジオとテレカでした。 日本TVはボールペンとシャープペンシルのセット TBSはシェーファーのボールペン フジは背中指圧機とポケット灰皿 TV東京は...忘れた。 以上年代バラバラ、高額なものは当然ありません。 |
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ヲユキ様、喜んで頂き嬉しいです。後半部は来週中には報告します。 ヒマのある今だけ投稿できるので、今回は、特に、「ひょうたん島の新作」のあらすじを、以下に記します。 御参考にして下さい。 コメント: 2. 冒頭あたりに出てくる「ひょうたん島新聞」の内容は: 4.首に付けさせれたレコードの中の絵は、よく見ると、ひょうたん島の絵と「ひょうたん島」の |
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懐古人様 O倉様 ぽせいどん様 |
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「600こちら情報部」って番組憶えてますか じつは、私、この番組に出たことがあります。 放映の時、オープニングが私のアップからでした。 |
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突然ですみません。 小さい頃に、ゼロテスターというアニメを見たことがあるのですが、乗り物は覚えていても、ストーリーがどうしても思い出せないせん。 どなたか、ご存知内でしょうか。もし、知っていたら教えてください。 |
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今日は節分、いっぱい豆まきをさせて頂きました。 CD「青春スター編」他、を昨日投稿したあと入荷の電話があり、購入致しました。 今日、楽天フリマをのぞいてみますと、「ナショナル・キッド」のビデオ(全4巻)が、¥ 20000−でありました。 |
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日頃詳細な情報を書き込むヲユキ様の為に、NHK50年番組の前半の内容を、放送された主要な懐かし物を、偏見と独断ぎみで、ピックアップし放送順に荒っぽくメモします。(御勘弁を)参考となれば。 ・ 旧式テレビカメラ(TKO−III型)(3〜4個のレンズが回転可能、ズーム不可)の紹介と、その白黒映像。 ・ テレビ開局第一号のアナウンサー志村正順氏(89才)の出演。開局当時の新聞が出された。ラジオ番組欄の片隅にテレビ番組欄がある。(「ちえのわクラブ」が朝9:00にラジオ放送されたのが分かった) ・ 大河ドラマ「太閤記」(S40)の映像(第42回)(子供ながら面白く思った) 緒方拳、石坂浩二、等出演、秀吉について対談。 ・ アポロ11号月着陸(S44)の取材映像。 鈴木健二アナ司会。(彼の当時の番組に関わる映像) ・ 「レッツ・ゴー・ヤング」(S49-69)の短い映像と話題。加山雄三氏、西条秀樹氏他の対談 ・ 「シルクロード」の映像と話題。(懐かしい。テーマ曲の喜多郎氏のドラマーは私の母の知人の子供で顔は知ってますが事故で亡くなり、喜多郎氏は常に墓参りに来た優しい方とのこと。そのドラマーを偲び追記します) ・ ドラマ「男達の旅路」のS51年の映像(鶴田浩二氏他)や「おしん」などの主要ドラマ映像と出演者間の話題(長かった) ・ 大河ドラマ「源義経」の映像。尾上菊之助氏の義経姿、緒方拳氏扮する弁慶の有名な立ち往生姿が印象的。(このシーンはしっかり憶えてます) ・ 「おかあさんといっしょ」の話題と映像。 出演: 初代お姉さんの真理ヨシコさん、初代お兄さんの田中星児さん、17代お姉さんの茂森あゆみさん 内容: − 歴代のお姉さんを紹介(しかし、わざわざボードの書いてあるのに手短に一人一人紹介すべきと思った。中に小鳩くるみさんの名前あり)真理ヨシコさんは本当に良かった。 − 人形劇、とくに「ブーフーウー」(S35〜42)の映像。着ぐるみと操り人形の映像あり。オオカミとオームも出演。黒柳徹子さんの説明では、人形には、着ぐるみ、操り人形、置き人形があるとのこと。これは私も憶えて、お姉さんがブーフーウーの置き人形を舞台に置いてから、ボタンを押し、着ぐるみのプーフーウーが始まるパターンでした。 − 体操のほんの短い映像。「元気に一、二」の歌に合わせて、体操する場面。が、体操のお兄さんを紹介しなかった。 − 最後は、歌(アイアイ、北風小僧の寒太郎、サッちゃん、おもちゃのチャチャチャ) コメント: 初期の映像は殆どない印象を受ける。オープニング映像も体操の全体像など見所はあまりない。 ・「きょうの料理」の話題。 (料理の作り方が主で、過去の映像少なし) コメント: 帝国ホテルの元料理長などが出演、ちょっと興味がないので省略。すみません。 ・ スポーツ番組の話題。(東京五輪のバレーボールから現在まで) 出演者:バレーの河西選手、マラソンの有森選手、相撲の元千代の冨士関。 コメント:長いのと、ちょっと興味薄で省略。すみません。ただ、体操の「遠藤幸夫氏」の短い映像は貴重と思った。 ・ 「テレビが始まった瞬間へ」と題するコーナー: 内容: ー テレビ初の映像は、歌舞伎の「道行初音旅」。 他、ドラマ「今晩わメイコです」の紹介。 ー ドラマ「どたんば」(S31頃)の映像と撮影セットのミニチュア模型を紹介。炭坑ドラマ。若い三国連太郎氏が印象的。これを見て「丹那トンネル」?(S36頃?)とかいうドラマをふと思い出す。 ー 「お笑い三人組」(S31ー41)の映像。オープニング短し。飯田蝶子さんや桜京美さんが見えにくかった。 ー 「事件記者」の映像。(記憶は殆どないのが残念) ー ケネディー大統領暗殺の映像。 ・ アポロ11号月着陸の映像。 ・ 「宇宙人ピピ」(S40〜41)の第38回分の映像。テレビ初の実写とアニメの合成映像(意外に良好でした)オープニング映像は、日本の上空に円盤から顔を出してるピピがの映像から始まり、「ピッ、ピッ、ピッ・・」とテーマが流れる。次ぎに、アニメ状態で、鉛筆一本が出てきて、ノートにピピの姿を書き始める。ここは「・・ねえ、乗せてよ」とテーマが終わる。(著作権にて略す) 内容はどうも、私の過去の投稿内容(あの少年(もりお君)が天才少年となり、図書館に記者がかけつけ、エスペラント語?等まで話すのに驚くシーンに関わるもの)らしいので、問い合わせ中です。 以上、前半部を紹介しました。ちょっと長くなり失礼しました。また、追って。 |
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アトム拝見しました。手塚の線は、ニ次元の世界でも真似るのは難しいと思いますが、三次元の世界では更に難しいのでしょうね。それに挑戦してリクエストに応えて頂きありがとうございます。可愛いアトムに仕上っていると思います。アトムの解剖図なんてェのは、無理でしょうね。 |
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ひょうたん島は録画してあとで視たのですよ。 だいぶ前に作りかけていたメフィストを仕上げました。 |
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と、言いましてもそんなに経っていませんが、ほんの数日投稿しなくても投稿が殆ど日課(?)となっている私にはずいぶん長い日数のように感じます。 昨日も仕事だったものですから、ぽせいどんさんと懐古人さんの話題にされている番組は見ることが出来なかったのでコメント出来なくて残念です。 |
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私も観ました。ひょっこりひょうたん島の新作は、最高の出来と評価します。笑えますが、何か悲しいというか・・子供には難解かな? でも、ありがたいことです! また、「宇宙人ピピ」の映像を目に出来、感涙ですね。やっとお目にかかれました。(あれは、エスペラント語を話す子供が居るということで記者がかけつけたシーンだろうか? NHKに問い合わせます) あの少年はメガネをかけていたんですね、妹もいたように思います。 60年代の「おかあさんといっしょ」の映像は、オープニング映像(積み木のようなものが、家のようなアーチをつくり、そのアーチ内がグレーになって「おかあさんといっしょ」の題字が出るようなシーン?)から、全てのコーナー(歌、人形劇、体操、工作etc?)の詳細も保存されているのかな?・・川口のNHKアーカイブスに行って検証する必要ありのようですね。 |
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ひょっこりひょうたん島視ました。 |
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とりあえず完成 こんなところで勘弁して下さい。 |
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