2004年10月分の書き込み

マントのヒーロー ヲアニー 10/15

子どものころに、ヲユキを両手両足で支えて空を飛ぶまねをさせて遊んだこともあった。
子どもにも、スーパーマンをイメージしてではなかったが、そうやって遊んでやったら結構喜んだものだ。自分自身も小さいころが懐かしいが、我が子も小さかったころが懐かしい。

我々が小さいころは、スーパーマンを初め、マントをつけたヒーローが多かったですね。
思い出すのは、七色仮面、月光仮面、遊星王子、ナショナルキッドはよく話題になりますが、それからスター仮面というのもありましたね。更に、少し新しくなると遊星仮面でしょうか。


今、唐突に・・・ ヲユキ 10/14
子供の頃の記憶が蘇ってきました。
何時の頃かハッキリしませんが(小学生の頃でしたが何年生の頃だったのか・・?)、ヲアニーさんが仰向けに寝て私の肩を両手で、腰を両足で支え、私は手足を真っ直ぐに伸ばして「スーパーマン」のメロディ(と思います)を唄いながら飛ぶ真似をしていた情景が思い出されてきました。
と、言うことは私もテレビで「スーパーマン」を見たことがあったのかナ?
残念ながらその辺りの事はハッキリと思い出すことができません。

訂正致します ヲユキ 10/14

日付は12日で記しています。
     ↓
日付は13日で記しています。

ぽせいどんさんのおっしゃっているアニメ版「スーパーマン」はディブ・フライシャーのアニメーションでしょうか?
これはビデオが発売されたことがあり(1989年)購入してみました。
殆どフルアニメーションと言っても良いほど細かい動きです。
当時、アニメーションも放映されていたと聞いたことはありますが私は見たことがありません。


ヲユキ 10/14

昨日は、先週オープンした書店に寄ってみました。
オープン当日ラヂオでも放送され、帰りに探したのですがその日は判らず、昨日仕事先に車で向かう途中に運良く、偶然に見つける事が出来ました。
店内は広々としていて、書物は24万冊有ると記されていました。
早速私は一番角の棚から一冊ずつ本を確認・・・・約2時間後、全ての棚の確認を終えました。
これでこの書店にある本の一点一点を全て記憶(って・・棚に並んだ本を一冊ずつ確認はしましたが、さすがに全て覚えるのは無理ですし意味のないことですから、どう言った傾向の本がありどの系統の本は何処の棚にある・・と言ったことは全て覚えました)しました。
今まで見たこともない洋書、専門書などもあり内容は充実していると感じました。
その中から今回私が購入したのは2冊・・・
一冊目はその本専用の区切られたコーナーが作ってあり、初めての書店でさすがにそこまで入るのには気が引けましたが全ての書物を確認しておきたかったものですし、他の書店ではいつも見ておりますので迷いは一瞬のことでした。
一組だけ先客がいました、私は先客の邪魔をしないようゆっくりと見て回り・・・有りました!「美少女戦士セーラームーン 完全版 メモリアルブック(小学館)」です。
多分絵本に近い形態の本と思いましたので私の想像通り児童書専門のコーナーに有りました。
私の地方ではこの日入荷したものと思えます。
先客の親子が絵本を読んでいる声を聴きながらこのコーナーの本も全て目を通し、この場はそのまま児童書のコーナーを後にしました(まだ確認しなければならない棚は1/3以上有りますので、これを抱えながら店内を歩くのはやはり気が引けましたので・・・)。
次ぎに目を留めたのは映画関連のコーナーでした。
ポスター集、監督、映画、時代劇、現代劇・・・今まで目にしたことのある本が殆どでしたが、中にはまだ見ていない本も色々と揃っていました。
最初に手に取ったのは新東宝の1ジャンルについてポスター、スチールなども沢山収録された本でした。
本来この様なジャンルには興味は無かったのですが、ある時DVDソフトの「女真珠王の復讐」を何故か購入して見て面白かったものですから、その後「海女の戦慄」他数本購入して見るほど嵌ってしまいました。
上記2作品はともに前田通子さん主演の映画です。
「女真珠王の復讐」はBBS−2で御紹介させて頂いた「北京原人の逆襲」のエブリン・クラフトと同じ様なコスチュームを纏い熱演されていますし、「海女の戦慄」では前田さんご自身で服部レイモンド作曲の主題歌を唄われ(挿入歌は小坂一也さんが唄われています)、他に三ツ矢歌子さんや太田博之さんも出演されています。
この2作で新東宝映画(これ以前に「スーパージャイアンツ」も購入してみましたが)、前田通子さんに興味を持ち他の主演映画などを調べている内にその後の前田さんについて、当時の映画界のあり方など色々と知ることが出来ました。
主演された映画は多くは無いようですが、「怪獣マリンコング」にも出演されていたようです。
本の値段を見ますと今の私には高い出費・・一応候補に上げて次を見ておりますと「東映娯楽版コレクション 戦慄と冒険の映画王国」と言う本が目に付き手に取ってみますと表紙は映画「月光仮面」のスチール(カラーですが彩色されたものと思えます)、裏も「月光仮面」と「怪獣コング」のスチール・・・わくわくしながら頁を開きますと最初に18ページに渡って「笛吹童子」「七つの誓い」「月笛日笛」「天兵童子」「孫悟空」「風雲黒潮丸」「少年猿飛佐助」「神州天馬侠」「里見八犬伝」「風小僧」「鬼面の騎士」などの時代劇、「まぼろし怪盗団」「少年探偵団」「月光仮面」「遊星王子」「七色仮面」などの探偵活劇のポスターがカラーで掲載され、本文にもモノクロでポスター、パンフレット、新聞広告、スチールなどが多数掲載され、この本の著者の子供の頃に御覧になった映画の思いでをつづった解説が記されています。
これは値段を見るまでもなく購入する決心をし、取り敢えず値段を見ますと、先程の新東宝の本と同じ出版社から発行された本で同じ値段でした。
今回は新東宝の方は購入を見合わせる事にしました。

書込している内に日付が替わりましたネ。
日付は12日で記しています。


いまから40年くらい前かな ぽせいどん 10/13

我が家にTVが入った日
最初に映し出されたのがスーパーマンでした。
ただしアニメ版ですが

実写スーパーマンはそれ以前ですね
近所の駄菓子屋で夏休みになると毎日のように視ていました。


Re:スーパーマン ヲアニー 10/12

おはようございます。
ヲユキはさりげなく”弾”と書いているが、昨日、ぽせいどんさんとのチャットの会話の中で、「”玉”よりも速く」は、「”弾”…」でしょうと言われたが、確かにそのとおりでした。訂正させていただきます。

小さいころの大切な思い出は、いつまでも変わらないで大事にしまっておきたいという気持ちがあるように、私にとってのスーパーマンは、やはり小学校のころに見たあの場面がいつまでも忘れられません。
ヲユキが言うように、スーパーマンがビルから飛ぶ場面や飛んでいる場面は同じ映像だったが、スーパーマンを見るだけでうれしかった。
もちろん、クリストファー・リーブ主演のスーパーマンを否定するものではなく、新しい撮影技術やストーリーを見て、感動することもあるでしょう。
私が新しいスーパーマンを見なかったのは、むしろあのころは仕事に追われて見る余裕がなかったと言った方がいいかもしれません。


スーパーマン ヲユキ 10/11

私もこのシリーズは全て観ました。
第一作を劇場で見たとき、初めてスーパーマンの衣装を身につけて飛び立った場面は本当に飛んでいるようで感動しました。
新聞社の屋上から、ロイスののったヘリコプターが落下し、スーパーマンがロイスを受け止め、片手でヘリコプターを持ち上げヘリポート戻す場面では劇中同様観客の中には立ち上がって拍手をしながら観ている人も居て(さすがに私はそこまで出来ませんでしたが)まるでその場に居るような臨場感を持って見たことが思い出されます。
海苔海苔さんの言われる映画も見ましたが、やはり一番印象に残っているのはスーパーマンです。
事故後のクリストファー・リーブ氏の活動などを写した映像なども見たことが有りますが、海苔海苔さんのおっしゃるように実生活でもヒーローとして生きた人と言えると私も思います。

「弾よりも速く・・・」の「スーパーマン」は子供の頃は見た憶えがありません。
でも、昭和50年代初めの頃に、私の地方のローカル局で放映されていました。
当然カラーで見ましたが、スーパーマンの飛ぶ場面は殆ど同じ映像ばかりで、ギャング達との格闘場面も地味な平和な作品でした。
確かこのオープニングはビデオに録画して(家庭用ビデオが発売され、やっと私でも購入出来るような価格となり無理をして購入した当初の頃、テープは120分一本が3000円〜4000円、気軽に買えず一本のテープを使い回していましたが、それでも気に入った番組のオープニング、エンディングは録画して残したものも僅かばかり有ります)残して居るはずです。

それにしても、次々と私の知らないヲアニーさんの過去(幼少時の)がハッキリとしてきました。
今のをアニーさんを見ていると全く想像出来ませんネ。


Christopher Reeve 海苔海苔 10/11
両親の墓参りに行く途中、車の中で Christopher Reeve の訃報に接しました。ヲアニーさん、我々と同じ52歳ですよ。彼の Superman series は全て観ました。”Somewhere in Time” は、1980年中国に語学留学に行く前、涙をボロボロ流しながら観ました。この映画は、音楽も心に残る美しいものでした。その後、video で、”Village of the damned”(邦名:「光る眼」) を観た時は、Christopher Reeve が出演しているとは知らずに観ていたのですが、少し歳を取っていましたが、彼だとすぐに分かりました。相変わらずいい役を格好よく演じているな、と思いました。1995年に落馬し、首から下が麻痺した身体で、9年間も生き続けるなんて、凄い生命力、精神力だと思います。映画の中のみならず、real life でも本当の hero といえる人物でした。心からのご冥福をお祈り申し上げます。

スーパーマン・・ ヲアニー 10/11

スーパーマンを演じたクリストファー・リーブさんが、心不全のため亡くなりました。ご冥福をお祈りします。

私はこの方が主演した映画は見ませんでしたが、小学校のときにテレビで放映されたスーパーマンを、近所や親戚で見せてもらいました。”玉よりも速く、機関車よりも力が強く(だったかな)”というナレーションで始まると、姿勢を正して見たものです。
クラーク・ケントが眼鏡と上着を捨ててスーパーマンに変身、ビルの窓から勇敢に飛び出すシーンは、見ていて心が躍りました。
風呂敷マントをつけて両手を前に突き出し、走ってスーパーマンのまねをして遊びました。忍者ごっこと同じく、飛び降りたりもしました。


野口雨情、中山晋平 ヲアニー 10/10

今回の台風は、アッという間に過ぎ去ったようですが、雨量も結構あったようです。山陰地方は、今回の台風は影響がありませんでしたが、今朝は豪雨がありました。

サムソンさんが書いておられる野口雨情と中山晋平ですが、私も「しゃぼん玉」には思い入れがあります。
この歌は、野口雨情が子どもを幼くして亡くし、その悲しみからこの詩をつくったと聞いたことがあります。
♪しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ
 屋根まで飛んで 壊れて消えた……
『壊れて消えた』の歌詞が、野口雨情の無念の気持ちを感じさせます。
中学校の社会科の先生が、私が中学三年のときに他校へ赴任されました。体育館で赴任挨拶のときに、その先生がみんなの前で「しゃぼん玉」を歌って赴任していかれました。みんな泣きながら聞いていました。
その先生の兄さんの奥さんと、私は4年前に、1年間でしたが同じ職場・係でご一緒したことがあります。一緒に飲んだときにそのことを話したら、後日その先生も私を覚えていると言っておられると伝言がありました。
その先生が、なぜそのときに「しゃぼん玉」を歌われたのかは、覚えていません。3年前に定年退職されましたが、いつか同期生会を開く機会があれば聞いてみたいと思います。

「東京行進曲」は佐藤千夜子が歌いました。サムソンさんと同じように、歌っているのは見たことはありませんが、何かの番組で聞いたことはあります。高音の声で歌っていました。
昭和50年代だったと思いますが、NHKの朝の連続テレビ小説で、高瀬春奈、五大路子が佐藤千夜子役で出ていました。中山晋平と古賀政男の出会いも、その中にあったと思います。
藤浦洸が「なつめろの人々」で、佐藤千夜子のその生涯と題して記しています。
三浦環、藤原義江に続いてイタリアでオペラを勉強しに行ったが、音信がなくなり、そのうち新しい歌手が出てきて、日本では佐藤千夜子の名前は忘れ去られてしまったそうです。
先日書き込みした「紅屋の娘」も佐藤千夜子が歌っていました。


サムソン 10/10

ボギパパさんおっしゃるように、今回の台風は本当にアッと言う間でした。最も被害の大きかったのは千葉だったのでしょうか。"夕焼けの中の暴風"というのもスゴイです。写真でも見たことはありません。

ところで、中山晋平さんと言うとすぐ思い浮かぶのは野口雨情さん作詞の「しゃぼん玉」です。ホントは悲しい童謡ということでよく取り上げられますね。  ♪むかしこ〜いしぃぎ〜んざの・・ も中山さん作曲だったんですね。ナツメロ関係のBGMでもよく流れ、心に残る曲ですよね。でも佐藤さんという方が実際に歌われているのを拝見したことはありません。捜しましたらメロディ(カラオケ?)を見つけました。しばし聞き入っておりました。
  www.owasechojuen.or.jp/karaoke/


台風 ボギパパ(C爺)10/9
台風被害はありませんでしたか?
TVで御宿はだいぶ放送されていましたが。
台風本体はちょっと変わっていましたね。
突然強風が吹き出した暴風になり、あっと言う間に治まってしまった。
1時間半位の暴風でした。
それに、この年になり初めて夕焼けの中の暴風をい体験しました。

なるほど・・・ ヲユキ 10/8
カール・ブッセの詩の事だったんですネ。
この詩は、中学生の時に授業で習い、暗記しました。
でも、三遊亭歌奴さんの浪曲では聴いた憶えがありません。
テレビに出演されていたお姿やお顔は思い出せるのですが、何という番組だったのか記憶は曖昧です。

ムムムム・・・ ヲアニー 10/7

書き込み後に、見るとヲユキに対するサムソンさんのレスが・・。

サムソンさん、↓に書いた以上のことしかヲアニーには考えが浮かんできませんよ。(^^)


「柳亭痴楽はいい男」に関連して ヲアニー 10/7

ヲユキへ
>他に、「山のあなあなあな」とかも良く言われていましたが、これは誰の言われた言葉だったのかナ?
…三遊亭歌奴(現・圓歌)が言っていた。浪曲調で「山のあなたの空く 幸い住むと人の言う ああ われ人ととめゆきて…」という、カール・ブッセの詩を歌っていた。

海苔海苔さん
>♪青いハナを垂らしてた…
…これは記憶がありますよ!。岡本敦郎の「白い花の咲く頃」をもじって痴楽師匠がやっていました。

「痴楽綴り方教室」に、『東京娘の言うことにゃ、サノ言うことにゃ。柳亭痴楽はいい男……』という一節があります。
少し話が飛躍しますが、この名調子を聞くと、「紅屋の娘」という歌を思い出したものです。
http://www.spacelan.ne.jp/~cameraclub/beniya.html
♪べ〜にやで むすめの言うことにゃ サノ言うことにゃ
 は〜るの お月様 う〜すぐもり〜と サイサイ…
この歌は、小さいころ祖母が歌っていたのを聞いて覚えたように思います。中山晋平作曲ですが、軽快でいて、どこか哀愁が漂うメロディのように感じます。

ところで、古賀政男は中山晋平を目標にしていました。
大ヒットした「東京行進曲」などを前にして、何とかして中山氏を乗り越えようとむち打ってきたと、その著書「歌はわが友わが心」で述べています。
「東京行進曲」も、私の好きな歌の一つです。
♪昔恋しい銀座の柳 あだ名 年増をだれが知ろ……


山のあなあな、あなたもう・・ サムソン 10/7
歌奴(三遊亭円歌)さんの「授業中」です。この落語は大人気で、ひと頃はあちこちの寄席番組で歌奴さんが浪曲調でうなっておりました。生徒が指名されて詩を読みながらどもってしまう場面でしたね。「山のあなたの空遠く幸せ住むと人のいう・・」という詩でした。(えっ?ヲアニーさんの考えてたのは違うって?)

私は完全に話題に取り残されてしまいましたが・・・ ヲユキ 10/7

モハメッド・アリ=カシアス・クレイは知っていましたが、他の選手の名前は判りません。
私はボクシングの中継を見たことがあるかどうかも定かでは有りませんので当然かもしれませんが・・・でも、今ふっとガッツ石松さんの三度笠姿でリングに立つ姿が浮かんできました。
もしかしたらガッツ石松さんの試合は見たことがあるのかもしれません。

「笑点」も私は殆ど見たことが無く、皆さんが話されている話題も殆ど判りません。
サムソンさんの言われた「星の王子様」で思い出しましたが、私が小学生か中学生の頃、ヲアニーさんから良くこの言葉を聴いた記憶があります。
何のことだろう(ヲアニーさんが自分のことをその様に言わせたい?)と不思議に思った(もちろんサンテグジュペリは知っていましたが)ので今まで記憶の片隅に残っていたと思いますが、円楽さんの事だったのかナ?
他に、「山のあなあなあな」とかも良く言われていましたが、これは誰の言われた言葉だったのかナ?


柳亭痴楽はいい男 海苔海苔 10/7
サムソンさん 改名というよりは、その時のノリで。
「あなだはなかみせでこりさとなきまめあぱんもかてきてきめ」これ、柳亭痴楽師匠の「ラブレター、つづり方教室」の中で出てきたのを丸暗記してものです。「あなたは、仲見世で氷砂糖と南京豆とアンパンを買って来てね」ということらしいです。
♪青いハナを垂らした、ふるさとのわんぱく時代、かみなよ〜と言ったら、すすってなめちゃた〜よ、青いハナ、ショッパかったあの時のあの青いハナだよ♪は、「白い花?」の替え歌。

サムソン 10/6
いいですね〜。大言壮語・・ホラ吹き・・人生を楽しくすることこの上ナシです、ヲアニーさん。ちょっと前までジャンボ尾崎さんのこれに近いコメントなども大好きでしたよ。
>よく毎週おもしろい表現を・・
三波伸介さんは非常な勉強家とのことでした。その片鱗を伺わせますよね。
小痴楽さんは後の「梅橋」さんです。柳亭痴楽さん独特の口調も忘れられませんね。「・・・・・・痴楽綴り方教室のはじまり」ですね。

「笑点」に関連して ヲアニー 10/6

サムソンさんも「笑点」に関して書き込みしておられますが、私も追加して書かせていただきます。

談志師匠の司会による大喜利は、見たような記憶はあるのですが、余りはっきりとした記憶には残っていません。
サムソンさん言われるように、小円遊師匠・歌丸師匠の、お互いのけなし合いというか、掛け合いはおもしろかったですね。あと、レギュラー回答者で記憶にあるのは、円窓師匠と歌奴師匠も出ていたと思います。

学生時代に、池袋のパルコに行ったときに、小円遊を偶然見ました。恐らく、サイン会に招かれていたと思いますが、階段に座って話を聞いたことがあります。内容は、たしか「笑点」にまつわる話や、歌丸師匠の”悪口”などを言っていたように思います。あれから間もなくして亡くなりました。キザでしたが、好きな落語家の一人でした。

円楽師匠の司会も好きですが、三波伸介もよかったですねぇ。
座布団運びの松崎誠の紹介を、毎週おもしろく何かに例えてやっていました。よく毎週おもしろい表現を考えられるものだと感心するとともに、今週はどういう表現をするのかも楽しみの一つでした。

小痴楽は記憶にないですね。
痴楽と聞いて思い出すのが、柳亭痴楽師匠ですね。名調子の「痴楽綴り方教室」を聞くのが楽しみでした。
『……柳亭痴楽はいい男、鶴田浩二や錦之助、それよりう〜んといい男。てなてなことを一度でも……』と、中学生のころにドン・ガバチョの物まねと一緒に友だちの前でやって笑わせていました。その口調がいまだに消えず、大人になっても大言壮語する性格をいまだに引き継いでおります。


笑点 サムソン 10/6
海苔海苔様(改名されましたか?)に続きまして私も。
最近ラジオ番組への投稿の中に、「無言の葬儀の真っ只中、大きな音で
"笑点"の携帯着メロが流れてしまった」というのがありました。思わずその情景を想像してしまいましたが、まるでドリフのコントみたいですよね。でもこれも笑点人気を伺わせます。
笑点は談志さんが司会をされた頃から見ておりました。ただ、メンバーの入れ替わりが多くて司会の方とメンバーの方との組み合わせははっきり致しません。小痴楽さんなんかもいらっしゃいましたね。それから小円遊さん。小円遊さんと歌丸さんの掛け合いは楽しかったですね。そう考えると今なお活躍されている歌丸さんはスゴイです。その頃は星の王子様、円楽さんも回答者でしたね。
ところで談志さんと言えば、エピソードが限り無くありますよね。私が覚えてるだけでも幾つかあります。最も新しいのは"クイズミリオネア"です。今年の正月と思いますが、加賀まりこさんを応援ゲストとして出演されていました。ミロのヴィーナスの問題でパーフェクトの1,2問手前でみのさんの「残念」の声。その問題に異議があったのかどうだったのかは忘れましたが、獲得した小切手をこんなの欲しくて出たんじゃないんだよとばかりにちぎって紙吹雪舞う中、去って行かれたのです。ご覧になってお怒りになった方もいたかも知れません。でも私の目には、さすが意地っ張りな談志さんの面目躍如、粋な姿に映りました。またかなり以前の話ですが、円楽さんが司会をされている大喜利の最中でしたか、ゲストでもないのに突然回答者の方達の後ろを変な姿で横切り(ただそれだけです)皆をアッと言わせたことがありました。もちろん大受けでした。
さらにもう1つ。これは何かのトークゲストで小朝さんが、目撃されたことを語られたものです。でも残念な事に、強烈なエピソードであった
のは確かなんですが細かいいきさつは忘れてしまっているものです。確か、対立関係にある方の葬儀に出席された時の談志さんの振る舞いについてでした。その姿や一部始終の顛末を、あの小朝さん独特の天性のしゃべりで伝えておりました。それはどなたか覚えておいでなら是非もう一度聞いてみたいくらいの、心を惹き付けるエピソードでした。

Nexus改造計画 ぽせいどん 10/6
最近は水中写真にもデジタルの波が押し寄せてきました。
しかしかなりの出費になることは間違いありません。
手持ちの器材を改造することにより対応できるかもしれません。
とりあえずはじめてみました。
NikonF4用のハウジングをD100用に改造です。
http://www3.zero.ad.jp/poseidon/kohsaku/d100/d100.html

話題に取り残されまいと、思い出したことを徒然に 海苔海苔 10/6
学生の頃、世田谷の祖師谷大蔵というところに住んでいましたが、松崎誠が住んでおり、自転車をこぎながら、誰彼かまわず大声で、「こんちわ」と声をかける姿をよく目撃しました。近所では名物おじさんでしたが、今はどうしているのかしら。
大学生の頃、TVドラマや映画のエキストラをやっていて、「気になる嫁さん」で、町で石立鉄男とすれ違う通行人の足の役とかやりました。で、笑点でサクラもやったのですが、三波伸介さんは何のきっかけがあったか忘れましたが、観客に対し威嚇していました。彼は冗談のつもりだったのかも知れませんが、皆ひいていました。芸人さんなら、頭にくることがあったとしても、もっと別の表現方法ができたのではないかな、と思ったのを覚えております。
アリ対フレージャーは、実際に対戦する前にコンピューターで二人の戦いを予想する番組で、CGではなく、どうみても実写の二人が戦っているのを見ました。コンピューターを駆使したとはいえ、戦ったことのない二人を、どうやって実際に戦っているように見せているのだろう、と驚いたのを覚えております。それとも、あれはひょっとして、子供の勘違いだったのかしら。で、その予想の戦いでは、どちらが勝利したのかは覚えておりません。

「笑点」 ヲアニー 10/5

懐古人様、お久しぶりです。
『チャラ〜〜ン』は、楽太郎師匠が代わりにやっていますが、私も一日も早く回復され、登場されることを願っている一人です。

「笑点の謎」という本を以前購入しました。
それによると、こん平師匠は『ふるさとチャーザー村』とよく言っていますが、出身は、新潟県刈羽郡千谷沢(ちやざわ)村大字千谷沢字千谷沢が正式な地名だそうです。
江戸落語は、チャキチャキの江戸弁、下町のべらんめえ口調を早口で演じなければなりません。越後で育ったこん平師匠は、致命的なお国なまりがあり、師匠や兄弟子たちの度重なる指摘に、一時は失語症に陥ったこともあるそうです。
懐古人様は、こん平師匠のファンのようですから、こういうことはご存じかもわかりませんが、以前購入した本を思い出したものですから書き込みさせていただきました。

「笑点」は昭和41年5月15日から始まったそうですが、歴代の座布団運びは、初代司会の立川談志のときは毒蝮三太夫、二代目の前田武彦のときは小野千春とヨネスケ、三代目の三波伸介のときは松崎誠がやっていたそうです。
私は、毒蝮三太夫、小野千春(この人は元々知りません)、ヨネスケが座布団運びをやっていたとは知りませんでした。


お久しぶりです。 懐古人 10/5
 ちょっと時間が空いたので、書き込みます。
 ぽせいどん様も皆様も、お元気のことと思います。まだ、過去ログ見てない不手際者で本当にすみません。いつかは、詳しいレスと書き込みをしようと思います。 そうですね、クレイの初めての衛星中継?TV映像を思い出します。強かったですね。
 ところで、林家こん平師匠が早く回復され、ご登場なされることを、心から願っています。 あれは、昭和42年〜44年、こん平師匠が若き20代の頃、「♪こん平が、種まきゃ、カラスがほじくる・・」を歌っていたCMが、とても懐かしく想い出します。 そう、元祖柿の種でしたよね、こん平師匠殿! 白黒の画面に、柿の種の缶をもって種まくまねをして、ニコリと笑った師匠の丸い顔、大好きでした(笑)。早く復帰してください。
 また勝手な書き込みして申し訳ありません。皆さんと共に書き込みする時がくるよう、なんとか思っていますが、大変な仕事のスケジュールと家庭内事情でネットに出ることが少なく、また、いつか御邪魔します。

keiさん、そうですよ ヲアニー 10/5

>「ホラ吹きクレイ」と呼ばれるのもよく聞きました。でもほとんど彼の言った通りになったように思います。
>「自分ほどハンサムで顔のキレイなボクサーはいない。打たれたことが無いからだ。」という言葉も確かありました。
…サムソンさんは、まるでヲアニーのことを言われているようで、思わずドキッとしましたねぇ。
どうも、P島の島民の仲間に入れてもらってから、ホラを吹くのと、うぬぼれが強くなってきたように感じる今日このごろなのであります。

私は、アリの一番強いころは見たことがないのです。No.1570に書いたように、アリの試合を初めて見たのは、ジョー・フレージャーとの対戦でした。あのときは、初めて見ても強いころのアリの体つきではないことがわかりました。肉が付いて、動きも鈍かったように思います。
あの試合が記憶にあったものですから、その後対戦したフォアマンには、まさか勝つとは想像できませんでした。フォアマンと対戦したときは、既にアリの全盛期は過ぎていたと思っています。キンシャサでの試合運びは、考えに考え抜いた作戦だったのでしょう。
フォアマンを一発でマットに沈めたときは、まさにホラが本当になった瞬間でした。


サムソン 10/4
そうですね。当時のクレイと引退する頃のアリとは確かにイメージは変わっておりました。
「ホラ吹きクレイ」と呼ばれるのもよく聞きました。でもほとんど彼の言った通りになったように思います。「自分ほどハンサムで顔のキレイなボクサーはいない。打たれたことが無いからだ。」という言葉も確かありました。でも次第に、ヲアニーさんの言われるように動きは遅くなり「蝶のように舞い〜」とはいかなくなりましたね。

えっ? kei 10/4
カシアス・クレイって知ってる。
モハメド・アリと同一人物だたの?ボクシングは知らない世界だったからかもだけど、今日びっくりぃなり。  

カシアス・クレイ ヲアニー 10/2

カシアス・クレイがベトナム戦争の徴兵を拒否しタイトルを剥奪されたことは、私が中学生のころだったと思いますが、新聞などで読んで知っていました。
テレビで初めて試合を見たのは、たしか高校生のとき、ジョー・フレージャーとの対戦でした。そのとき初めて見ましたが、体が太りぎみで、動きが鈍かったような記憶があります。そのときの試合は、判定でアリが負けたと思います。
一番の記憶は、何と言ってもキンシャサで行われたジョージ・フォアマンとのタイトルマッチですね。
衛星中継で見ていましたが、当時はフォアマンは無敵と言われていたので、正直言ってアリが勝つとは思えませんでした。
あのときの試合は、『蝶のように舞い 蜂のように刺す』の言葉どおり、アリはフットワークを生かしフォアマンのスタミナを奪い、一発でKOしました。
8年前のアトランタ五輪では聖火最終「ランナー」を務めました。パーキンソン病を患いながらも、震える体を押してトーチを持っているアリを見て、感動しました。

ボクシング選手で更に思い出すのは、「大和魂」を流行語にした藤猛ですね。
私が中学三年のとき、東京への修学旅行から帰った日に世界タイトルマッチがありました。
チャンピオンはイタリアのサンドロロポポロ(表記は?)でしたが、KO負けしたことのなかったチャンピオンを、たしか2ラウンドか3ラウンドで倒し、藤猛がチャンピオンになりました。
後に自動車事故の影響があったのか、ニコリノ・ローチェに破れ、タイトルを失いました。


カシアス・クレイ サムソン 10/2
ヲアニーさんが別のところに、『蝶のように舞い 蜂のように刺す』モハメッド・アリ、と書いておられました。頭の中を駆け巡った思い出を数行記そうと思いましたが、流れもありましたのでこちらに少しだけ書かせて頂きます。
ネットでアリについて検索すれば、数え切れない程の記述が出てくると思います。ローマオリンピックで金メダルを獲った頃、物心はついていたと思いますが私はアリのことは知りませんでした。小学校の3〜4年生の頃、どなたかの寄付だと思いますが山の中の小さな学校なのに教室に1台ずつテレビが置かれました。教育テレビの番組(理科のが多かったような・・)を授業で見たり、テレビカメラを使って私たち児童による放送も行っていた記憶もあります(ちょっとアヤシイ記憶ですが・・いや間違いないです)。ある日(昼休みか休み時間と思います)何人ものクラスの仲間がテレビに釘付けになっておりました。ボクシングをやっていたのです。私が初めてモハメド・アリを見た日でした。当時はカシアス・クレイという本来の名で戦っており、今でもアリよりクレイのほうが私にとっては馴染む名前となっています。その時は、ヘビー級のド迫力とあまりのクレイの強さに見ていた仲間と共に圧倒されたことを覚えています。相手は誰だったのかは思い出せませんが、ソニー・リストンではなかったと思います。
その後しばらく忘れていましたが、ある日「徴兵拒否」「タイトル剥奪」という言葉と共にアリの姿が大きくニュースとなって流れました。
この時から再びアリのボクシングとその生き方に注目するようになりました。ジョージ・フォアマンとの戦いもレオン・スピンクスとの一戦も見ました。しかし後年の異種格闘技・猪木戦は、私が熱心なプロレスファンではないということもあるんですが、あっけなくて心に残るものとはなりませんでした。
今でもモハメド・アリと聞くとあの頃の小学校の教室と精悍なクレイの姿を思い出します。