2004年8月分の書き込み

う〜ん サムソン 8/31
マンダム。
いえいえ、keiさん愛用の携帯のではない画像、ヲユキさんのいつもの淀みを見せぬ文、そして昔懐かしいレコードプレーヤーに感心のつぶやきです。
そう言えばチャールズ・ブロンソンさんが亡くなられたのは昨年の今頃でした。

レコードは・・ ヲアニー 8/31

ヲアニーが高校時代に買ってもらったカセットレコーダーは、某編み機会社の製品だった。あのときにそれを買ってもらわなかったら、私の人生も違った方向に進んでいたかもしれない。

keiさん、出歯亀ラをゲットしたのですね。これからも作品を楽しみにしていますよ。bobは、きちんと手入れされているようで、毛並みがいいですね。

「青春サイクリング」のレコードが見つからない。屋根裏の物置にあるはずだが、いろんな荷物があって探すのも大変で、お手上げ状態。
とりあえず、プレーヤーがあったので、それを掲載します。


その後・・・ ヲユキ 8/31

そのテープレコーダーは私が譲り受け、様々な歌謡番組、ドラマの主題歌などを録音しました。
でも、学生時代の当時そんなにテープが買えるわけでもなく、2本のテープを何度も上書きして使い回していました。
カセットは処分した憶えがありませんので、当時(中学生の頃)のテープも残っていると思いますが、そのテープに何を録音しているのかハッキリとした記憶がありません。
もしかすると「黒い髪の知子」の主題曲も残しているかもしれないと思っていますが・・・そんなことを考えておりますと、昨日の「懐かしの歌声」についてもう少し思い出しました。
ヲアニーさんの言われた正月の深夜から明け方まで放映されていた番組も良く見ましたので覚えておりますが、私が覚えていたのは毎週木曜日?夜9:30か10:00頃から始まる番組でした(タイトルまではハッキリしませんが「帰ってきた歌謡曲」だったかも・・)。
ヲアニーさんにレコーダーを譲られてからも番組を見て良く録音しました。
前半ラヂオドラマの春樹と真知子役の人がドラマの一部を再現され(忘却とは・・に続き、空襲から明けた数寄屋橋の場面)それに続けて織井茂子さんの「君の名は」、映画の一部が映された(かつらの樹の前で、浩三「この樹は愛染かつらと言って恋人同士がこの樹の前で誓いを立てると、たとえ一時は思い通りにならなくても将来は必ず結ばれると言う言い伝えがあるんです」かつ枝「まぁ」浩三「ねぇ、高石さん・・嘘だと思ってこの樹に触ってくれませんか」に続いて霧島昇さんの「旅の夜風」)歌など色々ありました。
何度も聞きましたので今でもわすれていないようです。
尚、この番組の司会は、トップさんとライトさんお二人だったと思います。

サムソン様
(あじ〜^^;)なコメントですネ、と、思いながらちゃっとを見ますと、有言実行のぽせいどん様、ちゃっとの呼び名が・・・・


デジカメでびゅ keiko 8/31
たなからぼたもち状態でデジカメをゲットしましたぁ。
面白い写真を撮る!とゆぅのをテーマにしよぉと思います。で、
第1弾なり。呼べども返事のないbob発見であります。
(あ、これは長男の洋服ダンスでありまして、この乱雑さは決してkeiのではありませぬ。)

またまたいろいろなことを・・ ヲアニー 8/30

サムソンさんに紹介いただいたサイトを、早速試聴してみました。
私が興味を引かれたのは、以下の曲でした。
・「桑港のチャイナ街」…渡辺はま子が歌いました。以前の職場の同僚が、冬にスキーでサンフランシスコ近辺のスキー場に行ったことがありました。職場の忘年会で二次会に行ったときに、私にこの歌を歌うようリクエストしたので、歌いましたよ。
・「野球小僧」…灰田克彦が歌いましたが、軽快なメロディで、歌うと思わずキャッチボールがしたくなりますね。灰田克彦は、歌うときに
♪…す〜ごいピッチャーでバッターで〜…
のフレーズのときには、投げたり打ったりの格好をして歌っていました。灰田勝彦の歌では、私はこの歌が一番好きです。
・「おけさ唄えば」…忘れていた歌を思い出させてもらいました。橋幸夫の歌ですね。
♪カモメ飛ぶ飛ぶ松原よ〜 おいら二人で会ったとこ あの娘〜は このう〜た〜 すぅき〜だぁぁった すきだぁった…♪
小学校のとき同級生と「あの娘〜は このう〜た〜 すぅき〜だぁぁった すきだぁった」と、この部分だけよく一緒に歌いましたねぇ。

「懐かしの歌声」は、紅白歌合戦が終わり、年が明けてから深夜に民放で放送された。眠いのを我慢して見たものだ。
ヲユキが言うようにコロンビアトップの名調子で始まり、この文句を覚えた記憶はあるが、確かにそのように言っていた。
ヲアニーが高校時代に、ある特別な技術を身につけるためにテープレコーダーを、無理に頼んで親から買ってもらった。カセット式テープレコーダーが出た最初のころだと思うが、当時としては結構高額なものであった。
懐メロを録音したことは、親にとっては目的外使用であったろうが、一緒になって親父も聞いていたようだが・・


南の薔薇 ヲユキ 8/30
私が、近江俊郎さんの歌で「湯の町エレジー」の次ぎに好きな歌ですが、この歌を唄っていると途中から藤山一郎さんの「懐かしのボレロ」になってしまいます。
2曲ともに歌の雰囲気が似通っている為でしょうか。
2〜3度歌い直してやっと最後まで唄えるようになります。
この歌は、私が中学生の時に、ヲアニーさんがテレビ番組で唄っておられたものを録音して聴かせてもらって覚えた歌です。
多分、コロムビアトップ・ライトさんの司会されていた懐メロ番組のものではなかったかと思います。
以前この掲示板でも記させて頂いたこともありましたが、確か「懐かしの歌声(? ♪輝きよ 輝きよ〜で始まる戦後のラヂオ番組の主題歌)」のメロディにのせて、「老いたる者には過ぎにし青春の夢 若人には呼べど○○○再び帰り来たらぬ古(いにしえ)の幻(まぼろし) ○○○○○○○」と言うオープニングで始まった番組だったと思います。
ヲアニーさんがよく真似て言っていたのを聴いて覚えたのですが、ハッキリと思い出せません。
ヲアニーさんは今でも覚えていますか?

サムソン 8/30

ぽせいどんさんのユーモアと言葉の使い方にはいつも注目してます。ネオも洒落てます。アナグラムですね。  "ネチャオット"

曲を40〜50秒試聴できるサイトもう一つ発見。
  ttp://naah.jvcmusic.co.jp/search/special/index.html
  ttp://naah.jvcmusic.co.jp/search/artist/a_index.html


「青春サイクリング」… ヲアニー 8/29

30年近く前に買ったレコードを探しましたが、見つかりませんでした。
独身時代に買ったので、結婚や転勤で3回ほどその後引っ越ししたため、どこにしまったのかわからなくなりました。また、ゆっくり探すことにします。
ヲユキに教えてもらって、サムソンさんから紹介のあったサイトで試聴することができました。小坂一也の若いころの懐かしい声を聞くことができました。

さて、オリンピックも終わりですね。これで寝不足も解消になりますが、男子マラソンを今夜は見て寝るつもりです。


いろいろなことを思い出しながら・・ ヲアニー 8/29

shadeをするにも、やはり絵の才能もないとできないのですね。私にはできないことがわかったので、ひたすら出歯亀写真の技能向上に専念します。

サムソンさんの懐かしい記述を読ませていただき、若いころのことを思い出しておりました。
近江俊郎が歌った他の歌では、「南の薔薇」も好きですね。あと、番組名は忘れましたが「ハバロフスク小唄」を聞きました。これは伊藤久男の歌と思いますが、近江俊郎が歌ったのをテレビで見たことがあります。
シベリアで捕虜になった方々が、ふるさと日本や家族に対する思いを歌った歌です。この歌も、熱いものがこみ上げてきます。

「オールスター家族対抗歌合戦」もよく見ました。あの番組で結婚した芸能人もいたと思いますし、家族の中で歌手デビューした方もいたように思います。
高石かつ枝の家族も何回か出ましたよね。昔のころと余り変わらなく、小さいころを思い出しながら見ていました。
審査員では、他に古関祐而、立川澄人さん務めていたと思います。審査員全員が、批評では必ずほめていました。近江俊郎は、家族の過去の苦労話やアットホームな様子を見て、感激して涙ぐむこともよくありました。きっと、近江俊郎は、心からいい人だったと思いますね。

サムソンさんから紹介いただいた「青春サイクリング」を聞こうと思ったら、どうもうまくいきません。
独身のころ買ったレコードをこれから探して、聞いてみます。これを買ったきっかけは、NHKで古賀政男の特番があり、最後に岩崎宏美がこの歌を、少年少女合唱団と歌い、番組は終わりました。
無性にこの歌を聞きたくなり、必死で探して、百貨店のレコード売り場で見つけました。もう30年近く前のことです。


わるのりして ぽせいどん 8/28
S-Moonはリボンの中央にカラータイマーありますね。
うってつけですね。
頭部はベースをこんな感じにして
髪型?で特徴をつけて5人出しましょう。
(ボールペンでコピー用紙にフリーハンドで描きました)

サムソン 8/28

"ウルトラムーンセーラー"・・"キャプテンセーラー"・・何だかホントに制作されそうなタイトルです。

このところ、ヲユキさんの紹介にありました"自転車旅行"のメロディにハマッてしまい、ネットに繋ぐ時はいつもBGMで流しております。

近江俊郎さんが親衛隊を引き連れたハシリとは知りませんでした(やるもんですね)。「湯の町〜」以外では「山小屋の灯」を良く聞きました。ずっと後になって近江さんは歌番組などの審査員としてよくお見かけしました。萩本欽一さん司会の「オールスター家族対抗歌合戦」では
水の江滝子さんやダン池田さんなどと審査員であったのをよく覚えています。いつも笑顔で、温和な人柄を偲ばせるコメントをされていました。
少し調べてみましたら昭和40年(1965年)TV番組表に「ものまね歌合戦」ゲスト・藤島恒夫、審査員・万城目正、近江俊郎、司会・人見明、川西美津子というのがありました。続けてトニー・谷さん司会の「アベック歌合戦」も放送されておりました。もうこの頃から審査員として活躍されていたんですね。
「山小屋の灯」は
  ttp://columbia.jp/shinyabin/
で試聴できました。ここではフルコーラスではありませんが、よく話題にされる「星空に両手を」(島倉千代子、守屋浩)「旅の夜風」(霧島昇、ミス・コロムビア)「青い山脈」(藤山一郎、奈良光枝)「青春サイクリング」(小坂一也)なども聞くことができましたよ。


そうすれば・・・ ヲユキ 8/28

大ヒット間違いなしと言うことですネ。
その後数十年の長きに渡り、途中物語を変え、放映時間帯を変えたりしながら延々と制作され続けることに・・?

「美少女戦士セーラームーン」→セーラー7→キャプテンセーラー(愛猫ルナ号を駆って宇宙を・・でも月も火星も遥かに超えてしまったら・・)→妖魔武芸帳?(所を江戸時代に変え、妖魔と戦ったご先祖様の物語)→帰ってきたセーラームーン→セーラームーンA→セーラームーンタロウ→セーラー仮面→セーラーキング→セーラームーン80・・・・

「ウルトラマン」もTBSでしたか・・こちらでは○○Sで放映されていました。
「エイトマン」も同じ局でしたがオープニングなどにTBSと表示されますのでキー局とわかりました。


ぽせいどん 8/27
8マンではなくウルトラマンだと思いますよ。
いっそのことウルトラムーンセーラーとかにして
両方の根強いファンを取り込んだらどうでしょうかね。

現在4本目 ヲユキ 8/27

「青い山脈」のパッケージを開きました。
中に封入された解説書を見ますと、ディスク1(前編)の最後に後編の予告編が記されておりました。
パッケージの解説には記されておりませんでしたので収録されていないのかと思い違いをしてしまったようです。

今、前編の池部 良さん(六助)と杉 葉子さん(新子)の出会いの場面、六助の食事を作りながら新子が「夢淡き東京」を唄っていて思わず私も一緒に唄ってしまいました(と、言ってもこちらで意味がわかって頂ける方は数人しかいらっしゃらないでしょうネ)。
何度も見た映画ですが、何回見ても面白い映画です。
後3時間・・頭は冴えておりますので最後まで見ることが出来るでしょう。

ところで、とりとんさんのおっしゃるセーラームーンの後番組、TBSの変身物と言えばやはり「エイトマン」だと思いますが・・違いますか?


今日は・・・ ヲユキ 8/26

いつも予約している電気店でDVD「美少女戦士セーラームーン6」「美少女戦士セーラームーン キラリ☆スーパーライブ」を購入致しました。
セーラームーン6は、21話〜24話まで収録されていて今回やっと「ダーク・マーキュリー」の登場です。
とりとんさんのご報告で知りましたが、9月で終了なのですネ。
人気のある番組なのでシリーズ化されると思っていたのですが、残念です。
私が考えたところでは、今までに放映された少女向けの番組(と、言いながら私の様な中年も喜んで見ておりますが・・)の中にあって、それまでの番組と異なった特色のある、エポックメーキングとなった番組と思います。
また何時の日か復活されることを願っております。

ついでに新作のコーナーを見ておりますと、やはり発売されました。
「東宝セレクション 青い山脈」です。
以前、東宝映画でDVD化してほしい作品のアンケートがあり、その中に「青い山脈」もありましたので、おそらくこの映画が最初に発売されると思っていました。
同時に4本発売され、他の作品にはパッケージに予告編の特典が記された作品もありますが、これには記されていません。
私が映画「青い山脈」を見たのは祭日にNHK教育TVで放映されたのが最初でした。
残念ながら気がついたのが遅く、第1部の終わる少し前から見ましたので、録画はしませんでしたが、第2部の始まる前に予告編も放映された憶えがあります。
その後、衛星放送分を録画しましたが、その時は予告は放映されませんでした。
でも記憶通りNHKで予告編が放映されていたのなら、現存していると思うのですが、収録されていないとすれば残念です。
最も、パッケージフィルムも切らずまだ見ておりませんのでもしかすると収録されているかも・・と、淡い期待は持っているのですが・・・

もう一枚、外国映画で「要塞」と言う作品が目に留まりました。
テレビ放映されたこともあるようですが私は見た憶えがありません。
私は予備知識無く購入する事は希と言えるのですが、この作品は購入する事に致しました。
パッケージに記された解説が非常に購入意欲をそそられるもので、曲がマカロニ・ウエスタンで有名なエンニオ・モリコーネと言うのも購入する決定打となりました。

今夜も眠れそうにありません。


ちょっと寝不足 ぽせいどん 8/24
みなさん同様なんでしょうね。
女子レスリングも終わって残るところあと6日ですか。

女子マラソン見ました ヲアニー 8/23

野口選手やりましたね。感動しました。ヌデレバ選手に追いつかれそうになり、見ていて私も思わず走りたくなりましたよ。
おかげで、今日は眠い目をこすって職場へ。しかし、職場へ着くなり、仕事師(?)の私は眠気も忘れ、仕事に没頭。

市川崑監督の映画「東京オリンピック」を思い出しながら今朝のマラソンを見ていました。
あの映画は本当にすばらしかった。アベベの、表情を変えずに、一歩一歩狂いもなく足を動かし、ただひたすらゴールに向かって走る姿は、哲学的な表情にも見えました。人間は、努力をすればこうも美しくなるものなのだと、あの映画を見て感じたものです。本当にこの人は人間なのだろうかとも思いましたね。
しかし、4年後のメキシコ大会では途中棄権をし、マラソン史上初の三連覇はなりませんでした。ベッドで毛布にくるまって、笑顔を見せていた写真を見て、アベベも人間だったのだと思いました。

さて、今日もラテ欄を見るとオリンピックの番組が・・さて、今夜もなかなか眠れそうにありませんね。


長かった盆休みが・・・ ヲユキ 8/23

昨日で終わり(って、本当は一週間の筈でしたが、予定していた仕事の段取りがつかず、先週は一度半日出勤しただけで、実質2週間のやすみとなってしまいました。昨日帰った時にヲアニーさんにはうらやましがられると思ってつたえませんでしたが・・でも、楽あれば苦あり・・来月の生活はどうなることか・・^^;)今日から出勤でした。
でも、あいにくの大雨、プールにでも飛び込んだ様にびしょ濡れになって仕事をしました。

サムソン様
レスありがとうございました。
私がこの番組を見たのは、学校から帰って3時〜5時辺りの時間帯でした。
その時間帯は再放送が多かったですから、「黒い髪の知子」も再放送だったのかもしれません。
当時は学校から帰るとテレビを見るか小説を読むかでした(ん?何時かは、野山を駆け回って遊んでばかりいたと言った筈ですって?・・それは幼少時のこと、この頃にはもう現在の様な文学青年になりつつありました^_^;)。
御紹介して頂いたサイトの記述を見ますとやはりどこか記憶と違っていますネ、久良木薫さんと言う方が「知子」だったのでしょうか?私もお名前を見ても全くわかりません。
他に出演された作品はあったのでしょうか?(私が見て覚えている作品であればお顔が思い出せるかも・・)
でも、主題曲には自信がありますヨ、覚えている方が私の記した歌詞?を御覧になれば、主題曲の後半のメロディとピッタリと合っているとわかって頂けると思います。


サムソン 8/23
ぽせいどんさん、眠気をこらえて私もマラソン見てま〜す。
ヲアニーさん、「・・表彰式で聞くのは、米国の国歌がほとんど・・」まさにそうでした。我が家にはその頃、それがオリンピックの歌であると思っていた人もおりました。
ヲユキさん、
  ttp://www2.starcat.ne.jp/~retrokan/JTV43.htm
このページの三分の一くらい進んだところに少しだけありました。平井昌一さん、三宅邦子さんはすぐ顔が浮かびますが、久良木薫さんは・・全く分かりません。どなたかきっとご存知の方や実際にご覧になった人もいるんでしょうね。

私も・・・ ヲユキ 8/22

ヲアニーさん同様、レコード大賞の受賞曲とは気がつきませんでした。
確かに当時は、大晦日に家族揃ってレコード大賞の発表、紅白歌合戦を見ながら新年を迎えるのが恒例でしたネ。
私の記憶ではそれでも昭和50年代初め頃(都 はるみ「北の宿から」、ジュディ・オング「魅せられて」)辺りまでは家庭、職場で今年のレコード大賞は誰だろうと良く話題にされていた憶えがあります。
当時、テレビは一家に一台が普通でしたからそれも当たり前のことだったのでしょうが、その後一人一台(他に車、電話・・部屋・・・)、テレビも多チャンネルの時代になり、これからますますそう言った習慣も無くなってしまうのかもしれませんネ。

数日前、以前この掲示板でキャプテンK・K様に教えて頂いた「恋歌」の主題歌レコード、藤野ひろ子「鳩のいない村」を入手しました。
昨日、レコードから流れる歌声を聞きながら当時の記憶を思い出そうとしましたが、テレビドラマで見たのは一度きりでしたので殆ど何も思い出せませんでした。
唯、今まで聴いた当時の音源の殆どについて言えることですが、記憶にある歌声、メロディ(演奏)などどこか記憶にあるものと違って聞こえます。
これは、レコード用の音源と、テレビ用の音源に違うパターンの歌がある為なのか、長い年月の間に私の記憶が違ったものになってしまったのかその辺りのことは私自身にもハッキリしません。
僅かに思い出せたことは、テレビドラマ以外でも(ラヂオ?)聴いた様な気がしますので歌謡曲として唄われていたかもしれないこと、テレビドラマの画面にも一種独特の雰囲気があったことなどです。
でも、記憶と違っていても当時の歌声を再び聞けたことは嬉しくもあり感動しました。

関連してもう一つ、同じ時期に見たテレビドラマで「黒い髪のとも子?」と言う番組がありました。
原作は中河与一「愛恋無限」で当時小説を買って読んだりしました。
主題歌(曲?)は私の記憶では「ララララララ ラララララララ ララララ ララララ ラララララララ ララララ ララララ ラララララララ」と言う様なスキャット?でした。
このメロディも好きで、当時カセットに録音して良く聴きました。
物語は競馬の騎手とその馬の馬主の女性との恋(*^_^*)物語?、騎手は柔道ドラマで良く出演されていた平井昌一さんだったと思いますが、とも子さんが誰だったのかお名前もお顔も思い出せません。
御存知の方はいらっしゃらないかナ。


なるほど・・ ヲアニー 8/22

さすが T・浜渦さん。レコード大賞受賞曲だったのですね。「柔」はレコード大賞を受賞したことを覚えていますが、最近は大晦日でも歌番組を見ないし、紅白歌合戦もほとんど見ていません。中学のときに英語の塾に通っていましたが、その忘年会で「柔」を歌ったことを思い出しました。

「暁の超特急」と言わた、ロサンゼルス五輪で6位入賞した吉岡隆徳さんが飯島選手のコーチでした。吉岡さんが持っていた百メートル10秒3を、飯島選手が10秒1を記録して破りました。「ロケットスタート」を武器に東京五輪で期待されていたのですが、残念ながら決勝に進めなかったと思います。
吉岡さんの弟子で、もう一人東京大会で女子八十ハードルに出場した依田郁子選手は、決勝まで行きました。何位だったか忘れましたが、ドイツなどの選手に負けました。スタート前、こめかみに白いものを塗り、バク転をして勇気を鼓舞していた姿が印象的です。
あと、東京大会で忘れられないのは、棒高跳びですね。米国のハンセンとドイツのラインハルト選手との、夜遅くまでの壮絶な戦いは、テレビに釘付けになったものです。
結局、ハンセンが優勝しましたが、ラインハルトも立派な態度でした。

東京大会では、東西ドイツが「統一ドイツ」として入場行進をしたと思います。開会式でアナウンサーが「統一ドイツ」と言いましたが、小学生の私には「ロールスロイス」と聞こえ、意味がわからなかったですね。


ムヒョォ〜〜(あれ?) サムソン 8/22
T・浜渦さん、セイカ〜イ!
60年代には"レコード大賞"も私たちにとっては大きな話題の1つでしたね。
東京五輪の100M、日本では飯島さんでした。その後飯島さんはロッテに入団してアッと驚いたのを思い出します。

RE:東京オリンピックの頃 T・浜渦 8/21
サムソンさんのクイズの答えですが東京五輪の年からの日本レコード大賞の受賞曲ですね。という事は1966年で橋幸夫の「霧氷」でしたが、僕もこの曲は大賞曲としては記憶が薄く、どちらかと言えば舟木一夫の「絶唱」か西郷輝彦の「星のフラメンコ」のどちらかが受賞するのではと思っていたものです。
ところで今年のアテネでの日本選手の活躍は本当にすごいの一言ですね。毎晩遅くまでテレビを見るのが日課になってしまいました。
東京五輪の頃は、ラジオしかなくて柔道の神永−ヘーシンク戦もソ連−日本のバレー決勝戦もアナウンサーの実況の声と大観衆の叫びを聞いていただけでしたが、それでもしっかり感動が伝わってきました。今はデジタルハイビジョンでしっかり何度でも感動を味わえる事が出来、昔を思い出しながら楽しんでいます。

オリンピック(2) ヲアニー 8/21

円谷選手が命を絶ったのは、私が高校受験の年であった。クラスメートが教室に、円谷選手が亡くなったと大きな声で叫んで入ってきた。あのときは、本当にショックでした。

サムソンさん
愛と死をみつめて→柔→(?)→ブルー・シャトー・・・(?)は、わかりません。
そうです、陸上百メートルのヘイズ選手もいましたね。四百リレーでは最終ランナーを務め、ゴール後にバトンを、うれしさの余り放り投げた光景が浮かんできます。
水泳のショランダー選手は、たしか百、二百、四百リレーと、もう一つの種目も金で、四冠だったと思います。
水泳の表彰式で聞くのは、米国の国歌がほとんど。あのメロディを、いやが上にも覚えさせられました。
米国の金メダルを阻止した選手で記憶にあるのは、ソ連のプロズメンシコワ、オランダのコック選手ですね。
水泳女子の百メートルで優勝したオーストラリアのドン・フレーザー選手は、メルボルン、ローマ、東京と3連覇をしました。

「ウルトラC」は、そうです。東京大会の体操からはやりました。跳馬の山下選手が三回半ひねりという、当時としては最高級難度の技を披露しました。あのとき、たしか一人の審判は10点をつけたような記憶があります。
あん馬は、アテネ大会では日本選手が活躍しましたが、それまでは日本は不得意な種目。東京大会では、ユーゴスラビアのチェラール選手の足の長さにびっくり。足の長さを生かし、美しい演技を見せました。


記憶にあります ぽせいどん 8/21

♪ある日走ったそのあとで僕は静かに考えた・・・
 なんのためーに走るのか 痛い足を我慢して...

「一人の道」タイトルだったかどうかは憶えてなかった。


東京オリンピックの頃 サムソン 8/21
今日は早起きしましたので早朝投稿致します。
「東京大会」の記述を読ませていただき様々のことを懐かしく思い出しておりました。ヲアニーさんの触れられている何人かの選手ははっきりと覚えています。特にヘーシンクさんは今回の柔道受賞式でも元気な姿を見せており嬉しく思います。その他で強烈に印象に残っている選手では100mで10秒を切るかと騒がれたヘイズや幾つもメダルを獲った水泳のショランダー などがいました。
マラソンはいつもドラマが生まれますね。1970年頃、フォークソングに入ると思いますが「一人の道」という歌が流れたことがありました。♪ある日走ったそのあとで僕は静かに考えた・・・円谷選手とヒートリーのデッドヒート模様の実況録音も入った歌でした。
先日の"思い出のメロディ"では東京オリンピックに関連して「東洋の魔女」の出演、そして「東京の灯よいつまでも」「愛と死をみつめて」が歌われておりました。
[ここで急に思いついたクイズを1つ。愛と死をみつめて→柔→(?)→ブルー・シャトー   (?)は何でしょうか]
1964年だったんですね。青山さんの歌声は当時と全く変わらないように聞こえました。同じ頃に歌われたコロムビア・ローズさんの「智恵子抄」も思い出しますね。
当時の私はテレビは子供向けに限らず、家族と一緒に歌番組、寄席、コメディ、時代劇、外国ドラマ・・何でも見ていたように思います。その頃は「隠密剣士」にはもちろん夢中になっていましたが、外国吹き替えモノも好きで若山弦蔵さんの声が印象深い「バークにまかせろ」とか、オープニングナレーションではあの印象的な吹き替えと共に"ザ・ヒュージティブ"と言う原題も叫ばれていた「逃亡者」も欠かさず見ていたと思います。
映画「赤いハンカチ」もこのオリンピックの年ですね(歌がヒットして
できたんですよね)。映画を実際に観たのはずっと後になってからでした。裕次郎さんの歌うこの主題歌も大好きです。
「ウルトラC」という言葉も流行りました。東京オリンピックの体操からですよね。後の「ウルトラQ」や「ウルトラマン」のタイトルも多分ここから来てるのだと思います。あの頃は友達同士の会話でも時々「ウルトラ〜」と入れていた気もします。
「チョー〜」と言う言葉に違和感を覚えていたのですが、自分も変わりなかったですね。そう言えば北島康介さんも「チョー気持ちいい」と言っていましたか。

オリンピック ヲアニー 8/20

アテネ五輪が開催されているが、連日、日本選手が活躍している。特に、体操・日本が復活したことはうれしい。

東京オリンピックが開催されたのは昭和39年、私が小学校六年生のときであった。そのとき日本が獲得した金メダルは、たしか16個であったと思う。
メダルを多く獲得したのは、レスリング、体操の団体と個人種目、東京大会から採用された柔道などであった。
当時の記憶をたどってみます。

開会式の行進は、古関祐而作曲によるオリンピック行進曲により各国の選手が入場。五輪旗たなびくポールの高さは、アムステルダム大会の三段跳びで優勝した織田幹夫さんの記録15メートル21である。最終聖火ランナーの坂井義則(字は?)さんの手によって聖火が点火された。

以下、私が今でも東京大会で記憶に残っている選手を、種目別に書いてみます。
◎一万メートル…チュニジアのガムーディー、オーストラリアのクラーク、米国のミルズ選手によるラスト1周のデッドヒート。最後の直線で、3位から猛烈にラストスパートしたミルズ選手が優勝。
しかし、他の選手はすべてゴールしたが、一人だけまだ走っている選手がいた。それは、セイロンのカルナナンダという選手だった。観衆から盛大な拍手を浴び、ゴールインした。あの光景を見て、心に打つものを感じたものだ。数年前、NHKでそのことが取り上げられていたが、カルナナンダ選手は、事故で亡くなったと聞いた。悲しかった。
◎八百・千五百メートル…ニュージーランドのスネル選手が、ラスト一周で猛烈なスパートで優勝。実は、私はアベベ選手とスネル選手にあこがれて、中学校では陸上部に入った。
◎女子八百メートル…今では女性もマラソンを走るが、当時は、女性は一番長くて八百メートルまでしか走れないと言われていた。英国のパッカー選手が優勝し、ゴールした直後、婚約者のところへ駆け寄りました。
◎体操…個人総合優勝の遠藤、選手宣誓をした小野喬、鶴見、早田、山下選手などです。ソ連では、男性ではシャハリン、女性ではアスタホワ、ラチニナ選手。チェコスロバキアのチャスラフスカ選手が印象に残っています。
◎柔道…猪熊、岡野、神永選手です。オランダのへーシンク選手はもちろんです。
◎ボクシング…桜井選手が金メダルを獲得しました。
◎重量挙げ…三宅選手がフェザー級で金メダル。あと、階級は違ったが、一ノ関選手が、たしか銅メダルだったと思います。
◎バレーボール…先日の思い出のメロディに出演されていましたが、「東洋の魔女」と言われたメンバーですね。実況中継したNHKの鈴木アナウンサーをして「金メダルポイント」と言わせました。最後は、ソ連の選手がオーバーネットの反則で、あっけなく試合が終わりました。
◎マラソン…銅メダルの円谷選手、競技場へ入ってからラストスパートで円谷選手を抜いた英国のヒートリー選手です。アベベ選手は、ゴールイン後も体操をしていました。すごい選手なのだと思ったものです。
◎東京五輪音頭…これは種目ではありませんね。古賀政男がNHKから依頼され、作曲しました。
ローマ五輪後に古賀政男はローマを訪れたとき、イタリアの人から「あと4年たったら、今度はあなたの国、日本で開かれるんですよ」と言われ、そのとき強い感動を受けたそうです。その詩を渡されたとき、あのローマの光景が感動ととともによみがえり、一気にメロディを書き上げたのがこの歌だそうです。
♪ハァ〜 あの日ローマでぇぇ 眺めぇぇたぁ月ぃが〜 今日は都の空照らす〜 四年たったら また会いまぁしょと 固い約束夢じゃない・・・♪

アテネ五輪はまだ最中ですが、毎晩なかなか眠れそうにありませんね。


盆踊りカラオケ大会・・ ヲアニー 8/16
ウ〜イ・・地区の盆踊りカラオケ大会があり、歌いましたよ。
しかし、酒・ジュースが飲み放題なので、ビールを飲み過ぎ。本番では、懐メロならぬ”メロメロ”で歌いました。
私が出場したのに、家族の者は・・
ヲアネー(妻)は、恥ずかしいからと家で私の「美声」を聞く・・(我が家の向かい側の広場が会場です)。
母は、オリンピックがおもしろいからとテレビ観戦。
父は、用事があってお出かけ。夜中でないと帰らない。
コアネー(娘)は、残業で帰らず。
コアニー(息子)は、見に来ていたが、曲はわからず・・(小さいころ、よくテープを聞かせたのに覚えていないようだ)。
ヲユキがデジカメで撮ってくれました。しかし、光が足らず写っていない。
年配の方は、意外と最近の歌を歌われる。「流転」「お富さん」を歌われた方があったが、あとは知らない歌がほとんど。
ちなみに、私の歌った歌は「緑の地平線」でした。