2003年12月分の書き込み

110カメラ ぽせいどん 12/15

kodakの110規格のカメラです。
一番上はそのフィルムカセットをむき出し状態で
使用する超小型。ただし玩具の類

二番目は使い捨てタイプ
写るんですと同様な物と思って差し支えありません。
上部にマジキューブ(フラッシュ)を差し込んで使えます。
キューブは一枚撮影するたびに90度回転し
4回発光可能でした。

三番目はコカコーラ缶型カメラです。
110の小型軽量を無視した造りです。
記念品、コレクション用でしょう。

一番下はストロボもついた高級タイプ。
マクロ機能もありました。
ここまでするなら普通サイズ(135)の方が
いいと思うのですが....。

ペンタックスで一眼レフ110も出しましたね。
私は持っていませんが。


Nikon F ? ヲユキ 12/15
カメラと言えば、もう一つ思い出しました。
ここ数ヶ月の事ですが、私のよく行くトイショップに、ぽせいどんさんが持っておられるNikon F(ブラック・ボディ)と同じものが売られていました。
と、言いましても、これはミニサイズで(手のひらに乗る程の大きさ)、細部まで本物そっくりに作られたミニチュアと思われます。
値段はハッキリ覚えておりませんが数万円していたような気がします。
対応フィルムなどについても明記されていましたので、実際に撮影出来るものだったようです。
眺めておりますと、本当に美しくディスプレイモデルにしても面白いと、購入しようとしましたが、丁度持ち合わせが無くて次の機会に・・と思ったのですが、次ぎに行ったときには既になくなっていました。
他のメーカーのミニチュアカメラもありましたが、もしかすると外国の製品だったのかもしれません。
ぽせいどん様は、詳細を御存知ではありませんか?

御宿町民の皆様へ 藤井12/15

 私達は老朽化した中学校校舎が
このままで良いとは決して思っていません。
しかし新築以外の選択肢はないのでしょうか。

中学校の新築計画が広報に掲載されました。
でも本当に知りたい情報は何も掲載されていません。

町民の皆様、今一度私達と一緒に考えてはいただけないでしょうか。

                  有志代表 藤井幹博


謎が・・・ ヲユキ 12/14

次々と解明されて行くのは本当に嬉しいかぎりです。
実は、ミニカメラのフィルムについて考えていたときに、どうしても思い出せなかったのが、フィルムの巻き戻しについてだったんです。
いくら考えても巻き取りダイヤル、又はそれに類似したものについてハッキリしませんでした。
ぽせいどんさんの御陰で何となく思い出せたような気が致します。
巻き取ったフィルムはそのまま取りだして、最初フィルムの巻かれていた空になった芯を取り外して巻き取る方へ付け替える・・と、言うことですネ?
尚、蛇足ではありますが、フィルムと共に巻かれている紙は、フィルム面は黒でしたが、裏面は黄緑色・・・だったように思います。

自転車の車輪回し・・についても、おっしゃるとおり遊びに使っていたのはスポークをはずしたものでした。
どうも私の記憶は肝心な所が抜けているようです。


あの頃のあそび kei 12/14
拝見しまし。
缶ぽっくりと呼んでました。ラーメン屋さんのお子さんはしなちくの大きな缶で特大缶ぽっくりを作ってもらって〜うらやましかったぁ。
児童館で、子供達に作らせて遊びましたよ。おもちゃ屋さんでプラスチックで出来た缶ぽっくりをみつけました。
あの頃の遊びのコーナー楽しみです。

自転車の...。 ぽせいどん 12/14
さっそくモデリングしてみました。
スポークをはずしてリングだけにしてました。
一定の速度で転がすことが長時間(長距離)を可能にします。
路面状態が悪いとけっこう難しい。
運動会の障害物競走にも使われました。

filmは..... ぽせいどん 12/14

下の写真のfilmはヲユキさんの言うとおりのものだと思います。
金属のスプールに巻いてあります。
当然裏紙もあります。14mmと言われたサイズです。
この種のfilmはカメラの中でもう一つのスプールに
巻き取られて行きます。巻き戻しはありません。
撮影後filmを取り出して空いたスプールを
巻き取り軸に移動します。
写真はそのスプールを双方とも着けた状態です。
このシステムは現在でも存在致します。
120(ブローニーfilmと一般には呼ばれている)がそれです。
中版カメラに使われてます。
220と言うfilmもあります。
これは同じサイズのfilmですが裏紙がありません。
但し両端には120の裏紙と同様なものが貼り付けてあります。
(遮光のため)

下の文から想像するともうひとつのカメラは110ですね。
我が家にもいくつかあります。
次の機会に掲載いたします。

自転車のリムを転がす遊びは私にも憶えがあります。
次あたりにモデリングしようかなと思ってました。


子供の頃の遊び ヲユキ 12/14

私も子供の頃にあそんだ事がありますが、どのように言っていたのかハッキリとした記憶がありません。
ぽせいどんさんのおっしゃるものと同じか、それに近い別の名称で呼んでいた様な気も致します。
私の記憶としましては、競争と言うよりも我慢比べと言った方が良いのかもしれません・・裸足で乗って歩いていて暫くすると缶の縁で足が痛くなってしまうんですよネ・・でも、懐かしい思い出です。
それに致しましても、CGを駆使して説明されるぽせいどんさんの書込には説得力がありますネ。
私は絵にしようとしましても、漠然としたイメージしか思い浮かばず、画像として描く事が出来ません。
稚拙な文章ではありますが、私の好きなジャンルでもありますので、思い出せる限りの事を投稿させて頂こうと思います。

その他にした遊びで覚えているものに、壊れた自転車の車輪からタイヤ、チューブを外して、車輪の溝に棒を当てて押しながら走ったりもしました。
唯それだけの事ですが、まだ舗装されていない国道、町内の小道などを走り回ったものでした。
これの名称も(あれば、ですが)何と呼んでいたのか記憶にありません。

道端に生えている植物を使っての遊びもありました。
車前草の茎で草相撲?などもしました。
強いものは良く揉んで柔らかくしたものだったように思います。
それぞれに気に入ったものを持ち寄って対戦などしました。
これも何度対戦しても勝てない無敵のものもありましたね。
今思いますと、茎の細工だけでなく引くときのタイミング、引き方、力加減など様々な要因があったように思います。

ミニカメラについては、私の持っていたものはもう少しシンプルな作りでした。
フィルムも、本当に巻物のようなもので違う形だったと思います。
当時はメーカー名など気にすることはなかったものですから、これも記憶にありません。
小学生の頃購入したと思いますから、多分、お年玉を沢山もらった時があって、その時に購入したと思います。
もう一つの角形のものは、どう言えば良いのでしょう・・ぽせいどんさんの画像にあるカメラを半分にして、本来ならシャッターとか巻き取りの付いている部分にレンズがありました。
丁度、スパイ映画や「ザ・ガードマン」などで機密書類などを撮るときにカシャ、カシャと写していたタイプです。
上部に、キューブ状のフラッシュを差し込み、シャッターを押すと発光しました。
これは、カメラに差し込まなくてもキューブの差し込み部分にある金具を弾いてショックを与えると、それ自体でも発光しました。
5個〜10個付属していましたが、面白くて半分近く無駄に発光させ、そのカメラで一体何を写したのかも覚えていません。

こんなのもありました。 ぽせいどん 12/14
名称は忘れましたが
(もしかしたらポックリと言ってたかもしれません)
缶詰の空き缶ふたつ。
底に釘で穴をあけます。
添付画像のように紐を通します。
端は結んでこぶをつくり抜け止めにします。
紐は鼻緒でもあり手綱でもあります。
裸足でこれを履き歩き回ります。
徒競走をしたこともあります。
竹馬の簡易変形バージョンのようなものでしょうか。
材料は何処にでもあるものでしたし
竹馬と異なり誰にでも容易に遊べました。

あのころの遊び ぽせいどん 12/14
せっかくですからHPに残しておきましょう。

ぽせいどん 12/13

BELL○○は
日本写真機工業会編戦後日本カメラ発展史
昭和46年発刊には掲載されておりませんでした。
この本は玩具の類も載っているのですが...
外国製は掲載されてませんからもしかしたら???

平たい長方形のカメラ
これはkodakのインスタマチックfilmを使う
機種のような気がいたします。

写真上は豆カメラとfilm
下はインスタマチック規格126仕様のカメラ
どちらも写せないと断言はできませんが

そのころの雑誌の怪しげな通販のおまけ!?


日光写真 ヲユキ 12/13

私も子供の頃に使いました。
駄菓子屋さんでも売られていましたし、当時は雑誌の付録にもあったのかナ?
ネガは油紙のような紙に、本物とはあまり似ていない黒い画が沢山印刷されたものを切り離して使うものでした。
他に、小学校の授業では、青写真と言うのもありました。
理科の授業だったと思いますが、植物の葉をシートの上に置き、暫く日光に当てて置くと、日光に当たった所が感光して青くなり、葉の輪郭が白く残っていると言うものでした。
確か、枯れ落ち葉の葉脈が浮き出た葉を写したりした様にも思います。
これも、他の部分が感光しないように水につけたのかナ?

写真と言えば、子供の頃、遠足などするときに手のひらに乗るほどの小さなカメラを持って来る同級生もいました。
フラッシュなどは付いていなかったと思いますが本当に映るものだった様です。
私もいつの頃かハッキリしませんが、カメラを購入したことがあります。
やはり子供用の小さな物で、長方形の角張った形で円筒形のレンズが付いていて、シャッターは円筒形のレンズ部分に付いていました。
名前は、BELL○○(○は数字でしたが忘れました)、わりとシャープなデザインで格好良かったと記憶しています。
フィルムは2p幅位?、ケースに入ったものではなく、フィルムの後ろを黒い紙でカバーした巻物のようなものでした。
その後、平たい長方形のカメラ(レンズ部分も本体に内蔵された)も購入しました、これにはフラッシュも付いていましたが昔見たマグネシュームを焚いて発光させる一度きりしか使えない使いものでした。


日光写真 ぽせいどん 12/13

日光写真機というのがありましたね。
本体は厚紙の箱
中に硫酸紙でできたネガと名刺サイズの印画紙が5枚くらい入っていました。
箱の蓋部分は中央が四角に抜かれていて
ガラス板が貼ってありました。
日光にさらさないように印画紙の上にネガを置き
それをガラス板でおさえて輪ゴムで固定
あとは太陽光で数分焼き付ける。
現像は無し、水洗いのみ。
別売りの印画紙があるように説明にはあったが
販売されているところを見たことはなかった。

自分の好きなキャラクターのネガを何回か作った憶えがあります。
ほとんどうまくいきませんでしたが。
原因は用いた画材が光を完全に遮蔽できなかったことでしょう。

私の写真好きの原点はたぶんこれの所為と思われます。


手裏剣 ぽせいどん 12/13
CGは10分くらいでした。
4枚目の実物はだいぶ前に昔を思い出して
一時間くらいいじったものです。挫折。
あのころは焚き火で今はガス
ハンマーも子供の手から大人の手に
変わったのに容易に作業は進みませんでした。
ガスよりも炭火の方が高熱を得られるのかもしれません。
そのうちバーベキューでもすることがあったら
続きをやろうと思ってとってありました。
(バーベキューをやったときは忘れてしまった)

ヲユキ 12/12

「手裏剣」
工作のお上手なぽせいどんさんの事、もしかしたら・・と思っておりましたが、やはりぽせいどんさんも作っていらっしゃったのですネ。
以前、別なサイトでこの話をしましたところ、そこに訪れている人が自分の地方でも手裏剣を手作りしていた人もいたと言われていました。
おそらくどの地方でもそう言った手作りをする人はいたと思われます。
それに致しましても、ぽせいどんさんの素早いレスには驚き!ました。
私が「手裏剣」について投稿したのが11日の00:19、同日の07:58にはもうCG、製作途中の手裏剣の画像もアップされています。
と、言うことは・・も・・もしかして・・徹夜で鍛冶を・・・?

「紙人形の着せ替え」
これは私も懐かしいですね。
私も子供の頃近所の女の子と遊んでいました。
数日前「明日のナージャ」の着せ替えブックを購入したと言いましたが、それもkei様のおっしゃる着せ替え人形と同タイプのものです。
ナージャの普段着、バレー衣装?、ドレスなどを着せ替えできて、服の肩や帽子、靴の端に着せ替えをする人形に留めるために引っかける折り返しの付いたものです。
他に、お友達?のリタ、シルビィー、おばば、ショコラ、クリームなども付いています。
ぽせいどんさんのおっしゃる表と後ろを張り合わせる服のタイプはハッキリとした記憶がありません。
でも、先頃購入しました「きいちのぬりえBOOK 2」の付録として付いていました。
既に色が塗ってある完成品と自分でぬりえをして好きな色を楽しめる2タイプがあります。
もったいなくて、まだ作って遊ぶ事はしていませんが・・・
人形遊びと言って最初に思い出すのが「丸い顔に赤い帽子と赤いスカート、中には細長く切った木くずが詰め込んであり、寝かせるとピーと鳴くぬいぐるみ」です。
当時の女の子はこの人形で、背中に背負って子守りの真似をしたり、抱いてあやしたり、寝かせて子守歌を歌ったりしていました。
この人形は「文化人形」と言って昭和30年代の終わり頃までは良く売られていたようです。
これも最近ドールのフィギュア付き(手のひらサイズですが、本当に布で出来たぬいぐるみです)絵本が発売され、購入しました。
「サクラちゃんとあそぼう」宇山あゆみ 新紀元社

私たちも、ままごとではどろ団子に葉っぱのごちそうが定番でしたが、時には庭で本当に」火を焚いて料理?する事もありました。
私たちが煮物に使った材料で覚えているのは・・川の中に揺らいでいるみずもでした。

「竹鉄砲」
ぽせいどんさんのおっしゃるとおり、同じものですね。
学校でも作りました、新聞紙を水で濡らして丸めたものを詰めて押し込み、もう一つ同じものを押し込んで弾を発射させるものでした。
大きな音をたてて良く飛んだ竹鉄砲の発射口からは硝煙のような水煙が出ていた様に覚えていますが・・思い違いかナ?


竹鉄砲 ぽせいどん 12/11

ヲユキさんの記した竹鉄砲はたぶん私が遊んだものと
同様な物と思われます。

まず青竹、直径は1cmくらいでした。
重要なのは穴の大きさです。
弾にする植物の実よりも僅かに小さい物がBestです。
片方に節を残したまま切り出します。
節側から数センチのところで切断します。
穴よりも細い竹の棒、あるいはヒゴを作ります。
それを節側に固定します。
ヒゴの長さは残った竹筒に差し込んだとき
弾二つ分ほど短くします。
最初の一発を先端から押し込みます。
片方にもう一発押し込みそれをヒゴで強く突くと
音を立てて飛び出します。
空気銃ですね。
理科の教科書に載ったときは「紙玉鉄砲」という名称でした。
新聞紙などを濡らして丸めた物を弾にするようでした。


紙人形の着せ替え・既製品 ぽせいどん 12/11

妹がおりましたので記憶にあります。
服を前から見たものと背中から見たもの二枚で出来ていて
糊で肩と脇を貼り付けて
そのなかに紙人形が入る構造ではなかったでしょうか。
妹も含めて子供達は思い思いに服を自作してました。
(手伝った憶えがある)

他には「きいちのぬり絵」でしょうか。


子供の時の kei 12/11
keiの子供時代は貧富の差がかなりあったよぉな・・・
なぜかといいますと、持っている子は着せ替え人形にしてもバービー人形とか子供心にも高級感あふれる人形だったりしたし・・それにそゆぅおもちゃをたくさん買ってもらえる子は、家が水洗式トイレで、トイレットペーパーを使っていたのです。おどろいたぁ〜あの形状・・・
我が家は昔ながらで、しばらくは・・・
それはともかく、そんなkeiが 一生懸命はまって遊んだのは、ボール紙でつくった紙人形の着せ替えです。土台の人形は厚めのボール紙に描いて切り抜いて作って、着せる服はノートの紙で、人形の型をとって作りました。服の肩のとこにひっかける出っ張り付けて。切り抜いて作れるよぅなセットも売っていたんですけど、買ってもらえなかったです。
首がすぅぐにくたくたになってしまって、爪楊枝で補強したりして遊びましたよぉ。
男の子と遊ぶときはかならず、おままごとで。人質みたいにつれてきて無理やり参加させたですけど。外で。雑草の煮込みなどは定番でした。ちゃんと空き缶で火もたいて煮たのですよぉ。今思うとあぶなかったかな。。あと、そのお返しに『忍者部隊 月光』ごっこをしてあげましたけど。どぉも女の子の遊びって迫力ないですねぇ・・・

十字手裏剣 ぽせいどん 12/11
ヲユキさんの書き込みにもありますように
「隠密剣士」が放映されたころ子供達の間に
忍者がブームとなりました。
ビニール製の手裏剣もたしかにありました。
しかし私を含めて手づくりをしたものも小数おりました。
私の作った方法は金属座金の加工でした。
グラインダーなんぞはありませんでしたし
知りませんでした。
まず座金の調達です。
漁港に行くと当時はイワシを捕るあぐり漁船がありまして
その周辺を探すと必ず一枚くらいは落ちていました。
修理の時に落としたものか廃棄されたものでしょう。
まず座金を焚き火のなかにほうりこみます。
充分加熱して四隅をハンマーで叩きます。
先端が伸びて行くと共に薄くなって行きます。
焚き火とハンマーを飽きることなく
続けると完成です。
実際に板塀にささりました。
添付画像はShedeです。
一枚はガスであぶってハンマーで叩いたものです。
いま実際にやってみるとかなり大変で
再現するのをためらってしまいました。
子供時代のエネルギーは凄いものだったと
我ながら感心しています。

お久しぶりです・・・ ヲユキ 12/11

と、言う程のご無沙汰では有りませんが、私としましてはかなりの日数投稿しなかったような気が致します。
毎日伺っていたのですが、この間購入したPS2のゲームソフト(かなり以前に発売された作品ですが)に嵌ってしまっての次第です。
ゲームソフトのタイトルは「GIGANTIC DRIVE」(ギガンティック ドライブ)、内容は、「機人」と呼ばれる3体の巨大ロボット(「ヴァベル」−地上用人型巨大ロボット・「ライオール」−飛行形態に変形する人型ロボット・「グラング」−自走マシンへと変形する人型ロボット)を操縦し「ヴォルガーラ」と呼ばれる侵略ロボットと市街戦を繰り広げるゲームです。
画面上の物体(家屋、ビル、木々、車・・)は全て破壊出来、逃げ惑う人々を蹴散らしたり(実際に戦っていると戦うことで手一杯で気にする余裕は有りません)してしまいます。
手にはバトルの衝撃(振動)が伝わって来ますし、動きもリアルで、それは実際に「マジンガーZ」「バトロイド」を操作して戦っているような迫力(と、言いましても私のモニターは超小画面ですが)があります。
ストーリーも全50話以上有るようですし(現在18話までミッションクリア、ワンステージごとにバトルが有ります)、主人公も3人いて(それぞれにシナリオが有れば、全150話以上?)、ゲームを終わっても主人公を変えてプレイ出来るようです。
私がゲームに興味を持った切っ掛けは、年々進歩するグラフィックの美しさに興味を惹かれてでした。
2Dが3Dになり、グラフィックも最近ではほんとうにリアルになってきて本物と見分けがつかなくなって来ています。
来年公開の、実写「鉄人28号」「デビルマン」などもCGを多用した映画となっているようで、これも楽しみです。
私は、暴力、戦争を好んでいるわけでは有りませんが、せめて物語の中では自由に楽しみ、感動したいと思っています。

懐古人様
私の方こそ今までの投稿にレスを頂き、大変感謝致しております。
懐古人さんの御投稿、レスが暫く無くなると思いますと寂しく感じますが、懐古人さんのお気持ちが晴れ掲示板に復帰される時が来る日を楽しみにしております。
「星空に両手を」は、確かCDを持っていると思いますが(島倉千代子さんのCDは5〜6枚購入している筈です)、どう言ったタイトルだったのかハッキリしません。
「星に祈ろう」はわかりません。
「闘魂込めて」はジャイアンツの個人応援歌?と言うCDに収録されていますが、守屋浩さんの歌かどうかわかりません。
「少年ロケット部隊」は数日前に購入した「ZENBUまんだらけNO.21」に扉絵が有りました。
私も雑誌「日の丸」は見た覚えは無いのですが、「ナンバー7」手塚治虫、「ララミー牧場」松本あきら、「さいころコロ助」益子かつみなどは覚えが有りますから、当時、友達に雑誌を見せてもらっていたのかもしれません。
私も嘗ては死ぬまでにもう一度聞きたい、もう一度見たいと思っていた歌、TV番組、映画、漫画・・それらはかなりの数、所有する事が出来つつ有ります。
一昔前にはほんとうに考えられなかったことです。
それでもまだまだ集めたいと思っている作品が有り、それらについては将来きっと目にする日が来ると言う希望を持ち続けて居ります。
何時の日か、懐古人さんの希望も成就される日が来ます事を願っています。

「独楽」
私はぽせいどんさんのおっしゃっている独楽もベーゴマも子供の頃に遊んだ記憶は有りませんが、学校の授業(回し方を教わった?)や正月には独楽回しをした覚えが有ります。
鉄の芯に木製で赤く塗られていて、縁が鉄製だった様に思います。

「2B弾」
皆さん過激な遊び方をされていたんですネ。
・・って、そう言う私たちの地方でも、確かに手に持って爆発させる人はいました。
瓶の中で爆発させたり、水の中でも爆発させましたネ。
着火してから5〜10秒で爆発したと思いますが、中には耳を塞いでドキドキしながら待っていても、いつまで経っても爆発しないもの・・不発弾が有りました。
殆どの場合、近づかないで放っておくのですが、普通のものよりも少し遅れて爆発するものも中には有りました。
私たちは竹鉄砲を良く作りました。
弾は南天の実とか他にも3種類くらい良く使いました(名前失念)。

「子供の頃の遊び」
日本が今のように豊かでなかった時代、私は親から玩具を買ってもらったと言う記憶が殆どありません。
でも、まわりの子がピストル、ライフル(銃身に糸のついたコルクを詰めるもの、銀玉を発射するもの)などを持って遊んでいるのを見て父に僕も欲しいと言ったことがありました。
早速父は、2枚の板をピストル型に切り割り、箸で引き金を作り、重ねて張り合わせゴム鉄砲を作ってくれました。
そして紙をテープで巻いたホルスターをバンドに付け、更に細い竹を短く切ってそれをバンドに並べビニールテープで貼り付けました。
西部劇のガンマンのガンベルトそっくりになりました。

他に、チャンバラなども良くしましたが、「隠密剣士」「忍者部隊 月光」の頃でしょうか?、当時駄菓子屋さんなどでビニール製の「十字手裏剣」「八方手裏剣」「卍手裏剣」などが売られていて、それを使って忍者ゴッコなどもしました。
でも、私より年上の人たちは、鉄板をグラインダーで加工して、金属製の手裏剣を作って木を的にして投げる人もいました。
これは劇中同様、本当に木に刺さるものでした。

私も男の子ですから、この様な遊びもしましたが、近所の同級生は圧倒的に女の子が多くて、女の子と遊ぶ事の方が多かったですね。
私の場合、他に「ままごと」「人形遊び」「ゴム飛び」「蓮華の首飾り」「地面に丸い輪を描き跳んで遊ぶ(名前失念)」・・他、色々としましたヨ。

「朝焼けの写真」
朝焼けではありませんが、私の住んでいる地方には夕焼けが美しいスポットがあります。
丁度古本やトイを購入するために車で通る国道沿いにあって、夕焼け時には沢山の観光客やカメラマン?がカメラやビデオを構え、恋人同士?が肩を寄せ合って沈み行く夕陽を眺めている姿を良く見かけます。
「○○湖の夕陽」と言えば御存知の方もいらっしゃるかもしれませんネ。


2Bの続きです。 ぽせいどん 12/10

Benさんのようなことは私はしてませんが.........。

最初の頃は仲間内で二手に分かれて投げ合いでした。
点火してから爆発までにだいぶ時間があるので
すぐに投げると投げ返されてしまいます。
それでぎりぎりまで自分の手において敵陣へなげこみます。
タイミングミスでたまに手のなかで爆発もしたりしました。
それでたいしたことはないのでそのうち度胸試しに
持ったまま爆発もさせるようになりました。
(このヘンはBenさんと一緒です)

点火してから10秒ほど経つと水中でも爆発しました。
浅い水たまりなんぞだとそこそこに飛沫なんぞがあがりました。

当時の子供(私だけでは無いと想う)達は玩具を
自作するのはあたりまえでした。
当然2Bは火薬を使っているのですから
銃を造ろうとする発想は稀では無いと思います。
銃身はTVアンテナのアルミ管です。
当時はTVが漸く普及し始めた頃ですから
これを手に入れるのは至難の業でした。
でもどこからか調達してくる者が必ずいましたね。
銃床は木片をナイフで刻んでそれらしいものを作りました。
銃身と銃床はビニールテープで留めました。
遊び方ですが2Bに点火して銃の先端から入れます。
先込め銃ですね。次に小石を入れます。
しばらくすると発砲します。
しかしあまりとびませんでした。
いま考えると小石と銃身のあいだに
隙間があったことが原因だと思います。

この「子供時代の遊び」はおもしろいですね。
皆さんの貴重な体験話を書き込んでください。
ひとつコンテンツとして掲載いたしますから。


懐古人 12/10

ぽせいどん様の写真は本当に美しい!!こんな絵はがきあれば買いたい位ですね。 えーと2B弾ですか、ワルガキだったころの私には、痛い想い出です。プラモの破壊、竹筒鉄砲に入れて戦争ごっこをしました。

 今まで粗末な投稿をしつつも本当に楽しかったですね。ぽせいどん様の掲示板に出会えたことは嬉しい限りです。また皆様のご投稿やレスにも感謝してます。特に、ヲユキ様にはお世話になりましたね、感謝してます。
 ところで、イラク派兵が決まり、心中穏やかでないです。テロ事件を自作自演してまでも何かをしたい米・中東に、大切な専守防衛の自衛官を危険にさらすのは見てられません。ここ暫く書き込みは控えます。私は反戦平和指向なので、今は静かに見守りたいです。
 私には生涯最も愛し続けるだろCMに、昭和44年後期から45年初期までに続いた日本航空のCMがあります。嘗て別ハンドル名で他のサイトにも紹介したことはあります。そのCMソングは残念ながら録音がなく、ただ頭にいつも歌ってます。男女混声コーラスのビブラート気味の歌い方から、今あまりない感情の籠もる正統派メロディーは、しみじみと心に届く感動がありました。
▼ 歌:「♪まあるい地球の、この上で・・中略・・時の流れに・・中略・・大きく回る」(著作権につき略します)
▼ CMの情景は(記憶が正しければ)
@旅客機のドアが開いて、スチュワーデスとパーサーが外に出て、お客がタラップから降りるシーン。
A羽田空港のロビーの風景、離着陸を知らせるフライトボード?。
Bロビー内で、数人の家族が笑いながら手を挙げるシーンに続き、それに応えて笑うお婆さん(有名な女優だが名前失念)
他、色々な人々がロビーで笑いながら出会い、また、別れで涙する情景。
C旅客機が空を飛ぶシーン。
 以前、日本航空の広報部に問い合わせ、3〜4日調べさせた結果、電話が来たのですが、30年前の資料はなかったそうで、本当に残念でした。東京の汐留に昔のCMデータを多量に保存し視聴できる施設がある聞いてますが、行く機会もなく、録音もできないのが残念です。私は身体に障害があるので今のところ外出は出来ないです。でも、死ぬまでは、録音テープ又は収録してるCMレコードにありつきたいです。
それでは、皆様、良いお年を迎えてください。


2B弾 懐かしいですね Ben 12/10
ご無沙汰してます。Benです。
2Bは、子どもの頃よくやりましたなぁ。
蛙に突っ込んで爆発させたり、川魚に突っ込んでこれも爆発させて浮き袋を取ったり、子どもの頃はかなり残酷な遊びをしていたものです。
また、当時は汲み取り便所でしたから、汲み取り口の開いている家の便所に放り込んで爆発させたり、畑の肥溜め(草の丈が伸びると見えなくなって落ちてエライ目に会うので注意)に突っ込んだりと、これまた悪い遊びをしていました。
2Bの端を親指と人差し指で摘んで手を思いきり伸ばしてそのまま爆発させる、肝試しみたいなこともしていました。
ぽせいどんさんの下の絵で思い出したのが2B発射銃です。
2Bは小学生の頃の遊びでしたが、高校生ぐらいの人が池に向かってモデルガンを改造したような黒い銃で2B弾を発射していたのがうらやましくもあり、どのように着火して発射しているのだろうと見ていたのを思い出します。

2B ぽせいどん 12/10

あのころ「2B」というのがありました。
音の出る花火の一種ですが
頭の先がマッチのようになっていて
点火は直接マッチ箱にこすりつければよしと簡単でした。
価格はばら売り一本¥1でした。
お買い得200本入りひと箱¥100もありましたが
当時の子供で100円をこづかいに貰っている者は稀でした。

遊び方は単純で点火して放り投げるだけ。
黄色の煙がうっすらと立ちのぼってしばらくして爆発。

時間が無いので続きは夜にでも 


おぉ、、 SDTM 12/10
☆ 東京、昭島の午前7時から8時まで
  同じ北東から南西に真っ直ぐ伸びた雲をみて、、
  撮ろう、、と思っていたのですが、
  あるほど、こんな感じにも見えたのですね。
  場所は?銚子近くですか?

おはようございます。 ぽせいどん 12/9
今朝の朝焼けがきれいだったので
撮ってみました。

独楽 ぽせいどん 12/7

子供の頃の勝負の世界は他にもあります。
独楽と言えばベーゴマがメインなのでしょうが
わりと高かったことと
回すのが難しかったのとで
あまり周囲では賭場が開かれておりませんでした。
もっとも手軽だったのは直径2cmくらいの木製の独楽でした。
当時5円したでしょうか。
五つくらいビニール袋に入っていて10円で買えたような
気もいたしますが....。

場は紙製の空き箱をひっくり返したもの。
中央をややへこませて用いられました。
同時に独楽を場に回し入れるため
一度の参加者は少人数と限定されました。
場から弾き出されれば負けです。
また場の上で回転が止まって
ひっくり返されても「丼」と言って
同様に負けでした。

木製の独楽でしたのでやはり細工を施すことが
多かったことを憶えております。
小刀で周囲を刻んで歯車状にすることが一番先に行われました。
刻んだ分軽くなりますのでそれを補うために
蝋燭を垂らしたりいたしました。

この独楽よりやや大きいガラス製のものもありました。
高価なのと手を加えられないのとで
あまり人気はありませんでしたが。

こうしてガキの頃のことを書き出すと
止めどがありませんね。


ビー玉遊び他について T・浜渦 12/7
ぽせいどんさん、しばらくでした。何ヶ月ぶりかの書込みですが、小さい頃の遊びについて私も懐かしく思い出しました。同じ道具でも地方によって、呼び方もルールも違っていたりして面白いですね。私の田舎は高知県の最西端の方ですが、メンコはパン、ビー玉はビン玉といいました。真剣勝負の「ほんこ」は同じですが単なる勝敗決めのみは「てんこ」といいました。ルールも多少違いますがネットを検索したらこんなページが有りました。
<www.jungle.or.jp/mi-child/asobi.html>
私の小さい頃の近所の子供は女の子ばかりで、男の子とは学校でだけしか遊べなくて、帰ってからとか、休みの日などは女の子とばかり遊ぶ事が多かったので、おてだま、おはじき、まりつきも全て体験させられました。今では遠い懐かしい思い出ですが・・・

60年代雑記 懐古人 12/7

 ぽせいどん様は、メンコとビー玉の名手だったんですね。 私は残念ながら、それらは不得手で、傍観している方でした。私の地方では、四角いメンコを、ただのメンコといい、丸いものをパッチといい、大きい丸いパッチは隠語表現「○ンコ」と言ってました(汗、笑)確かに、蝋を塗ったパッチも憶えてます。ヘリを少し直角に曲げて、相手のものをひっくり返しやすく工夫していましたね。あまりやらなかったので記憶がないんですよ。剣道と同じように、先鋒、中堅、副将、大将などと団体戦のような形式で、したような? 大将が一番大きいメンコを所持し、最後に戦うとか、なんとか・・少し記憶に自信がないですね(汗) 奇妙なジンクスとして、メンコに描かれる人物が、刀を煌めかせる時代劇ヒーロー(鞍馬天狗、白馬の剣士、隠密剣士等)の場合が強いメンコとされ、他のSFヒーロー(七色仮面、遊星王子、ナショナルキッド)はランクが下がるといったこともありました。どうも日本武士道的雰囲気が息づいてるのでしょうか(笑) また、どうしても負けないメンコやパッチもあり、不思議でしたね。それらは固くて厚いもので、持っている友人などは得意満面でマメに蝋を塗ったりして大切にしてましたよ。
 私もぽせいどん様が描いた相撲のようなメンコの記憶は有りません、
しかし、変形したメンコ(顔や乗り物などの外形を形どるもの)は有りました。が、記憶があまり無く紹介できないのが残念です。ビー玉にしてもルールを忘れてしまいました。ぽせいどん様の説明で、うっすらと記憶が蘇るような気がします。懐かしいなあ。 実家にメンコやビー玉など懐かしいガラクタがあったはずだが捨てられてるかな。 巨大なビー玉もありましたね。それで小さなビー玉が欠けたたこともしばしばあります。

 ヲユキ様の話題に逆戻りですが、黛じゅんさんの歌は「天使の誘惑」が最高ですね。一方、梓みちよさんは私の好みで、昭和42年頃のヒットした「渚のセニョリータ」が忘れられている気がします。「こんにちは赤ちゃん」と「二人でお酒を」ばかりが挙げられますが、「渚のセニョリータ」は大変美しい曲ですよ!!(♪ボナセチョス?セニョリータ、月夜の晩だよ・・) ドラマの「お嫁さん」のテーマも同様な曲調で大好きですね。更に同様な曲調として島倉千代子さんの「愛のさざ波」も。また、島倉千代子さんは守屋浩氏とのデュエットの「星に祈ろう」も最高で、橋幸夫氏と吉永小百合さんのデュエット曲「いつでも夢を」に対抗する影の美しい歌でしたね。「星空に両手を」の収録してるCDは島倉千代子全集のような大きなCDしかないのが残念で、まだ購入してません。余談ながら、ジャイアンツの応援歌「闘魂込めて」は、守屋浩氏の歌うものは大好きです。双方ともレコードを探したいですね。

 尚、「日の丸」はあまり読んでいないのですが、定かでないが横山光輝氏だったような。ジェット機?と少年達の物語で写真も見た憶えがあり、検索すると「少年ロケット部隊」がどうもそうらしいです。ハッキリしないのですが、テレビドラマにもあったような気がします。昭和38年頃で夕方放映していたようで、ロケットに乗る少年達が事件を解決していくような内容でした。主題歌も感動的で良かったように思います。しかし、記憶がハッキリしてないので、何かの間違えかもしれません。「少年クラブ」「少女クラブ」は、母の代(昭和初期)からあったようですね。 当時も、紙から切り取る組み立て付録もあったらしいです。 
 昭和30年〜43年あたりまでの雑誌のクリスマス号や新年号は楽しみでした。付録も多いし、雰囲気を伝える風情がまともに受けられる内容で、子供の頃を心底思い出します。学校の付近で、付録だけ売っていたホームレスのオジサンを思い出します。イイ付録ばかりでした。とても高い値で売っていたので、見るだけでしたね(笑)


もうすぐ〜〜〜! なな☆sany12/7

もうすぐクリスマスですねー!
去年は臨月で、クリスマスどころの騒ぎじゃなかったので、今年はゆっくりたのしみま〜す!

ビー玉キレイだねー♪
つい最近、ラムネ飲んでビー玉を取り出そうとビンを道路に投げたけど、ビンも丈夫なので、なかなか取り出せなかったよー*笑*


ビー玉 ぽせいどん 12/6

ビー玉の名称の由来には諸説ありまして
ビードロ玉を縮めたと言うのと
A玉、B玉とあり二級品の意味でB玉だと。
A玉と言うのがどのようなものかは分かりませんが???

それはさておきビー玉は私の知る限り4種類ありました。
おそらく酒瓶などから再生したものと想われる緑色のもの。
時々気泡が入っているのがご愛敬でした。
不透明な乳白色のもの。
無色透明なもの、
その中に色のついたねじれたような(うまい表現がみつからない)
ものが入っていたもの。

添付画像はShadeで作りました。
本物がいまは手元にありませんので。


ヲユキ 12/6

力士型変形面子 と言うのは見た覚えがありません。
この様な形では実戦には不向きの様ですネ。
そうでした、「角めん」の裏にグー、チョキ、パーや、クイズ、雑学(の様なこと?)が印刷されていましたネ。
私の購入した本にもめんこの裏の写真があり、どのようなものだったのか知ることが出来ます。
あと、私が覚えている事に、先の引用した解説にもありますが、盤面の絵の版ズレがあります。
めんこに限らず、当時の雑誌などのカラー紙面(漫画、写真)などもよく赤、青などの色がズレたものがありました。
「鉄腕アトム」「鉄人28号」など(飛び出す漫画は別)にそう言ったページがあったのをよく覚えています。
同じ号を他の友達に見せてもらうと普通に印刷されていて、当時、不思議に思いました。
もちろん、ズレの無い印刷の方が良い本と言えるのでしょうが、私は何故かズレのある印刷の方に愛着を覚えました。
古本で購入した本にも、微妙にズレているものや見事にズレているものなどを時たま見かけます。
そう言った画を観ていると、子供の頃の風景も同時に連想し、懐かしく思い出されます。
最近はそう言った本はあまり見かけませんネ。

えっ・・と、木曜日、社長の都合で午後はお休みとなりました。
この日も天気は良くて、そのまま帰る気にならなくていつもの所に行ってみました。
「昭和おもひで歌謡」と言う入浴剤入りのCD(コムセプトは「タイムスリップ・グリコ」と同じ)が有り、ワン・ボックス(12個)購入しました。
全10種(「涙の太陽」「しれとこ旅情」「北国の二人」「愛の奇跡」「フランシーヌの場合」「風が落とした涙」「真夜中のギター」「喝采」「サインはV(坂口良子ヴァージョン)」「ふれあい」)、コンプリート出来るような気がしておりましたが、思った通りでした。
ワンボックス購入しただけですので断言出来ませんが、ボックスで購入すればコンプリート出来る(シークレットなどは無い)ようです。
「キャラウィール」で、「勇者ライディーン」の「スパーカー」も発売されていて購入しました。
「トミカミュージアム スーパーカー館」のM−13〜M−18、「ランボルギーニ ムルシェラゴ(1:18)」(グリーン)も購入しました。
ゲームコーナーでカプセルトイ「明日のナージャDX2」(全5種)が有り・・コンプリートしました。
ナージャはXD、食玩のフィギュアも揃えて、おもちゃ売り場にあった紙の着せ替え人形(全3冊)も購入しました。
と、言いましても私が遊んでいる訳ではなく、これも子供の頃によく見ましたので、あくまでも資料としてのつもりです。
TVでは、セーラームーンの前に放映されているようですが一度も見たこと話ありません。


力士型変形面子 ぽせいどん 12/6
こんな感じでした。
思い出しながら描いてみました。
(資料は記憶のみです)
絵が稚拙なのはお許し下さい。
所要時間5分

丸と角 ぽせいどん 12/5

角メンは私の知る限りでは2種類しかありませんでした。
薄手で小ぶりのものと
厚手(5mmくらい)で名刺より一回り大きいものと
私の地方では角メンは不人気でした。
理由は至極簡単です。
場に適していなかったからです。
勝負には向かなかったのです。
私が想うに角メンは別な遊び方をするために
考案されたのではないかと......。
丸メンと角メンの大きな違いは形だけではありません。
その裏側です。
丸メンは裏面に印刷を施したものはありませんでした。
しかし角メンはグー、チョキ、パーのいずれかと
トランプの一枚が必ず印刷されていました。
相手の札に叩きつけて遊ぶものでは無いように想えます。
小角メンの変形バージョンに力士型があったことや
厚手の角メンにメタリック仕様のものがあったことでも
コレクション用やテーブルゲーム用に作られたのでは
ないかと想えます。

※フラットな台、テーブル上で勝負をするときは
厚手角メン同士の方が面白かった用に想えます。
ひっくり返すよりも弾き出しやすかったからです。

丸メンも直径20cmを越すほどの大きいものがありましたが
勝負には向きませんでした。


めんこ ヲユキ 12/5

ぽせいどん様
めんこ、ビー玉についての詳しい解説をして頂き、有り難うございました。
「ほんこ」はぽせいどんさんの方でも言われていたんですね・・これは日本全国共通なのかナ?・・「うそんこ」「じゃれ」の私の方での言い方は40年以上前のことなので思い出せません。
>直径2cm程度の小さい物で10枚くらいが積み重なって蝋で固めてあったもの
これは私たちの方では「パッチン」あるいは「ペッチン」といっていたような気がします。
ぽせいどんさんのおっしゃっている遊び方もしましたが他にも有ったように思います、でもこれもハッキリと思い出せません。
私たちが遊んだものは円形のもので大きさは殆ど一緒なものを使っていました。
でも、時々20〜30pくらいの大きなものを使う時もありました。
改造したものを使う人も確かにいましたネ。
私の購入した本には殆ど「角めん」ばかりが収録されています。
もちろん私も当時見たことはありますが、遊びで使ったのは「丸めん」ばかりだったと思います。

『やっと一般家庭に普及し始めたテレビでは「月光仮面」がヒーローとなり、漫画の世界では「赤胴鈴之助」が少年達に夢と希望を与えた昭和三〇年代前半。そんな時代に子供達の「路上遊び」の王者と言えば、なんといってもそれは「めんこ」であった。
今のように、たまごっちもなければファミコンもない。この時代の男に子は、学校から帰るや否やランドセルを家の中に放りだし、一目散に外へ出て行った。数十枚のめんこを片手に握りしめて・・・・・・

めんこはゲームの一種である。とは言うものの、単なるゲームではない。鬼ごっこやかくれんぼなどのゲームとは異なり、自分の所有物が増えたり減ったりするのである。当然のことながら、自分が勝てば相手からめんこを貰えるし、負ければ相手にめんこを渡さなければならない。いわば、真剣勝負である。おのずと心は燃えてくるし、熱くなる。私自身、子供心にも、勝負に勝つことの快感と負けることの悔しさを、めんこによって初めて知った。さらに、勝つことは、自分の所有枚数が減ることを意味する。
−略−
昭和三〇年代と言えば東京といえどもまだまだ空き地はあちこちにあった。しかし、当時の「空き地」は多くの場合、「荒れ地」を意味し、荒れ地は鬼ごっこやかくれんぼならいざしらず、めんこをやるには甚だ不都合であった。なぜならば、めんこをやるにはその構造上、平らな面がなければならなかった。御存知の様に、めんこは長方形や丸形の平たい紙で出来ている。それ故、地面がでこぼこしていると、非常にめんこはやりにくいのだ。
−略−
めんこには、文字通りまん丸い形をした「丸めん」と、長方形の「角めん」がある。だが、私の記憶の中にあるめんこは圧倒的に角めんである。私よりも少し年配の人の話によると、その人は丸めんで遊んだとのことだ。私の親の時代もやはり丸めんが全盛だったようだ。詳しい文献がないので正確なところはわからないが、いろいろな話を総合するとめんこは、明治時代に丸めんが普及し、徐々に角めんに移行したようだ。いつ頃からその勢力図が逆転したのかはわからない。とにかく、私の少年時代は、もう角めんが全盛であった。
−略−
それにしても、めんこ一枚一枚の絵柄を見ていくと、頭の中は確実に四〇年前にタイムスリップする。レトロでノスタルジックな世界だ。野球に相撲に漫画にテレビに映画に、日本が戦後の混乱からようやく抜け出し、来るべき高度成長に入る前の束の間の時代の世相を見事に映し出しているように思えてくる。さらに、稚拙なイラスト、けっして洗練されているとはいえないデザイン、見事(?)といえる版ズレなどを見ていると、余りにプリミティブでキッチュな感覚に感動すら覚えてしまう。そこには、なんともいえないエネルギーが横溢しているのだ。けっして、豊かではないが、誰もが疑うことを知らず明日を信じていたイノセントな時代。めんこはそんな時代の象徴のようにも思えてくる。そして、ここに公開した数百枚のめんこであるが、いわゆる好事家のいろいろなコレクションとはやや趣を異にする。と言うのは、おもちゃにしてもブロマイドにしても、その他のものにしても、多くの場合、それぞれのコレクターが、自分の欲しいものをお金を払って買うなり、知人友人から譲り受けるなりして少しずつ集めていった結果の集大成がコレクションである。しかし、私の場合は違う。この数百枚のめんこのうち、かなりの部分が戦利品である。戦利品と言うよりは、めんこに明け暮れていた三年間の間に自然と集まってきたものだ。
−略−
ほとんどのめんこは、何人もの手に渡って、最終的に私のものになったのだ。それ故、端の方が折れていたり、一部が破れかかっているものも、少なからず見受けられる。何十回にも及ぶ闘いの傷あとが刻まれているものもある。したがって業界用語でいう「保存状態」はお世辞にもいいとはいえない。けれども、私は手垢や汗が感じられるこういっためんこに限りない愛着を感じる。それが、なにかの巡り合わせで回り回って私の手元に残ったことを思うと・・・・・・
−略−
しかし、こんなに全盛を極めていためんこも、私が小学校の高学年になった時には、薄情にも、もうほとんど見向きもされなくなってしまった。
−略−
私よりも若い世代の話を総合すると、私がめんこから足を洗った昭和三四年頃から数年間はまだ、めんこも子供世界で健在だったようである。しかし、これはあくまでも推測であるが、昭和三九年、「東京オリンピック」あたりを境に、めんこは衰退の一途をたどったのではないだろうか。そして、それ以後、めんこがかつてのように脚光を浴びることは二度となかった。』

引用するにしては少し多すぎて、どうしようかとも思いましたが、同世代のかたならば同じ様な思いの方も多くいらっしゃると思い(私も含めて)投稿致しました。


犬と麻ちゃんの主題歌 TMA 12/4

2002年8月の書き込みを検索で見つけました。
「犬と麻ちゃん 投稿者:マコ  投稿日: 8月 4日」さん
大好きで、再放送を毎日夕方家まで走って帰ってみていました。
たぶん昭和46年頃です。(広島)
麻ちゃんのふるさとが宮島って設定で、ロケ地も探してみました。
和泉雅子さんすてきですね。いまでも理想の女性の一人かな。
歌詞はたぶん

恋の口笛吹いて歩こう
屋根を重ねた貧しい街を
今日もひっそり誰か流した頬の涙に幸せを呼ぼう
らーらららら
らーらららら
幸せよおいで

です。
この遅れたレスは届かないだろうな。
たぶん、古いオープンの録音がどこかにあるとは思いますが・・・
何回か番組も録音しました。


ついでに「ビー玉」も ぽせいどん 12/4

これは砂地ではなく固い地面の上が場でした。
適当な閉じた図、池を地面の上に描きます。
単純な円の場合もありますし周囲に凹凸(徳俵?)を作る場合もありました。
参加者はまず池の中に参加費として定数のビー玉を置きます。
池から適当な距離(5mくらいが多かった)に線を引きます。
ここがスタートです。
順番にビー玉を転がします。
図の中から弾き出したビー玉は自分の物となります。
弾き出した場合は更に続けられます。
二度目からは転がさずにビー玉の停止した地点に
小指を置き拇と人差し指で弾きます。
図の中に自分のビー玉がとどまった場合は終了です。
ペタンの「ため」と同様にそのまま懸賞となります。
弾き出して自分がとどまった場合は弾きだしたビー玉を
図の中に戻して自分のビー玉はそのまま図の中から出せずに
終了です。
「ペタン」と異なるのは次の番が回ってこないことです。
ゲームが終了するまで見ていることしかできません。
二番手からは場に他の者のビー玉もあります。
これに当てても自分の物となります。
ですから最初に転がすとき図の中を狙わない戦略もありました。
参加者全員が転がし終わると小指をビー玉の止まった地点にたて、
弾くことでゲームはさらに続きます。
ゲームの終了は他が転がしたビー玉と
池の中のビー玉が無くなったときです。
たまに他のビー玉が無くなり池の中のビー玉を狙っているときに
池の中に自分のビー玉が入ってしまうことがあります。
この場合もゲーム終了です。
池の中に残ったビー玉は次回のゲームに持ち越されます。

参加費の定数のビー玉を置きゲームはさらに続けられます。

恥ずかしながら、これも強かったです。


めんこ ぽせいどん 12/3

房総の私の町では「ペタン」と呼ばれてました。
「面子」は直径2cm程度の小さい物で10枚くらいが
積み重なって蝋で固めてあったものを指しました。
これは拇と人差し指ではさんで指先を閉じることで
飛ばして遊びました。

さて本題のめんこ=ペタンですが
私の町では「ほんこ」と「じゃれ」と呼び分けていました。

ルールですがまず「場」がありました。
戸外では直径1mくらい、高さ5〜10cmくらいの
円錐台を砂で作りました。(海辺ですので砂は豊富にあります)
室内では座布団が「場」でした。

まずは参加者全員が一枚ずつ場に置きます。
じゃんけんで勝った者から順に番が回ってきます。
自分の「ぺたん」で他をひっくり返すと勝ち
場から出しても勝ち。
勝てば続行できます。
場から自分の「ペタン」が出ると「ため」と言って
懸賞としてストックされ次の勝者の物となります。
自分の物と他の物と複数場から出ると両方とも「ため」、
他をひっくり返して自分が場から出た場合も両方「ため」です。
この「ため」が勝負を面白くしていましたね。

誰が考えたか知りませんが、
いまでももよく出来たルールだと思います。

.....私はたいへん強い方でした。
一度も購入したことがありませんでした。
友人から貰った二枚の「ペタン」が元手で
段ボール箱で数箱持っていました。

改造(改良)も当時流行でした。
二枚以上を糊で貼り合わせて重量をだして強くするのが
一番簡単でしたが重ねすぎるとひっくり返されやすく
なりましたね。

空き缶の蓋に「ペタン」を入れて縁を金槌で叩いて
つぶし補強+重量アップを謀ったものは
「トタンバッキン」と呼ばれてました。
通常の「ほんこ」には加われませんでしたが....。
「トタンバッキン」オンリーの勝負が時々ありました。

懐かしいですね。


ぽせいどん 12/3
冒険少年クラブ画報というのは凄いタイトルですね。
当時の月刊誌を組み合わせたものですね。
冒険王、少年、少年クラブ、少年画報でしょうか
どうせなら「ぼくらの日の丸おもしろ冒険漫画少年倶楽部画報」くらいにして欲しかったですね。

昨日は・・・ ヲユキ 12/3

ゲーム屋さんに行って問い合わせますと、「冒険少年クラブ画報」は既に9月頃発売されて現在在庫なしとのことでした。
5軒ほど探して、やっと一つ中古品の有るショップを見つけて購入して、昨日は夜遅くまで遊んでいて投稿もする暇が有りませんでした(他にも新品のソフトを3作購入しましたので・・・)。
これは、町中を歩き回って様々なアイテム(レコード、TV・CMなど)を集めたり、昭和30年代〜40年代に有ったものや無かったものを当てるゲームの様です。
まだアイテムもそんなに集めていませんが、あまり面白くない・・と言った所が正直な感想です。
毎日の行動が単調な事の繰り返しで、集められるアイテムもそんなに多くはない様です(レコードは10枚?8枚集めてグループサウンズとフォークソングばかりでした、CMは1○本?)
また、このゲームに有る町並みなど・・銭湯、八百屋さん、駄菓子屋さんなどは、そっくりな所が現在でも私の住む町には有ります。
期待していただけに、少しガッカリ・・・(まだ最期まで遊んでいませんが・・・)

数日前、「めんこ 昭和30年代ノスタルジックワールド」(京都書院アーツコレクション56/平成9年10月15日 第1刷)と言う本を古本屋さんで見つけて購入しました。
野球選手、力士、TV、漫画、映画スター、他・・のめんこがオールカラーで紹介された本です。
私としましては、テレビヒーローの実写版がもっと多く収録されていれば嬉しかったのですが、めずらしいめんこも多数収録されていますので資料的な価値は大いに有ると思います。
冒頭にあります解説を読んで、全く忘れていたことで思い出したことが有ります。
『めんこのやり方にも二通りあり、一つは「うそんこ」、そして、もう一つが「ほんこ」。誰が言いだしたのか知らないが、「うそんこ」とは「うそのめんこ」を略した言葉であり、「ほんこ」とは「ほんとうのめんこ」を略した言葉である。』
私は「うそんこ」は知りませんでしたが、「ほんこ」は私たちも言っていました。
勝っても負けても、勝負が終わればお互い全て返すのが「うそんこ」、勝てば全て自分のものになるのが「ほんこ」・・同年代の子供とすればなんとか勝てたりもしましたが、上級生を相手にすると殆ど取られてばかりでした。
今思えば、上級生も最初はわざと負けて勝たせておいて喜ばせ、後半に巻き返して全て取り上げてしまう・・と言うやり方が多かった様な気がします。
大人の世界でもにたような事はよく聞きますが、子供の世界でもこの様な駆け引きを通じて社会の厳しさを身につけて行くのでしょうネ(・・なんて?)。
「いかし」、「おこし」
自分のめんこで相手のめんこを裏にひっくり返す。
「とんぼ」
自分のめんこと相手のめんこを数枚ずつ差し出しかたまりを作り、その中の一枚を使ってかたまりの中の一枚を外に出し、自分の使っためんこがかたまりの中に残っていれば勝ち。
「せみ」
「とんぼ」同じやり方で、違うのは、かたまり中の一枚を外に出すときにその一枚のめんこが裏にならないとだめ。
「三つ」
かたまりの中に有る一枚を外に出し、自分の使っためんこも外に出す。
他に、「かえし」「いろいろ」「出し」と言う遊び方も有った様です。

ぽせいどん様
おっしゃる通り、右端の一体は“?”の実写版「鉄人28号」です。
造型も、テレビドラマの鉄人とそっくりで、この9体の中では一番気に入っています。
ぽせいどんさんの鉄人も、完成される日を楽しみにしています。


食玩 ぽせいどん 12/1

右端の一体が 8+ ”?”の ?ですか
実写版鉄人28号でしょうか....。

私の鉄人製作も半月ほど中断したままで
そろそろ再開したいのですが.........。


今日は・・・ ヲユキ 12/1

書店で「昭和探偵倶楽部」(宝島社)と言う本を購入しました。
昭和30年代〜50年代のテレビ番組、雑誌、漫画、レコード、玩具などを特集した本です。
紙面は、収録内容があまりにも多岐にわたり、それぞれの事柄については詳しく収録されてはいませんが、付録にDVD(これもそれぞれの収録時間は短いですが)が有ったりと、それなりに楽しめる内容になっています。
紙面では、玩具の項目でいつかお話しした私が嘗て購入していた「DX超合金グレンダイザー(スペイザー付き)」と「UFO戦士ダイアポロン」(ブルマァクで正解だった様です)の合身セットの写真もありました。
ダイアポロンはやはり私の記憶に有るとおり他のトイよりも少し格好悪いですネ?
「バルキリー」の変形ロボットはまだ当時のものを持っています。
「オーガス」も有ったかナ?
付録のDVDを見ておりますと、「冒険少年クラブ画報」というPS2のゲームソフトのデモが収録されていました。
懐かしい昭和30年代の街を探検して遊ぶソフトのようです。
発売中と有りますので明日にでもゲーム屋さんに問い合わせてみようと思います。

それと、昨日のPHPについての投稿で訂正させて頂きます。
紙面にはCMが多く・・と言いましたが、それはリーダーズ・ダイジェスト?と混同していたようです。
同じ頃、よく読んでいましたので記憶の中で一緒になってしまったようです。
後、当時、マーク・レスターは三田 明さんに似ていると思っていました。