2004年6月分の書き込み

昨日のさまざまな書き込みから ヲアニー 6/15

「星光る」の2番は、♪一番星が 一番暗い・・♪で始まると思うが、後は忘れてしまった。
中学校の美術の先生は、ヲユキの言うとおりM先生だ。数年前、定年退職されたが、今でもときどき地方紙に寄稿されている。
先生は器用で、左右両手で字を書いたり絵を描いておられた。私もまねをして挑戦したことがあるが、難しくてやめた。

和田海苔さん、「愛と死を見つめて」は武者小路実篤の「愛と死」が原作ということは、私はわかりません。私が知っているのは、「仲よき事は美しき哉」「この道より我を生かす道なし この道を歩く」の色紙に書かれた言葉です。

美樹克彦の『カオルちゃん、おそくなぁってごめんね・・』は、「花は遅かった」という題名でしたね。私が中学生のころはやったと思いますが、美樹克彦がそれまでの歌と趣が違った歌でした。


ヲユキ 6/15

「星光る」の主題歌はテレビで2番も唄われていて、当時良く歌っていたと言う記憶がありますが、今ではそう言う記憶があるだけで歌詞は全く思い出せませんが、私も懐かしい歌です。

「記念樹」は、小学生の時バスの中でみんなで歌を唄いながら遠足に行った事がありました(遠足の時はいつも唄っていたかも?)。
その時友達の一人と合唱した歌が「記念樹」でした。
その友達は今でも良く飲みに行くときに誘いの電話をくれますが、私が行くといつも子供の頃に見たテレビドラマや漫画の話をします。
久し振りに会った時にはかしこまった口調で話していても、同じメディアを見聞きして、同じ時を共にすごした共通の思い出を共に語り合う頃にはお互いに当時の渾名で呼び合ったりして一緒にその頃の歌を唄ったりしています。

中学時代の美術の先生と言えばM先生の事かナ?
実は数ヶ月前古本屋さんでこの先生の本を見つけて購入しました。
苗字しか覚えていなかったのですが、手にとって見るとやはりその先生の本でした。
自費出版で出されたもののようです。

「愛と死をみつめて」は、大嶋みち子さん(ミコ)と河野実さん(マコ)の往復書簡をまとめて本にされました。
当時ベストセラーになったと聞きますし、現在でも古本屋さんで良く見かけます。
もう一冊同じ様なタイトルで別の本も出版されていました。


愛と死 和田海苔 6/15
「愛と死をみつめて」って、白樺派の武者小路実篤の「愛と死」が原作ですよね。「愛と死を見つめて」は見ていませんが、武者小路実篤は中学生時代に殆ど読みましたよ。

いろいろな場面が・・ サムソン 6/14
「愛と死を見つめて」は私が小学生の頃、歌とドラマで大ブームになったことがあります。漫画や小説にもなり、姉のを借りて読んだことも覚えてます。治らない病気らしいことと目のあたりを大きく包帯で巻いている姿はいつまでも心に残りました。青山さんの歌はその頃覚えて、今でも歌えます。(誰も聴いたことはないと思いますが・・)
高田美和さんと梶光夫さんの歌にも同じようなイメージがあります。♪いま〜はひとりでそ〜らにい〜る〜きみが〜・・覚えてませんが、これもドラマとなったんでしょうね。
私の姉は舟木さんのファンで、明星や平凡も一緒に随分見たものでした。あのころの明星や平凡・・もう一度見たいですね。近所には「みっちゃん」という美樹さんの大ファンの姉の友達がいて、(思えば悲しい運命の歌なのに)自分は名前が「カオル」だったら良かったのにといつも言ってました。

「記念樹」 ヲアニー 6/14

「星光る」と聞いても、ヲアニーは思い出せない。♪いま〜こそ とぉび〜たて ちかい〜もかたく〜 ひ〜とりじゃないん〜だ…♪。懐かしい!
ただ、若山彰が歌っていたかどうか、作曲は木下忠司かどうかもヲアニーはわからない。

木下忠司で思い出すのは、「記念樹」である。この歌は小坂一也が歌った。
♪さ〜くぅら〜のなえが〜 お〜きくそだつころ〜 ぼ〜くぅら〜はみ〜んな おとな〜になるんだ〜 あいつ〜とこいつ〜…♪
中学校のとき美術の先生が、授業中、記念樹の歌詞のわかる人は手を挙げよと言われ、手を挙げたのは私だけだった。
では○○さん、歌詞を黒板に書いてごらんと言われ、書いたことがある。それをみんなで合唱した。授業中、なぜこういうことを言われたのかは思い出せない。
私だけがわかったので、通信簿も美術はいい点数をつけてもらえると期待していたのだが、残念ながら淡い期待であった。


記すのを忘れておりました ヲユキ 6/14
「星光る」の主題歌を若山 彰さんが唄われていたと言うことも知りませんでした。
と、言うことはこの歌の作曲者は木下忠司さんなのかナ?
そう思って唄ってみればどことなくそのようにも思えてきます。

やはり訂正しなければならないようです ヲユキ 6/14

「岸壁の母」は二葉百合子さんでしたか・・名前が思い出せなくて・・唄われる姿やお顔はハッキリと覚えているのですが・・再三に渡る間違いをお詫び致します。

>ヲユキが中学生、高校生のころは、アニーは勉強に勤しんでいた
これは本当の事ですネ、弟の私が言うので間違いありません。
その頃の私は期末テスト、受験勉強などお構いなしで本(漫画・・もちろん小説も・・^_^;)を読み、野山を駆け回って遊び暮らしておりました。

♪今こそ飛び立て 誓いも堅く 一人じゃないんだ 仲間は夜明けよ
NHKで放送されていた(と思います)「星光る」の主題歌です。
私もこの歌は好きで、ヲアニーさんと一緒に番組を見て主題歌も一緒に歌っていた憶えがあります。
私が小学生の頃、昭和30年代後半に放映されていた番組ではなかったかと思いますが、ストーリー・出演者などは全く覚えておりません、何方か(◯◯◯秘密結社の首領さ〜ん)詳細を御存知の方はいらっしゃいませんか?


出勤前に・・ ヲアニー 6/14

「喜びも悲しみも幾歳月」は、男性コーラスで歌っていたのか。若山彰とばかり思っていた。

「岸壁の母」は見ていない。菊池章子が歌ったが、二葉百合子がリバイバルで歌って再度ヒットした。「ああ、心あらば伝えてよ…」の台詞は、二葉百合子が歌う歌で言っている。
いつかNHKの歌番組で、「岸壁の母」のモデルとなった方…端野いせさん…が出ておられた。アナウンサーが紹介したら、ゲストで出ていた漫画家の加藤芳郎も一緒に涙を流していた。

ヲユキが中学生、高校生のころは、アニーは勉強に勤しんでいた(?)から、テレビドラマや歌は余り記憶にないかもしれないのだ(^_^;)。

若山彰の声だったと思うが、♪夜明けの前が一番暗い きらめくあの星 地平の彼方 今こそ…♪
という歌の番組が思い出せない。若山彰の話から、急にその歌を思い出したのだが・・。

では、出勤の準備。また一週間が始まる。


ヲアニーさんに答えて ヲユキ 6/14
「愛と死を見つめて」はもちろん青山和子さんの歌だったと思います。
「新妻鏡」はヲアニーさんと一緒に見ていた憶えがあります。
挿入歌としても唄われていましたが、エンディングでも毎回唄われていました。
「喜びも悲しみも幾歳月(いくとしつき)」は、私が中学生のころ放映されていました。
歌は若山 彰さんではなく、男性コーラスで唄われていました。
「智恵子抄」も中学生の頃放映されていました。
当時、新聞で新番組として紹介されている記事の切り抜きを残していたと、先程まで探していましたがみつかりませんでした。
数年前に、日記など整理しているときに見た憶えがあるのでまだどこかに残している筈ですが・・・
「岸壁の母」は高校生の頃だったでしょうか?
主題歌は「・・ああ、こころあらばつたえてよ・・きょうもどとうくだくるがんぺきにたたずむははのすがたを・・」だったかナ?、の・・あれ?・・また歌手の名前が・・・アッ・・金田たつえさん?
毎回エンディングで市原悦子さんが岸壁で軍手をした手で?おにぎりを頬張っている姿が印象に残っています。
確かにヲアニーさんの言われる通り「新妻鏡」以外は一緒に見た記憶が私にもありませんから、もしかしたらヲアニーさんは見ていないのかも知れませんネ。

↓ヲユキに答えて・・ ヲアニー 6/13

ヲアニーも、たしか「愛と死を見つめて」は、島かおりが主演していたような記憶がある。
東芝日曜劇場は夜だったが、昼の番組だったように思う。島かおりが眼帯をして演じているのを見たような記憶があるが、自信がない。
私は、大空真弓と島かおりは、どこか似ているような感じで、よく間違えた記憶があるので、混同しているかもしれない。

「新妻鏡」は、覚えている。山本陽子が主演していた。♪僕が心の夫なら 君は心の花の妻 遠く寂しく離れても…♪。
「目ン無い千鳥」は挿入歌と言っていいだろうか。♪目ン無い千鳥の高島田 見えぬ鏡に いたわしや…♪
いずれも古賀メロディである。リバイバルで大川栄作が歌ったが、霧島昇の歌が私は落ち着いて聞ける。

「喜びも悲しみも幾年月」は、園井啓介が出ていたのは記憶にない。若山彰の歌う♪おいら岬の 灯台守は 妻と二人で 沖ゆく船の…♪。テレビドラマで見た記憶はあるが、出演者は覚えがない。この歌の台詞を聞いて、本当に「おいら岬」という岬があるものだと思っていたものだ。
園井啓介は、「事件記者」が強烈な印象だ。

「智恵子抄」「岸壁の母」は、見た記憶はない。歌はもちろん知っているが。


またまた訂正しなければ・・ ヲユキ 6/13
ならないようです。
今日、実家に置いている「表紙で振り返るテレビ50年」と言う本を見ておりますと、1964.3.13(82号)の表紙に大空真弓さんの写真と日曜劇場「愛と死を見つめて」についての記述がありました。
サムソンさんのおっしゃるように、ミコは大空真弓さんだったようですネ。
でも、私の記憶では「花王愛の劇場」でも見た憶えがあったのですが・・他の方だったのかなァ。
先程、チラッとこちらの方は島 かおりさんだったようにも思えてきましたが・・なんだかまた訂正しなければならない事になるかも・・・
尚、愛の劇場では他に「喜びも悲しみも幾歳月」園井啓介さん・吉行和子さん?、「新妻鏡」山本陽子さん(主題歌・めんないちどり 大川栄作)、「智恵子抄」木村功さん・佐藤オリエさん、「岸壁の母」市原悦子さん、他、古い映画、歌謡曲などや、文藝作品を多く放映していました。
夏休みなどは毎日見ていました。

ドラゴンボール ぽせいどん 6/13

もしも、願いが かなうならぁ〜
私は是非にこれが欲しい。

4時間かけてモデリングしました。


結婚式 ヲアニー 6/12

サムソンさんへ
わ・わ・私は、この歌(十代の恋よさようなら)のメロディ、歌詞と、歌手が好きなだけなのであります。(^^;)

「娘をよろしく」の司会者は、思い出しました。サムソンさん、いつもありがとうございます。西条凡児、なつかしいですね。
関西なまりで「今日も見てもらいます」と言って、いつも番組が始まったと思います。
西条凡児の人柄と話術もさることながら、嫁ぐ前に親に宛てた手紙を娘が読んで、ほろりとさせる番組でした。一般の方が出る番組でしたが、霧島昇の息子さんが出たので印象に残っています。

昨年亡くなった義父が、結婚式のときに、私に向かって深々と頭を下げ、「○○さん、よろしく頼みます」と言った。あのときは、義父の目が潤んでいた。
昨年、ヲアネーの従兄弟がチャペルで結婚式をした。花嫁の父が腕を組んでバージンロードを歩く姿を見て、父親がかわいそうに見えた。
私の娘がチャペルで結婚式をやると言ったら、私は欠席しようかな・・。


サムソン 6/12
"二枚目の神戸一郎"そうでした。それもウリでしたよね。「十代の恋よさようなら」・・以前にも書かれておりましたね。ウ〜ム、これは・・ただ懐かしいだけとは思えませんね^^・・ヲアネーさんにも言えない思い出とか・・?
"オーギョーチー"初めて聞きました。keiさん、頂かれた感想、どうでしたか?甘い?さっぱりしてる?レトロな革張りの椅子に座り、オーギョーチーを頂きながら、いつか皆さんとお話ししたいですね。
「娘をよろしく」は西条凡児さんだったでしょうか。私も何回か見た記憶ありますが、出演された方は全く・・。そうですか、霧島さんの息子さんも出演されたんですね。
ところでヲアニーさん、1つ書き忘れていたことがありました。"橋幸夫の物まねをする三田明も好きです"・・これです。我が意を得たりでしたよ^^
今日はこれから1泊で遊びに行ってまいります。お・お土産は・・ありませんので・・。

今朝の続き・・ ヲアニー 6/12

青山和子の芸名は、「青い山脈」からつけたとは知りませんでした。実は昨夜、青い山脈を神戸一郎と歌った女性歌手はだれだったかが気になり、なかなか寝つかれませんでした。
神戸一郎が歌った歌で、「ひとみちゃん」というのは私は知りません。題名からしてコミカルな歌の感じですが、二枚目の神戸一郎にはちょっと合わないイメージでもありますが、聞いてみたい気持ちもありますね。
「十代の恋よさようなら」…♪すきぃで〜 ならなぁい〜 ひ〜とぉな〜れ〜ど〜 わかぁれ〜てひぃとぉり みず〜うぅぅみぃに〜…♪。神戸一郎はこの歌が一番似合うし、好きな歌ですね。

「青い山脈」は、最初は藤山一郎と奈良光枝がデュエットで歌っていました。こういう軽快な曲には、藤山一郎の声がぴったりですね。
keiさんから紹介のあった、藤山一郎が「愛玉子」を上野音楽学校に通っていたころ食べていたとは、初めて聞くことです。
本名は増永丈夫で、音楽学校在学中に藤山一郎の名で「影を慕いて」を吹き込み、これが大ヒット。次に吹き込んだ「酒は涙かため息か」もヒットするが、芸名を使っても、あのさわやかな声が学校にわからないはずはない。学校はアルバイトは禁止で、退学させられかけたが、校長の反対で退学は免れたそうです。父を早く亡くし、稼ぐ必要があったようです。
東京に行く機会があれば、その「愛玉子」の店に行き、藤山一郎の足跡をたどりたいですね。

あと、藤山一郎の歌った古賀メロディで好きな歌は「懐かしの歌声」ですね。
♪ぎんざの〜まち きょうもくれて〜 あかいひ〜もゆ こいしとうきょ(う) こい〜しとうきょ(う) あ〜のぉま〜ど このこみち やさぁし〜のぉ や〜なぁぁぎ〜……♪。これも軽快なメロディです。

「旅の夜風」は、霧島昇とミス・コロンビア(松原操)がデュエットで歌っていました。霧島昇と松原操は結婚したので、後に九条万里子と歌ったのかもしれません。松原操は、結婚して歌手を引退しました。
先日、ある方のおかげで、霧島昇の息子さんが「誰か故郷を想わざる」を歌った歌謡番組を見る機会がありました。やはり親子なんですね。まるで、霧島昇が歌っているような錯覚を覚え、感動しました。
昭和40年代に「娘をよろしく」という番組がありました。司会者は、顔は覚えているのですが、名前は忘れました。そのときに、霧島昇の息子さんが婚約者と出ていたことがありました。

今朝(といっても夜が更けましたが)から、私にとって大変興味のある書き込みがありましたが、とりとめのないレスとなりました。外で飲んで帰ったので、書き込みはこの時間になりました。ぼつぼつ寝るとしましょう。


ボギパパさ〜ん サムソン 6/11
有り難うございました。写真と画像がいっぱい^^非常に楽しめましたです。私は音楽も大好きなので"ボギパラ・イメージスケッチ"もとても良かったです。時々拝見させてくださ〜い。

ボケが・・・。 ボギパパ 6/11
最近歳のせいか、集中力・記憶力・根気とも欠如してきまして(笑)
HP覗いて見てくださいといいながら、カキコして無かった。(汗)
今度は大丈夫。 http://www2.bii.ne.jp/~j-papaia

サムソンさん &  ボギパパ 6/11
サムソンさん始めまして、すみません私のHPのアドレス間違えていました。
以前ボトルメールのHPを作っていたときのアドレスがそのまま残っていたようです。
今は、何の事は無い愛犬をネタにした写真と絵とその合成のHPだけをアップしてあります。
そんなものでもよかったら、暇つぶしにでも覗いてください。

愛玉子 kei 6/11
オーギョーチーと読みます。台湾の木の実からつくったかんてんのよぉな食感のデザートなのですが、上野の芸大に通っていた藤山一郎さんがよく通って食べてたそぉです。kei、ときどき食べにいきます。藤山一郎さんはピアノを弾くのですが、ほとんど初見でどんな曲も弾いちゃったそぉです。練習はあまりしなかったなぁ・・とその頃のことを述べている記事を読みました。
音大の生活にはてしない憧れを持ってますkeiだから、愛玉子に行って、(店の名前も愛玉子なのです。)レトロな革張りの椅子にすわって、思いをはせるです。ここに藤山一郎が座って友達とどんな話でもりあがっていたのかなぁ。。。時には楽譜などひろげて、一人で、愛玉子のシロップなどはねちらかして食べてたのかなぁぁぁとか。

サムソン 6/11
keiさん、"ひとみちゃん"という歌、神戸さん歌ってたと思います。(・・でもメロディは全く浮かばず・・)
"青い山脈"はイントロも軽快で素晴らしいですよね。最初は藤山一郎さんがデュエットで歌われたんですよね。藤山さんの歌は幼い頃だけでなく、後になっても懐メロ番組などで何回もお聴きしました。"丘を越えて"や"東京ラプソディー"と並んでよく歌われていたのを思い出します。紅白で"蛍の光"の指揮もよくされてましたね。
ヲユキさん、手をぐるぐる回して歌っていた"ゴーゴーゴー"の「回転禁止の青春さ」懐かしいです。「赤いヘルメット」歌詞は私も忘れましたが皮ジャンにヘルメットを抱えて歌っていたと記憶しています。それから「大嫌いだ 白い雲なんて・・○○○○ー」流行りましたね。
「愛と死をみつめて」は山本学さんと大空真弓さんではないでしょうか。

再び訂正致します ヲユキ 6/11
昨夜の投稿で記した事は殆ど間違っていたようです。
今日も仕事をしながら♪ゴーゴーゴー レッツゴーゴーとハミングしておりますと、昨日はハッキリしなかったその先の歌詞が思い出せました(実はこの歌も数週間前に聴いたばかりだったのですが)。
(♪回転禁止の青春さ〜・・って、あれ?「赤いヘルメット」じゃなかったの?この歌のタイトルは「回転禁止の青春さ」のようだけど・・とすると「赤いヘルメット」はどんな歌詞だったのかナ?
ウ〜ン、思い出せない・・でも私が小学生の頃歌謡番組で見たライダーのコスチュームに身を包みオーバーアクションで唄われていたあの印象的な振り付けは覚えているのに・・どちらの歌だったのかナァ?)
更に、本間千代子さんが舟木一夫さんと共演(前回記した「競演」訂正致します)されていた映画は「仲間たち」ではなかったようです。
「仲間たち」は浜田光夫さんと松原智恵子さんが共演されていた映画だったと思います(舟木一夫さんも出演されていました)。
どのような映画で共演されていたのかタイトルはまだ思い出せません。
青山和子さんと言えば♪マコ あまえてばかりでゴメンネ・・が思い出されます(ハッキリと思い出せるのはこの歌だけですが)。
確か小学生の頃「花王愛の劇場」というお昼過ぎの番組で「愛と死をみつめて」が放映されていて、ミコは・・・あれ、顔は思い出せるのに名前が出てこない、マコは??学さんだったと思いますが・・ウ〜ン、これもハッキリしない。
数年前までハッキリと覚えていた事でも最近は歳を重ねるにしたがってどんどん不確かなものとなって行くようです。
ウ〜ン・・認めたくないものだな・・老い故の自分自身の記憶違いと言うものを・・・♪ウ〜ン、気分は◯い水星(彗星)のシοο、って私ではキャラクターが違いすぎますネ。

神戸一郎って kei 6/11
かんべいちろう と読みますか?
ひとみちゃん?♪ひっとみちゃん〜〜ひっとみちゃん〜〜
って歌ってました?
青い山脈は映画の中でみんなで自転車こぎながら歌っていたのを記憶してまぁす。あでも、リバイバルのテレビ映画で見たのかもしれない。
♪わぁかくあかるい 歌声にぃ なぁだれは消える花も咲く〜
あぁあおい山脈 雪わりざぁくぅら〜 
と記憶してました。歌詞まじってしまったかな・・・

サムソン様、思い出しました・・ ヲアニー 6/11
♪わ〜かくあかるいうたごえに〜 な〜だれはきえる……あ〜めにぬれてるやけあとの〜…♪
そうです!サムソンさん、神戸一郎と歌っている青山和子の顔を思い出しましたよ。
またまた、のどの骨のつっかえを取っていただいたような気持ちです。ありがとうございました。
今朝はとりあえずこれにて失礼。

サムソン 6/11

昭和30年代〜40年代の歌手・・ムム・・就寝時間変更。

ボギパパ様、私も初めましてです。よろしくお願いいたします。(早速H.P.に・・と・・どうしても何も拝見できないページにしか・・この現象は自分だけでしょうか?またトライしてみますね)

ヲユキ様、ヲアニー様。モノクロTVの画像、有り難うございました。
我が家で見ていたTVもあのような感じでした。左のダイヤルが電源と音量調節、右がチャンネルでガチャガチャ音がしました。小さな調節つまみもあのようなのが幾つか付いておりました。主題歌の聞こえてきそうな画像拝見できて嬉しかったです。

松山容子さんというとよく見ていたのは「琴姫七変化」ですね。くれないお仙も覚えております。大信田礼子さん、本当に久し振りのお名前です。(ドキドキで見てた気が・・)それから大塚のボンカレー。"大塚"提供の番組が幾つもあった気がします。「ナニワチエコでございます・・」なんていうCMもありましたか?

青山和子さんの芸名は「青い山脈」の青山から付けたと聞きましたので
神戸さんのデュエットの相手は青山和子さんと思います。いつか蘇州夜曲を歌われた方について混乱したことがありましたが、「旅の夜風」も(多分)様々な方が歌われていますよね。この間、霧島昇さんや息子さんの話題をきっかけに改めて他の曲も聴きたくなり、コロンビアから出ている「懐かしの歌声名曲集」、霧島昇さんのCDを買いました。この中で「旅の夜風」は霧島さんと九条万里子さんという方のデュエットでした。もともとはミス・コロンビアさんとでしょうか。九条万里子さんと同一人物ということはありませんよね。
ヒロイン名をそのまま使われた高石かつ枝さんがお一人で歌われているのは何回か拝見しましたが、デュエットされた人は・・分かりません。

「本間千代子・・高石かつ枝と並んで、あこがれの・・」(い・異議なし!)
アキとマキの交換日記、美樹克彦さん、赤いヘルメット、(一週間のご無沙汰〜)「ロッテ歌のアルバム」・・1つ1つ反応したいんですが今日はもうここまで。また眠れなくなりそうですので、この辺で。(読み返したら・・このまとまりないこと。でもこのままボタン押しま〜す)


訂正致します ヲユキ 6/10

本間千代子さんの「三百六十五夜」、高石かつ枝さんの「旅の夜風」も持っていませんでした。

本間千代子さんの「愛し合うには早すぎて」は舟木一夫さんと競演された「仲間たち」(今手元になく調べることが出来ませんので、違っているかもしれませんが)の挿入歌だったような気がします。
この映画のビデオソフトもレコードも持っています。


確かに・・・ ヲユキ 6/1

ヲアニーさんの言われるように、私も美樹克彦さんの歌は当時の現代っ子の歌と後年思った事があります。
でも、当時はそれ程区別がつかなくて、子供の頃の印象で今でも混同してしまうことが多いです。
当時歌謡番組を見て覚えているのは、美樹克彦さんがオートバイの横で後ろ向きに立って、脇に赤い(当時はモノクロでしたので断言出来ませんが^^;)ヘルメットを抱え、前奏が始まり歌い出し♪ゴーゴーゴー レッツゴーゴーのところで持ったヘルメットを振り回すと言う歌い方をされていた事です。
当時はそのようなオーバーアクションで唄われる歌手はあまりいらっしゃらなかったので良く覚えて(って、これも時がたつにつれてその情景を忘れつつあります、数年前までは今よりも鮮明に覚えていた筈ですが・・・)おります。
曲のタイトルはもちろん「赤いヘルメット」でした。
井沢八郎さんの歌で印象に残っているのは他に「北海の満月」があります。
この歌を聴くと当時ラヂオから流れ聴いていた頃の情景も同時に蘇って気ます。
山田太郎さんの「幸福はこだまする」はヲアニーさんの言われる通りの歌です。
神戸一郎さんの「青い山脈」は私も当時テレビドラマの主題歌として聴いたことがあり懐かしい歌です。
確かに女性歌手とデュエットされていましたが、誰だったのか私も思い出せませんし、CDなど探すのですがまだ収録されたものをみたことはありません。
数日前、私たちの地方で開局当時から一日も休まずに(実際は一日だけ放送されなかった日があります、それは・・・)放送されているラヂオリクエスト番組「音楽の○○」で流れてきました。
この番組は、仕事をしながら毎日聴いておりますので、懐かしい歌が流れてくるとつい一緒にハミングしてしまいます。
尚、ヲアニーさんが記されている歌は「青い山脈」を除いて、全て持っています。
聴きたい曲があれば、また帰宅したときに一緒に聴きましょう。

ヲアニーさんの「ロッテ歌のアルバム」の花束を持って歌手に渡していたと言う場面は書込をみて思い出しました。

ボギパパ様
「西遊記」は発売されていなくて残念でしたネ。
でも、検索したときにかなりの方がDVD化を希望されていると感じました。
今までに発売されたソフトにも、そのような経緯で発売されたDVDなど多数ありますから、ソフトメーカーにこのような希望が多数届けば、いつか発売される事もあると思います。


↓訂正 ヲアニー 6/10

井沢一郎→井沢八郎でした。
それから、神戸一郎が高石かつ枝とデュエットで「旅の夜風」を歌ったと書き込みしましたが、勘違いかもしれません。神戸一郎は「青い山脈」をデュエットでだれかと歌っていたような気がしてきました。

ボギパパ様、初めまして。ヲユキの兄のヲアニーと申します。よろしくお願いいたします。
おっしゃること同感です。お笑い番組でも、人を嘲笑したような内容で、見るに耐えませんね。
最近でも、プロ野球で立派な功績を残した方を○○○に見立ててお笑いを誘うと思ったら、後でひんしゅくを買い、アナウンサーがわびるような番組があったり、歌でも歌詞が聞き取れない歌い方をする歌手が多くなりました。


昭和30年代〜40年代の歌手を思いつくままに・・ ヲアニー 6/10

山田太郎が歌った歌を、ヲユキの書き込みを見て思い出した。
「幸福はこだまする」は、♪しあわせは しあわせは こ〜だまぁすぅる〜 ま〜ちぃのたにまぁに あ〜お〜ぞぉら〜に〜…♪という歌だったと思う。
確かに山田太郎、美樹克彦、井沢一郎は同時代の歌手ではあるが、歌のジャンルが違う。山田太郎は青春歌謡、美樹克彦はあの当時の現代っ子調の歌、井沢八郎は演歌調という区分けになるだろうか。

玉置宏が司会した「ロッテ歌のアルバム」で、その当時出ていた歌手を、思い出すままに挙げてみます。
・高石かつ枝…いつか書き込みした「リンゴの花咲く町」が特に印象に残っている。♪あ〜お〜いセーター スラックス〜…♪。たしか、神戸一郎とデュエットで、リバイバルの「旅の夜風」を歌い、高石かつ枝としてデビューしたと思う。
・本間千代子…これが題名かは自信がないが、「愛し合うのは早いのね」という歌を歌ったが、やはりリバイバルで歌った古賀メロディ「三百六十五夜」が印象深い。♪み〜どりぃ〜の か〜ぜ〜に〜 おぉくぅれげぇが〜♪。テレビでリメイクされた「三百六十五夜」に出演し、その歌も歌っていた。高石かつ枝と並んで、あこがれの歌手でした。
・こまどり姉妹…「ソーラン渡り鳥」がいいですね。♪つ〜がる〜の う〜みぃを〜こ〜えてぇきぃた〜…♪。祖母がこまどり姉妹のフアンでした。
・青山和子…「愛と死を見つめて」ですね。本人も泣きながら歌っていたと聞きました。
・コロムビアローズ(2代目)…「智恵子抄」ですね。
・舟木一夫…何といっても「高校三年生」ですが、私は「学園広場」も好きです。♪そ〜ら〜に む〜かぁってあげぇたぁてに〜 わ〜かさ〜がい〜っぱぁい と〜んで〜いた〜…♪。カラオケでときどき歌います。
・三田明…「美しい十代」もいいですが、橋幸夫の物まねをする三田明も好きです。
・梶光夫…「青春の城下町」「アキとマキの交換日記」が思い浮かびます。
・久保浩…「霧の中の少女」を思い出しました。
・望月ひろし…名前を思い出しました。
今の歌番組では余り見かけませんが、ロッテ歌のアルバムなどの歌番組では、女性が花束を持って好きな歌手に渡していました。


ヲユキ様 ボギパパ 6/10

レスありがとうございます。
ですよねぇ。私もいろいろ調べて見たんですが、無い。
でも女房は何処かで見たとか?
考えて見たら、きっとブートレッグ商品じゃないかと思われます。
お手数かけました。ありがとうございます。

ここのBBSはあまりカキコしていませんが、
ヲユキさんを始め皆さんのお話を楽しく懐かしく拝見させて頂いています。
と言うのも、私は皆様のような知識&記憶の持ち合わせが無く
ただただ、「あそうだったなぁ」「おっ!思い出した」と皆様の会話を
楽しんでいます。
ただ言えるのは、歌にしろ・漫画にしろ・TV番組にしろ、昔は良かったな、と思うことだけ。
今の歌はリズムだけで歌っているような?歌詞の区切りも変>
 漫画は絵が汚い。TV番組はやたらお笑い芸人を起用して安作り。
全部が全部ではありませんが、こんな感想です。
こんな私はやはり年寄りなんでしょうか(笑)
これからも楽しい懐かしい話題をカキコしてくださいね。


ボギパパ様 ヲユキ 6/10
ここ数年、毎月発売されるDVDは殆どチェッックしていましたが、「西遊記」は発売された事が無いと思いました。
正確を期するため「西遊記 DVD 夏目雅子」でも検索致しましたが、やはりまだ発売されていないようです。
テレビでの再放送はなんどもありましたので、私も何度か見たことがあります。

もしかしたら・・・ ヲユキ 6/10

ブラックデビルの歌を美樹克彦さんと一緒にデュエットされていたのは井沢八郎さんかもしれません。
私は山田太郎さん、美樹克彦さん、井沢八郎さんそれぞれ御三方ともに、当時唄われていた歌、姿、雰囲気が似ていたように思え、良く混同してしまいます。
今日、何となく「ああ上野駅」をハミングしていて、突然井沢八郎さんのお名前を思い出し(その時までこの歌も山田太郎さんが歌われていたと思っていました、何かおかしいとは感じておりましたが・・って、おかしいのは私・・・)と、同時にブラックデビルの歌を唄われていたのももしかしたら井沢八郎さんだったのでは・・と思い当たりました。
今となってはハッキリとした事は言えませんが、山田太郎さんか井沢八郎さんのどちらかが唄われていた事は間違いないと思います。

昨日、ヲアニーさんと話していた大信田礼子さんが出演されていた番組は松山 容子さん主演の「旅姿くれないお仙」(このタイトルも昨日は全く思い出せませんでした)ですネ。
久保菜穂子さんの「女殺し屋花笠お竜」の方はカルーセル麻紀さんです。
この事もずっと気になっていて、今日一日考えていてやっと思い出せました。
お二人ともミニの和服?(当時流行っていたミニスカートの時代劇版?)姿で「素浪人月影兵庫」の「焼津の判次」さんと同じように主人公と共に旅をして事件にまきこまれると言う展開でしたネ。
松山 容子の時代劇では他に「○○○のお市」と言う番組もあり父と一緒によく見ていました。

ヲアニーさんが思い出した歌は「海の次郎丸」ですネ。
この番組にも松山 容子さんが出演されていました。


西遊記 ボギパパ 6/9
みなさんこんばんわ、お久しぶりです。
このところ犬のネット仲間のオフ会の幹事でバタバタしていました。
今日はお尋ねです。
最近、故・夏目雅子さんのCMを懐かしがっているボギパパですが、
以前昔、夏目雅子・堺まさあき・西田敏行さん達が出演した「西遊記」という
TV番組のビデオかDVDが発売されているかどうかの情報ありますでしょうか。
うちの愚妻が探しているもので、知っていたら教えて欲しいんですが・、
私の知る限りでは、再放送はあったようですが発売は???です。
知っていたら教えて頂きたいのです。よろしくです。

私も今日はこちらにレスです。 ヲユキ 6/9
私も、カセットを購入して聴くまではそれ程ハッキリと覚えていた歌はありませんでした。
でも歌を聴いている内に、当時良く聴いた歌だったと思い出す事が出来ました。
今日、実家に帰って持ち帰っていたテープを聴いてみました。
カセットには「新聞少年」から始まり、「清く明るく美しく」、「清らかな青春」(デビュー曲とは知りませんでした)、「明日を信じよう」、「あの星は君の星」、「エンピツが一本」、「東京にの仲間たち」、「友情の歌」、「あの娘が恋をつれてきた」、「東京の空だって」、「お巡りさんありがとう」、「幸福はこだまする」、他カラオケ4曲が収録されていました。
タイトルだけではわからないかもしれませんが、お聞きになればサムソン様もきっと当時聞いた歌と思い出されると思います。
カセットにはvol.1とありましたので、vol.2なども発売されているかと探しましたが見つけることは出来ませんでした。
「神州天馬侠」(イに夾と言う字ですが、IME、ATOKなどでは変換されないようですし、これらの文字でも間違いではないようです)の歌も山田太郎さんが歌われていたとは、全く知りませんでした。
私が覚えているのは主題歌とテンディング(クロの歌?)のメロディと歌詞だけで歌われていた方までは覚えておりませんでしたので初めて聞く情報です。
詳細については、最近全くお見掛けしないあのお方なら(○○○秘密結社の・・・)ハッキリしたことを御存知かもしれませんネ。
私の持っていた音源はオリジナルの歌手ではありませんし、「戦え!オスパー」も私の持っている音源はオリジナルではありませんから山田太郎さんの歌ではありません。
検索で調べてみますと、テレビでは山田太郎さんが歌われていたようですが放映当時発売されたレコードにも他の方が歌われたものもあったようです。
「どっこい野郎」はおっしゃるとおり「どっこい大作」の歌でしょう。
レコードは持っておりませんのでちょっと曖昧・・でも、放映当時何度かテレビで見て好きになった歌の一つでした。
ドラマには大鵬も出演されていました。
「好きさブラックデビル」と言う歌でしたか?この歌も私が聴いたのは一度だけで、たまたまテレビを見たときに美樹克彦さんとデュエットしておられましたが、唯、その歌われる時の演出(舞台設定)があまりにもひどく惨憺たる有様できのどくに思えたものです。

ぽせいどん 6/9
「素浪人月影兵庫」は.......
後にそのままそっくり「花山大吉」になりましたね。
♪男意気ならぁー焼津の判次(品川隆二)

モノクロTVU ヲアニー 6/9
2枚目です。ブラウン管(?)を開いたものです。
卓袱台が跳ね上がっています。歌の中でこのシーンがありましたね。

モノクロTVT ヲアニー 6/9

サムソンさんもお忙しかったようですが、久しぶりに連続で書き込みを拝見し、私も書き込み意欲がわいてきました。

山田太郎で思い出すのは、やはり「新聞少年」ですね。
♪ぼくのあだなをしってるかい ちょうかんたろうというんだよ〜…けさもでかけに かあさんが〜 くろぉをかけるとないたぁっけ〜…♪
デビュー曲は「新聞少年」だとばかり思っていました。「清らかな青春」は、聞けば思い出すかもしれませんが、今はわかりません。
中学時代に同級生が、この歌に刺激されたのか、夏休みに新聞配達のアルバイトをしていました。
「神州天馬侠」は、♪く〜ちびるかん〜で〜 ま〜ゆあげて〜…あ〜しんしゅう〜てんまきょお〜♪
だったと思いますが、いつかヲユキとこの歌の話になったときに、私は間違えて次の歌を歌ってしまいました。
♪きみのほほに な〜がれるの〜は それはな〜みだじゃな〜い み〜えな〜いなみの〜 し〜ぶき〜が…♪この歌は覚えているのですが、題名がわかりません。
山田太郎もいろいろな歌を歌っていたのですね。しかし、サムソンさんが列挙されているのは私も残念ながら知りません。

「素浪人月影兵庫」は、親父が好きで一緒に見ていました。松方弘樹の父の近衛重四郎(字は自信なし)が月影兵庫で、品川隆二が相棒役で出ていたと思います。

さて、今日帰ったらヲユキの車が駐車していました。もしかしたら、昨日のサムソンさんと私の書き込みを見て、兄に似て律儀(?)な弟だから来るのではと思っていました。
皆さんのご要望にこたえて…といってもサムソンさんしかなかったかな…モノクロTVを掲載します。
P師匠にはまだまだ及ばず、一挙に2コマの貼り付けができないので、まず1枚目を貼り付けます。ピンぼけで申しわけありません。


こちらにレス サムソン 6/9
山田太郎さんの歌は覚えていてすぐ出てくるのは2曲だけですが、調べてみて歌われた曲の多さに驚きました。昨年も出されており、61枚(シングル)のレコード・CDがありました。青春歌謡に含まれるものも多いと私も思います。昭和38年の「 清らかな青春」というデビュー曲からスタートし、青春や友情を歌っているものも多いです。聴いたことはありませんが、目に止まったものを・・
昭和42年「牛乳少年」(し・知らない・・)
昭和42年「神州天馬狹 」(字が違うような・・このBBSでも話題にされる番組のあの主題歌は山田さんだったのかどなたかご存知でしょうか)
昭和48年「どっこい野郎」(これが「どっこい大作」のでしょうか)
昭和57年「回転禁止の新聞少年」(な・何だ?高田文夫氏作詞なのでこれもパロディ?)
昭和57年 「好きさブラックデビル」(美樹克彦さん作曲。一緒に歌ってました?)
最後の2曲はカップリング・・じゃなくてA面、B面の1枚のレコード
だったようです。

おっしゃる通り! サムソン 6/9

「昔のモノクロTV・・スイッチを入れるとTV画面の蓋が開き・・」
・・記述を拝見しただけで見たくなってしまいます。

実際のそのバッキーの試合も、「巨人の星」のその場面も見てましたよ。何だか嬉しくなりました。荒川とバッキーが退場処分になりましたよね。バッキーに代わった権藤がまた王にぶつけ大騒ぎになりました。
そして長嶋のホームランでした。以前にも言った気がしますが、私は巨人以上に大の長嶋ファンです。活躍に胸を躍らせたのはもちろんですが、引退された時のことや解任された時のことなどいつまでも忘れることはできません。(早くまた元気な姿見せてもらいたいですね)

ところで、私の覚えている「一心太助」(山田太郎さん主演でした)は昭和40年代(後半?)だったと思いますのでヲアニーさんがご覧になったのよりかなり後のだと思います。少し思い出していたのですが、それよりちょっと前だったでしょうか・・(焼津の半次も懐かしい)「素浪人月影兵庫」という番組を毎週、皆で見ておりました。こちらの方は「一心太助」より鮮明に覚えております。やはり時代劇というのは娯楽の定番でしたね。


「巨人の星」に関連して ヲアニー 6/8

ヲユキへ、そのテレビの造型について、何となくイメージはできたが、デジカメで撮ってこのBBSに公開した方がいいと思うが、どうだろうか。
その方が皆さんが楽しめると思うのだが・・(本当はヲアニーが見てみたいのだ。)

以前にこのBBSに書いたが、私は「巨人・大鵬・卵焼き」の時代に育ったから、理屈抜きで巨人フアンである。「巨人の星」は、中学、高校時代に放映され、よく見たものだ。
巨人・阪神の実際の試合を、巨人の星のストーリーの中にうまく取り入れたシーンを忘れることができない。原作者の梶原一騎の発想に、敬意を表したものだ。
たしか、そのときの実際の試合は、次のとおりであったと記憶している。
阪神のピッチャーはバッキーで、王に対して2球続けて危険な球を投げた。激怒した荒川コーチがバッキーめがけて突進すると、全員入り乱れての大乱闘。バッキーは指にけがをし、ピッチャーは交代(だれかは覚えていない)。
しかし、交代したピッチャーから王は頭部にデッドボールを受け、またまた両軍入り乱れての大乱闘。王は、担架に乗せられて退場。
その直後、長嶋がホームランを打った。あのときの長嶋は興奮して、ダイヤモンドを回るとき何回も諸手を挙げてホームインした。
巨人の星のストーリーは、王がデッドボールを受け、両軍入り乱れて乱闘をしているときに、次のバッターの長嶋だけが冷静に打順を待って、その乱闘に加わらなかったことに星飛雄馬は納得がいかない。しかし、ホームランを打った長嶋を見て、これが本当の勝負師だと感動するというストーリーであったように思う。
私の友だちにも、大の長嶋フアンがいる。若いころ、巨人の星のあのシーンを、二人で熱っぽく語り合ったものだ。
バッキーは、あの出来事で指にけがをし、投手生命を絶たれたと記憶している。


レトロTV劇場(シアター) ヲユキ 6/8
昔のモノクロTVの形をしたBOXのスイッチを入れるとTV画面の蓋が開き、中に組み込まれたフィギュアが動き(ゼンマイ仕掛のようです)、主題歌の一部分が(約20秒、これは実際の主題歌をICに録音したもののようです)流れると言うものです。
全4種で、「科学忍者隊ガッチャマン」「巨人の星」「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」がありました。
ネロとパトラッシュの最終回の場面にも惹かれましたが、私が購入したのは「巨人の星」。
実際に動作させて見ると以外と面白いと思いました。
確かオープニング(エンディングだったかナ?)にあったと思いますが、その一齣を再現したものです。
食卓で星一徹が飛雄に手をあげ、卓袱台が跳ね上がり、飛雄が仰け反り、明子さんが部屋の隅でビックリしていると言う場面です。
このフィギュアは、バックに障子の星家の食卓、一徹、卓袱台、飛雄、明子さんなど全て動くようになっています。
テレビは古いモノクロテレビの造型ですが、フィギュアはモノクロではなくカラーになっています。
フィギュアは小さなものですが精巧に造型・彩色されていて顔の表情まで細かく描き込まれています。
これも価格の20%OFFで購入致しました。

おはようございます ヲアニー 6/8
実は、サムソンさんと同じように、「心太」で「一心太助」を連想しました。
私が小学校1年か2年のとき、まだ我が家にテレビがないときに、近所でNHKで放映された一心太助を見せてもらった記憶があります。そのときの一心太助役は、たしかフランキー堺だったと・・違うかもしれませんが。

しんた 和田海苔 6/8
ヲアニーさんの書き込みがなければ、ずっと「しんた」と読み続けるところでした。ちなみに、女房に「心太」読ませてみると、「こころふと」でした。

連想 サムソン 6/7

「心太」・・写真と書き込みに誘われ、今夜は夕食と共に我が家でもいただきましたです。
心太→一心太助(ちょっと強引?皆さん見てました?)→ 山田太郎→「新聞少年」と「戦えオスパー」
♪お〜きなこ〜えでよんでごらん(この歌書くの2回目) という(フランクさんと違い)山田さんの高めの声が頭の中に響きます。 日本テレビが放送したテレビアニメとしては、第1作らしいです。 テレポートとか念力などの超能力を使うSFアニメで、楽しみに見ていたことを思い出します。 でもマイナー作品だったらしくてあまり話題になりませんね。

昨夜教えていただいたグリコのH.P.を見てましたら関東、甲信越、静岡 6月8日発売 となっておりました。第4弾を見ると地域によって発売日が4〜5ヶ月も違うんですね。
(P.S. DVD探偵団、依然見つからず)


「心太」と表記するとは・・ ヲアニー 6/7
知りませんでした。恥ずかしながら、写真が載っていなかったら私は読めませんでした。
調べてみると、正倉院の宝物文献にも書かれているそうで、古くは「古々呂布止(こころふと)」とも称し、後に「心太」となり、「こころたい」→「こころてい」→「こころてん」→「ところてん」に変化したという説があるようです。一つ賢くなりました。
天草を煮てつくるそうですが、我が家は海から離れているからなのか、買って食べることしかありません。
「心太」の欲しい季節となりました。夕食のビールも、350mlから500mlの缶ビールに切り替えました。

心太 ぽせいどん 6/6

昨日、夏日でしたので
今季初めての心太を作りました。

でも今日の房総は雨、肌寒いです。
しかし先ほど賞味。海の味がいたしました。


シェンロンの次 和田海苔 6/5
ピッコロとフリーザとセルと魔人ブーをお願いします。

あきら 6/4
わあー、シェンロンだ。
それもふたつとも。
その次はピッコロとフリーザーとセルをお願いします。

神龍 ぽせいどん 6/3
地球版もモデリングすることにしました。
製作工程掲載いたします。

フォスターの名曲 ヲアニー 6/3

「春風」は、「主人は冷たい・・」が元歌とは知りませんでした。たしか、小学校の音楽の授業で「春風」を習ったので、それが強烈に印象に残っています。
♪ふ〜け そよそよふ〜け〜 はるか〜ぜよ〜 ふ〜け はるかぜふ〜け〜 やなぎのいとに〜…♪

「ネリー・ブライ」は、小学校の運動会のときに行進曲で使われていたと書きましたが、「故郷の人々」などと一緒にメドレーになって、行進曲風にしてあったように思います。
15年ほど前にNHKの歌謡番組でこのメロディを聞き、当時を懐かしく思い出しました。曲名も「ネリー・ブライ」だと、そのときに初めて知りました。
2年前にその曲が入ったCDを購入し、今は通勤途中の車内で聞く曲の一つになっています。

このごろ、インターネットの検索方法を覚え、フォスターで検索したら見つけました。押しつけがましいようですが、よかったら聞いてみてください。

「主人は冷たい土の中に」>>http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/douyou-syouka/04gaikok/aruzi_k.htm
「ネリー・ブライ」>>http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/foster/sound/n_bly_k.htm


↓ミスしました(汗 上月夏夜 6/2

友人から面白い画像をもらったので(笑。
ご無沙汰しております。
なんとか体の調子もみじんこ程良くなり、ちょくちょく
更新できております。
アンケートなどもとっているので見に来てくださいね^^

ところで、シェイドっていくらくらいするでしょうか?
立体画像をどうしても作りたくなってきて…。
ポセイドンさんが昔、さっさって作ってくれたハートの
画像とか、自分でいつか作ってみたいです。

PS.本必死で探しています(汗。この間大掃除した時に
間違えてどこかに仕舞ってしまったようです。
急ぎます


フォスターと言えば ぽせいどん 6/1
「春風」でしょうか.....。
元題が「主は冷たき土の中に(下にだったか)」
と知ったときは驚きました。
メロディーが「春風」と呼ぶには淋しげな理由が
判った気がいたしました。

おはよぉございますぅ kei 6/1
小学校の頃、受験生のおにぃさんの居るお宅に遊びに行ったときに、得意になって、『故郷の人々』を大音量でピアノで弾いて怒られた記憶があるですぅ。
サムソンさん、ヲアニーさん戻るなら小学校時代ですけど、大人もままで戻りたいなぁ。頭および、待遇も戻ってしまったじゃ、また同じ事の繰り返しで感動なしで終わっちまいますよぉ〜。
体は小学生、中身はこのkeiで帰れたら、さぞやおもしろいだろぉ。いじめっこに、仕返しできるぞ。あの頃より、かなり意地悪になってるからなぁ〜わはははは!!!

小学生のころ聴いた曲etc. ヲアニー 6/1

小学校のその担任の先生に、授業が始まる前にオルガンを弾いて聴かせてもらった曲が、フォスターの「故郷の人々」でした。この曲は、必ず目をつぶって聴かされました。
フォスターの曲は、「草競馬」「オールドブラックジョー」「おおスザンナ」等々を授業で習いましたが、「ネリー・ブライ」という曲に私は惹かれます。この曲は授業では習っていません。
このメロディーを15年ほど前にNHKのある歌謡番組で聞きましたが、いつか、どこかで聞いた記憶がありました。
しばらく考えたら、小学校の運動会の行進曲に使われていたのを思い出しました。この曲が入っているCDを2年ほど前に見つけ、すぐ購入しました。フォスターの曲を聞くと、郷愁を感じます。
サムソンさんに同じく、なろうことならもう一度子どものころに戻りたいですね。

サムソンさん、「有楽町でまた逢いましょう」ですが、通勤ラジオで聞かれたとのこと。私もラジオを聞きながら車通勤していますが、気がつきませんでした。
題名を聞く限り替え歌のようですが、サムソンさんが言われる「懐かしい香りのするメロディのお好きな方は…」に惹かれ、機会を見てCDを探してみることとしましょう。

フランク永井の歌で好きなのは、「大阪ぐらし」です。♪あ〜か〜いゆうばぁえ つ〜てんかくも〜 そ〜め〜てもえて〜る ゆ〜ひがおかよ〜…♪
以前の部署で一緒に仕事をしていた一回り下の後輩と今でもときどき飲むのですが、その後輩が「公園の手品師」という歌を歌います。
これもフランク永井の歌です。私はこの歌は知らなかったのですが、後輩に教えてもらって覚えました。