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「星光る」の2番は、♪一番星が 一番暗い・・♪で始まると思うが、後は忘れてしまった。 和田海苔さん、「愛と死を見つめて」は武者小路実篤の「愛と死」が原作ということは、私はわかりません。私が知っているのは、「仲よき事は美しき哉」「この道より我を生かす道なし この道を歩く」の色紙に書かれた言葉です。 美樹克彦の『カオルちゃん、おそくなぁってごめんね・・』は、「花は遅かった」という題名でしたね。私が中学生のころはやったと思いますが、美樹克彦がそれまでの歌と趣が違った歌でした。 |
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「星光る」の主題歌はテレビで2番も唄われていて、当時良く歌っていたと言う記憶がありますが、今ではそう言う記憶があるだけで歌詞は全く思い出せませんが、私も懐かしい歌です。 「記念樹」は、小学生の時バスの中でみんなで歌を唄いながら遠足に行った事がありました(遠足の時はいつも唄っていたかも?)。 中学時代の美術の先生と言えばM先生の事かナ? 「愛と死をみつめて」は、大嶋みち子さん(ミコ)と河野実さん(マコ)の往復書簡をまとめて本にされました。 |
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「愛と死をみつめて」って、白樺派の武者小路実篤の「愛と死」が原作ですよね。「愛と死を見つめて」は見ていませんが、武者小路実篤は中学生時代に殆ど読みましたよ。 |
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「愛と死を見つめて」は私が小学生の頃、歌とドラマで大ブームになったことがあります。漫画や小説にもなり、姉のを借りて読んだことも覚えてます。治らない病気らしいことと目のあたりを大きく包帯で巻いている姿はいつまでも心に残りました。青山さんの歌はその頃覚えて、今でも歌えます。(誰も聴いたことはないと思いますが・・) 高田美和さんと梶光夫さんの歌にも同じようなイメージがあります。♪いま〜はひとりでそ〜らにい〜る〜きみが〜・・覚えてませんが、これもドラマとなったんでしょうね。 私の姉は舟木さんのファンで、明星や平凡も一緒に随分見たものでした。あのころの明星や平凡・・もう一度見たいですね。近所には「みっちゃん」という美樹さんの大ファンの姉の友達がいて、(思えば悲しい運命の歌なのに)自分は名前が「カオル」だったら良かったのにといつも言ってました。 |
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「星光る」と聞いても、ヲアニーは思い出せない。♪いま〜こそ とぉび〜たて ちかい〜もかたく〜 ひ〜とりじゃないん〜だ…♪。懐かしい! 木下忠司で思い出すのは、「記念樹」である。この歌は小坂一也が歌った。 |
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「星光る」の主題歌を若山 彰さんが唄われていたと言うことも知りませんでした。 と、言うことはこの歌の作曲者は木下忠司さんなのかナ? そう思って唄ってみればどことなくそのようにも思えてきます。 |
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「岸壁の母」は二葉百合子さんでしたか・・名前が思い出せなくて・・唄われる姿やお顔はハッキリと覚えているのですが・・再三に渡る間違いをお詫び致します。 >ヲユキが中学生、高校生のころは、アニーは勉強に勤しんでいた ♪今こそ飛び立て 誓いも堅く 一人じゃないんだ 仲間は夜明けよ |
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「喜びも悲しみも幾歳月」は、男性コーラスで歌っていたのか。若山彰とばかり思っていた。 「岸壁の母」は見ていない。菊池章子が歌ったが、二葉百合子がリバイバルで歌って再度ヒットした。「ああ、心あらば伝えてよ…」の台詞は、二葉百合子が歌う歌で言っている。 ヲユキが中学生、高校生のころは、アニーは勉強に勤しんでいた(?)から、テレビドラマや歌は余り記憶にないかもしれないのだ(^_^;)。 若山彰の声だったと思うが、♪夜明けの前が一番暗い きらめくあの星 地平の彼方 今こそ…♪ では、出勤の準備。また一週間が始まる。 |
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「愛と死を見つめて」はもちろん青山和子さんの歌だったと思います。 「新妻鏡」はヲアニーさんと一緒に見ていた憶えがあります。 挿入歌としても唄われていましたが、エンディングでも毎回唄われていました。 「喜びも悲しみも幾歳月(いくとしつき)」は、私が中学生のころ放映されていました。 歌は若山 彰さんではなく、男性コーラスで唄われていました。 「智恵子抄」も中学生の頃放映されていました。 当時、新聞で新番組として紹介されている記事の切り抜きを残していたと、先程まで探していましたがみつかりませんでした。 数年前に、日記など整理しているときに見た憶えがあるのでまだどこかに残している筈ですが・・・ 「岸壁の母」は高校生の頃だったでしょうか? 主題歌は「・・ああ、こころあらばつたえてよ・・きょうもどとうくだくるがんぺきにたたずむははのすがたを・・」だったかナ?、の・・あれ?・・また歌手の名前が・・・アッ・・金田たつえさん? 毎回エンディングで市原悦子さんが岸壁で軍手をした手で?おにぎりを頬張っている姿が印象に残っています。 確かにヲアニーさんの言われる通り「新妻鏡」以外は一緒に見た記憶が私にもありませんから、もしかしたらヲアニーさんは見ていないのかも知れませんネ。 |
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ヲアニーも、たしか「愛と死を見つめて」は、島かおりが主演していたような記憶がある。 「新妻鏡」は、覚えている。山本陽子が主演していた。♪僕が心の夫なら 君は心の花の妻 遠く寂しく離れても…♪。 「喜びも悲しみも幾年月」は、園井啓介が出ていたのは記憶にない。若山彰の歌う♪おいら岬の 灯台守は 妻と二人で 沖ゆく船の…♪。テレビドラマで見た記憶はあるが、出演者は覚えがない。この歌の台詞を聞いて、本当に「おいら岬」という岬があるものだと思っていたものだ。 「智恵子抄」「岸壁の母」は、見た記憶はない。歌はもちろん知っているが。 |
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ならないようです。 今日、実家に置いている「表紙で振り返るテレビ50年」と言う本を見ておりますと、1964.3.13(82号)の表紙に大空真弓さんの写真と日曜劇場「愛と死を見つめて」についての記述がありました。 サムソンさんのおっしゃるように、ミコは大空真弓さんだったようですネ。 でも、私の記憶では「花王愛の劇場」でも見た憶えがあったのですが・・他の方だったのかなァ。 先程、チラッとこちらの方は島 かおりさんだったようにも思えてきましたが・・なんだかまた訂正しなければならない事になるかも・・・ 尚、愛の劇場では他に「喜びも悲しみも幾歳月」園井啓介さん・吉行和子さん?、「新妻鏡」山本陽子さん(主題歌・めんないちどり 大川栄作)、「智恵子抄」木村功さん・佐藤オリエさん、「岸壁の母」市原悦子さん、他、古い映画、歌謡曲などや、文藝作品を多く放映していました。 夏休みなどは毎日見ていました。 |
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もしも、願いが かなうならぁ〜 4時間かけてモデリングしました。 |
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サムソンさんへ 「娘をよろしく」の司会者は、思い出しました。サムソンさん、いつもありがとうございます。西条凡児、なつかしいですね。 昨年亡くなった義父が、結婚式のときに、私に向かって深々と頭を下げ、「○○さん、よろしく頼みます」と言った。あのときは、義父の目が潤んでいた。 |
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"二枚目の神戸一郎"そうでした。それもウリでしたよね。「十代の恋よさようなら」・・以前にも書かれておりましたね。ウ〜ム、これは・・ただ懐かしいだけとは思えませんね^^・・ヲアネーさんにも言えない思い出とか・・? "オーギョーチー"初めて聞きました。keiさん、頂かれた感想、どうでしたか?甘い?さっぱりしてる?レトロな革張りの椅子に座り、オーギョーチーを頂きながら、いつか皆さんとお話ししたいですね。 「娘をよろしく」は西条凡児さんだったでしょうか。私も何回か見た記憶ありますが、出演された方は全く・・。そうですか、霧島さんの息子さんも出演されたんですね。 ところでヲアニーさん、1つ書き忘れていたことがありました。"橋幸夫の物まねをする三田明も好きです"・・これです。我が意を得たりでしたよ^^ 今日はこれから1泊で遊びに行ってまいります。お・お土産は・・ありませんので・・。 |
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青山和子の芸名は、「青い山脈」からつけたとは知りませんでした。実は昨夜、青い山脈を神戸一郎と歌った女性歌手はだれだったかが気になり、なかなか寝つかれませんでした。 「青い山脈」は、最初は藤山一郎と奈良光枝がデュエットで歌っていました。こういう軽快な曲には、藤山一郎の声がぴったりですね。 あと、藤山一郎の歌った古賀メロディで好きな歌は「懐かしの歌声」ですね。 「旅の夜風」は、霧島昇とミス・コロンビア(松原操)がデュエットで歌っていました。霧島昇と松原操は結婚したので、後に九条万里子と歌ったのかもしれません。松原操は、結婚して歌手を引退しました。 今朝(といっても夜が更けましたが)から、私にとって大変興味のある書き込みがありましたが、とりとめのないレスとなりました。外で飲んで帰ったので、書き込みはこの時間になりました。ぼつぼつ寝るとしましょう。 |
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有り難うございました。写真と画像がいっぱい^^非常に楽しめましたです。私は音楽も大好きなので"ボギパラ・イメージスケッチ"もとても良かったです。時々拝見させてくださ〜い。 |
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最近歳のせいか、集中力・記憶力・根気とも欠如してきまして(笑) HP覗いて見てくださいといいながら、カキコして無かった。(汗) 今度は大丈夫。 http://www2.bii.ne.jp/~j-papaia |
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サムソンさん始めまして、すみません私のHPのアドレス間違えていました。 以前ボトルメールのHPを作っていたときのアドレスがそのまま残っていたようです。 今は、何の事は無い愛犬をネタにした写真と絵とその合成のHPだけをアップしてあります。 そんなものでもよかったら、暇つぶしにでも覗いてください。 |
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オーギョーチーと読みます。台湾の木の実からつくったかんてんのよぉな食感のデザートなのですが、上野の芸大に通っていた藤山一郎さんがよく通って食べてたそぉです。kei、ときどき食べにいきます。藤山一郎さんはピアノを弾くのですが、ほとんど初見でどんな曲も弾いちゃったそぉです。練習はあまりしなかったなぁ・・とその頃のことを述べている記事を読みました。 音大の生活にはてしない憧れを持ってますkeiだから、愛玉子に行って、(店の名前も愛玉子なのです。)レトロな革張りの椅子にすわって、思いをはせるです。ここに藤山一郎が座って友達とどんな話でもりあがっていたのかなぁ。。。時には楽譜などひろげて、一人で、愛玉子のシロップなどはねちらかして食べてたのかなぁぁぁとか。 |
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keiさん、"ひとみちゃん"という歌、神戸さん歌ってたと思います。(・・でもメロディは全く浮かばず・・) "青い山脈"はイントロも軽快で素晴らしいですよね。最初は藤山一郎さんがデュエットで歌われたんですよね。藤山さんの歌は幼い頃だけでなく、後になっても懐メロ番組などで何回もお聴きしました。"丘を越えて"や"東京ラプソディー"と並んでよく歌われていたのを思い出します。紅白で"蛍の光"の指揮もよくされてましたね。 ヲユキさん、手をぐるぐる回して歌っていた"ゴーゴーゴー"の「回転禁止の青春さ」懐かしいです。「赤いヘルメット」歌詞は私も忘れましたが皮ジャンにヘルメットを抱えて歌っていたと記憶しています。それから「大嫌いだ 白い雲なんて・・○○○○ー」流行りましたね。 「愛と死をみつめて」は山本学さんと大空真弓さんではないでしょうか。 |
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昨夜の投稿で記した事は殆ど間違っていたようです。 今日も仕事をしながら♪ゴーゴーゴー レッツゴーゴーとハミングしておりますと、昨日はハッキリしなかったその先の歌詞が思い出せました(実はこの歌も数週間前に聴いたばかりだったのですが)。 (♪回転禁止の青春さ〜・・って、あれ?「赤いヘルメット」じゃなかったの?この歌のタイトルは「回転禁止の青春さ」のようだけど・・とすると「赤いヘルメット」はどんな歌詞だったのかナ? ウ〜ン、思い出せない・・でも私が小学生の頃歌謡番組で見たライダーのコスチュームに身を包みオーバーアクションで唄われていたあの印象的な振り付けは覚えているのに・・どちらの歌だったのかナァ?) 更に、本間千代子さんが舟木一夫さんと共演(前回記した「競演」訂正致します)されていた映画は「仲間たち」ではなかったようです。 「仲間たち」は浜田光夫さんと松原智恵子さんが共演されていた映画だったと思います(舟木一夫さんも出演されていました)。 どのような映画で共演されていたのかタイトルはまだ思い出せません。 青山和子さんと言えば♪マコ あまえてばかりでゴメンネ・・が思い出されます(ハッキリと思い出せるのはこの歌だけですが)。 確か小学生の頃「花王愛の劇場」というお昼過ぎの番組で「愛と死をみつめて」が放映されていて、ミコは・・・あれ、顔は思い出せるのに名前が出てこない、マコは??学さんだったと思いますが・・ウ〜ン、これもハッキリしない。 数年前までハッキリと覚えていた事でも最近は歳を重ねるにしたがってどんどん不確かなものとなって行くようです。 ウ〜ン・・認めたくないものだな・・老い故の自分自身の記憶違いと言うものを・・・♪ウ〜ン、気分は◯い水星(彗星)のシοο、って私ではキャラクターが違いすぎますネ。 |
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かんべいちろう と読みますか? ひとみちゃん?♪ひっとみちゃん〜〜ひっとみちゃん〜〜 って歌ってました? 青い山脈は映画の中でみんなで自転車こぎながら歌っていたのを記憶してまぁす。あでも、リバイバルのテレビ映画で見たのかもしれない。 ♪わぁかくあかるい 歌声にぃ なぁだれは消える花も咲く〜 あぁあおい山脈 雪わりざぁくぅら〜 と記憶してました。歌詞まじってしまったかな・・・ |
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♪わ〜かくあかるいうたごえに〜 な〜だれはきえる……あ〜めにぬれてるやけあとの〜…♪ そうです!サムソンさん、神戸一郎と歌っている青山和子の顔を思い出しましたよ。 またまた、のどの骨のつっかえを取っていただいたような気持ちです。ありがとうございました。 今朝はとりあえずこれにて失礼。 |
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昭和30年代〜40年代の歌手・・ムム・・就寝時間変更。 ボギパパ様、私も初めましてです。よろしくお願いいたします。(早速H.P.に・・と・・どうしても何も拝見できないページにしか・・この現象は自分だけでしょうか?またトライしてみますね) ヲユキ様、ヲアニー様。モノクロTVの画像、有り難うございました。 松山容子さんというとよく見ていたのは「琴姫七変化」ですね。くれないお仙も覚えております。大信田礼子さん、本当に久し振りのお名前です。(ドキドキで見てた気が・・)それから大塚のボンカレー。"大塚"提供の番組が幾つもあった気がします。「ナニワチエコでございます・・」なんていうCMもありましたか? 青山和子さんの芸名は「青い山脈」の青山から付けたと聞きましたので 「本間千代子・・高石かつ枝と並んで、あこがれの・・」(い・異議なし!) |
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本間千代子さんの「三百六十五夜」、高石かつ枝さんの「旅の夜風」も持っていませんでした。 本間千代子さんの「愛し合うには早すぎて」は舟木一夫さんと競演された「仲間たち」(今手元になく調べることが出来ませんので、違っているかもしれませんが)の挿入歌だったような気がします。 |
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ヲアニーさんの言われるように、私も美樹克彦さんの歌は当時の現代っ子の歌と後年思った事があります。 ヲアニーさんの「ロッテ歌のアルバム」の花束を持って歌手に渡していたと言う場面は書込をみて思い出しました。 ボギパパ様 |
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井沢一郎→井沢八郎でした。 ボギパパ様、初めまして。ヲユキの兄のヲアニーと申します。よろしくお願いいたします。 |
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山田太郎が歌った歌を、ヲユキの書き込みを見て思い出した。 玉置宏が司会した「ロッテ歌のアルバム」で、その当時出ていた歌手を、思い出すままに挙げてみます。 |
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レスありがとうございます。 ここのBBSはあまりカキコしていませんが、 |
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ここ数年、毎月発売されるDVDは殆どチェッックしていましたが、「西遊記」は発売された事が無いと思いました。 正確を期するため「西遊記 DVD 夏目雅子」でも検索致しましたが、やはりまだ発売されていないようです。 テレビでの再放送はなんどもありましたので、私も何度か見たことがあります。 |
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ブラックデビルの歌を美樹克彦さんと一緒にデュエットされていたのは井沢八郎さんかもしれません。 昨日、ヲアニーさんと話していた大信田礼子さんが出演されていた番組は松山 容子さん主演の「旅姿くれないお仙」(このタイトルも昨日は全く思い出せませんでした)ですネ。 ヲアニーさんが思い出した歌は「海の次郎丸」ですネ。 |
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みなさんこんばんわ、お久しぶりです。 このところ犬のネット仲間のオフ会の幹事でバタバタしていました。 今日はお尋ねです。 最近、故・夏目雅子さんのCMを懐かしがっているボギパパですが、 以前昔、夏目雅子・堺まさあき・西田敏行さん達が出演した「西遊記」という TV番組のビデオかDVDが発売されているかどうかの情報ありますでしょうか。 うちの愚妻が探しているもので、知っていたら教えて欲しいんですが・、 私の知る限りでは、再放送はあったようですが発売は???です。 知っていたら教えて頂きたいのです。よろしくです。 |
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私も、カセットを購入して聴くまではそれ程ハッキリと覚えていた歌はありませんでした。 でも歌を聴いている内に、当時良く聴いた歌だったと思い出す事が出来ました。 今日、実家に帰って持ち帰っていたテープを聴いてみました。 カセットには「新聞少年」から始まり、「清く明るく美しく」、「清らかな青春」(デビュー曲とは知りませんでした)、「明日を信じよう」、「あの星は君の星」、「エンピツが一本」、「東京にの仲間たち」、「友情の歌」、「あの娘が恋をつれてきた」、「東京の空だって」、「お巡りさんありがとう」、「幸福はこだまする」、他カラオケ4曲が収録されていました。 タイトルだけではわからないかもしれませんが、お聞きになればサムソン様もきっと当時聞いた歌と思い出されると思います。 カセットにはvol.1とありましたので、vol.2なども発売されているかと探しましたが見つけることは出来ませんでした。 「神州天馬侠」(イに夾と言う字ですが、IME、ATOKなどでは変換されないようですし、これらの文字でも間違いではないようです)の歌も山田太郎さんが歌われていたとは、全く知りませんでした。 私が覚えているのは主題歌とテンディング(クロの歌?)のメロディと歌詞だけで歌われていた方までは覚えておりませんでしたので初めて聞く情報です。 詳細については、最近全くお見掛けしないあのお方なら(○○○秘密結社の・・・)ハッキリしたことを御存知かもしれませんネ。 私の持っていた音源はオリジナルの歌手ではありませんし、「戦え!オスパー」も私の持っている音源はオリジナルではありませんから山田太郎さんの歌ではありません。 検索で調べてみますと、テレビでは山田太郎さんが歌われていたようですが放映当時発売されたレコードにも他の方が歌われたものもあったようです。 「どっこい野郎」はおっしゃるとおり「どっこい大作」の歌でしょう。 レコードは持っておりませんのでちょっと曖昧・・でも、放映当時何度かテレビで見て好きになった歌の一つでした。 ドラマには大鵬も出演されていました。 「好きさブラックデビル」と言う歌でしたか?この歌も私が聴いたのは一度だけで、たまたまテレビを見たときに美樹克彦さんとデュエットしておられましたが、唯、その歌われる時の演出(舞台設定)があまりにもひどく惨憺たる有様できのどくに思えたものです。 |
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「素浪人月影兵庫」は....... 後にそのままそっくり「花山大吉」になりましたね。 ♪男意気ならぁー焼津の判次(品川隆二) |
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2枚目です。ブラウン管(?)を開いたものです。 卓袱台が跳ね上がっています。歌の中でこのシーンがありましたね。 |
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サムソンさんもお忙しかったようですが、久しぶりに連続で書き込みを拝見し、私も書き込み意欲がわいてきました。 山田太郎で思い出すのは、やはり「新聞少年」ですね。 「素浪人月影兵庫」は、親父が好きで一緒に見ていました。松方弘樹の父の近衛重四郎(字は自信なし)が月影兵庫で、品川隆二が相棒役で出ていたと思います。 さて、今日帰ったらヲユキの車が駐車していました。もしかしたら、昨日のサムソンさんと私の書き込みを見て、兄に似て律儀(?)な弟だから来るのではと思っていました。 |
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山田太郎さんの歌は覚えていてすぐ出てくるのは2曲だけですが、調べてみて歌われた曲の多さに驚きました。昨年も出されており、61枚(シングル)のレコード・CDがありました。青春歌謡に含まれるものも多いと私も思います。昭和38年の「
清らかな青春」というデビュー曲からスタートし、青春や友情を歌っているものも多いです。聴いたことはありませんが、目に止まったものを・・ 昭和42年「牛乳少年」(し・知らない・・) 昭和42年「神州天馬狹 」(字が違うような・・このBBSでも話題にされる番組のあの主題歌は山田さんだったのかどなたかご存知でしょうか) 昭和48年「どっこい野郎」(これが「どっこい大作」のでしょうか) 昭和57年「回転禁止の新聞少年」(な・何だ?高田文夫氏作詞なのでこれもパロディ?) 昭和57年 「好きさブラックデビル」(美樹克彦さん作曲。一緒に歌ってました?) 最後の2曲はカップリング・・じゃなくてA面、B面の1枚のレコード だったようです。 |
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「昔のモノクロTV・・スイッチを入れるとTV画面の蓋が開き・・」 実際のそのバッキーの試合も、「巨人の星」のその場面も見てましたよ。何だか嬉しくなりました。荒川とバッキーが退場処分になりましたよね。バッキーに代わった権藤がまた王にぶつけ大騒ぎになりました。 ところで、私の覚えている「一心太助」(山田太郎さん主演でした)は昭和40年代(後半?)だったと思いますのでヲアニーさんがご覧になったのよりかなり後のだと思います。少し思い出していたのですが、それよりちょっと前だったでしょうか・・(焼津の半次も懐かしい)「素浪人月影兵庫」という番組を毎週、皆で見ておりました。こちらの方は「一心太助」より鮮明に覚えております。やはり時代劇というのは娯楽の定番でしたね。 |
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ヲユキへ、そのテレビの造型について、何となくイメージはできたが、デジカメで撮ってこのBBSに公開した方がいいと思うが、どうだろうか。 以前にこのBBSに書いたが、私は「巨人・大鵬・卵焼き」の時代に育ったから、理屈抜きで巨人フアンである。「巨人の星」は、中学、高校時代に放映され、よく見たものだ。 |
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昔のモノクロTVの形をしたBOXのスイッチを入れるとTV画面の蓋が開き、中に組み込まれたフィギュアが動き(ゼンマイ仕掛のようです)、主題歌の一部分が(約20秒、これは実際の主題歌をICに録音したもののようです)流れると言うものです。 全4種で、「科学忍者隊ガッチャマン」「巨人の星」「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」がありました。 ネロとパトラッシュの最終回の場面にも惹かれましたが、私が購入したのは「巨人の星」。 実際に動作させて見ると以外と面白いと思いました。 確かオープニング(エンディングだったかナ?)にあったと思いますが、その一齣を再現したものです。 食卓で星一徹が飛雄に手をあげ、卓袱台が跳ね上がり、飛雄が仰け反り、明子さんが部屋の隅でビックリしていると言う場面です。 このフィギュアは、バックに障子の星家の食卓、一徹、卓袱台、飛雄、明子さんなど全て動くようになっています。 テレビは古いモノクロテレビの造型ですが、フィギュアはモノクロではなくカラーになっています。 フィギュアは小さなものですが精巧に造型・彩色されていて顔の表情まで細かく描き込まれています。 これも価格の20%OFFで購入致しました。 |
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実は、サムソンさんと同じように、「心太」で「一心太助」を連想しました。 私が小学校1年か2年のとき、まだ我が家にテレビがないときに、近所でNHKで放映された一心太助を見せてもらった記憶があります。そのときの一心太助役は、たしかフランキー堺だったと・・違うかもしれませんが。 |
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ヲアニーさんの書き込みがなければ、ずっと「しんた」と読み続けるところでした。ちなみに、女房に「心太」読ませてみると、「こころふと」でした。 |
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「心太」・・写真と書き込みに誘われ、今夜は夕食と共に我が家でもいただきましたです。 昨夜教えていただいたグリコのH.P.を見てましたら関東、甲信越、静岡 6月8日発売 となっておりました。第4弾を見ると地域によって発売日が4〜5ヶ月も違うんですね。 |
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知りませんでした。恥ずかしながら、写真が載っていなかったら私は読めませんでした。 調べてみると、正倉院の宝物文献にも書かれているそうで、古くは「古々呂布止(こころふと)」とも称し、後に「心太」となり、「こころたい」→「こころてい」→「こころてん」→「ところてん」に変化したという説があるようです。一つ賢くなりました。 天草を煮てつくるそうですが、我が家は海から離れているからなのか、買って食べることしかありません。 「心太」の欲しい季節となりました。夕食のビールも、350mlから500mlの缶ビールに切り替えました。 |
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昨日、夏日でしたので でも今日の房総は雨、肌寒いです。 |
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ピッコロとフリーザとセルと魔人ブーをお願いします。 |
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わあー、シェンロンだ。 それもふたつとも。 その次はピッコロとフリーザーとセルをお願いします。 |
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地球版もモデリングすることにしました。 製作工程掲載いたします。 |
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「春風」は、「主人は冷たい・・」が元歌とは知りませんでした。たしか、小学校の音楽の授業で「春風」を習ったので、それが強烈に印象に残っています。 「ネリー・ブライ」は、小学校の運動会のときに行進曲で使われていたと書きましたが、「故郷の人々」などと一緒にメドレーになって、行進曲風にしてあったように思います。 このごろ、インターネットの検索方法を覚え、フォスターで検索したら見つけました。押しつけがましいようですが、よかったら聞いてみてください。 「主人は冷たい土の中に」>>http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/douyou-syouka/04gaikok/aruzi_k.htm |
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友人から面白い画像をもらったので(笑。 ところで、シェイドっていくらくらいするでしょうか? PS.本必死で探しています(汗。この間大掃除した時に |
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「春風」でしょうか.....。 元題が「主は冷たき土の中に(下にだったか)」 と知ったときは驚きました。 メロディーが「春風」と呼ぶには淋しげな理由が 判った気がいたしました。 |
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小学校の頃、受験生のおにぃさんの居るお宅に遊びに行ったときに、得意になって、『故郷の人々』を大音量でピアノで弾いて怒られた記憶があるですぅ。 サムソンさん、ヲアニーさん戻るなら小学校時代ですけど、大人もままで戻りたいなぁ。頭および、待遇も戻ってしまったじゃ、また同じ事の繰り返しで感動なしで終わっちまいますよぉ〜。 体は小学生、中身はこのkeiで帰れたら、さぞやおもしろいだろぉ。いじめっこに、仕返しできるぞ。あの頃より、かなり意地悪になってるからなぁ〜わはははは!!! |
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小学校のその担任の先生に、授業が始まる前にオルガンを弾いて聴かせてもらった曲が、フォスターの「故郷の人々」でした。この曲は、必ず目をつぶって聴かされました。 サムソンさん、「有楽町でまた逢いましょう」ですが、通勤ラジオで聞かれたとのこと。私もラジオを聞きながら車通勤していますが、気がつきませんでした。 フランク永井の歌で好きなのは、「大阪ぐらし」です。♪あ〜か〜いゆうばぁえ つ〜てんかくも〜 そ〜め〜てもえて〜る ゆ〜ひがおかよ〜…♪ |
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