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子どものころに、ヲユキを両手両足で支えて空を飛ぶまねをさせて遊んだこともあった。 我々が小さいころは、スーパーマンを初め、マントをつけたヒーローが多かったですね。 |
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子供の頃の記憶が蘇ってきました。 何時の頃かハッキリしませんが(小学生の頃でしたが何年生の頃だったのか・・?)、ヲアニーさんが仰向けに寝て私の肩を両手で、腰を両足で支え、私は手足を真っ直ぐに伸ばして「スーパーマン」のメロディ(と思います)を唄いながら飛ぶ真似をしていた情景が思い出されてきました。 と、言うことは私もテレビで「スーパーマン」を見たことがあったのかナ? 残念ながらその辺りの事はハッキリと思い出すことができません。 |
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日付は12日で記しています。 ぽせいどんさんのおっしゃっているアニメ版「スーパーマン」はディブ・フライシャーのアニメーションでしょうか? |
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昨日は、先週オープンした書店に寄ってみました。 書込している内に日付が替わりましたネ。 |
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我が家にTVが入った日 実写スーパーマンはそれ以前ですね |
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おはようございます。 小さいころの大切な思い出は、いつまでも変わらないで大事にしまっておきたいという気持ちがあるように、私にとってのスーパーマンは、やはり小学校のころに見たあの場面がいつまでも忘れられません。 |
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私もこのシリーズは全て観ました。 「弾よりも速く・・・」の「スーパーマン」は子供の頃は見た憶えがありません。 それにしても、次々と私の知らないヲアニーさんの過去(幼少時の)がハッキリとしてきました。 |
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両親の墓参りに行く途中、車の中で Christopher Reeve の訃報に接しました。ヲアニーさん、我々と同じ52歳ですよ。彼の Superman series は全て観ました。”Somewhere in Time” は、1980年中国に語学留学に行く前、涙をボロボロ流しながら観ました。この映画は、音楽も心に残る美しいものでした。その後、video で、”Village of the damned”(邦名:「光る眼」) を観た時は、Christopher Reeve が出演しているとは知らずに観ていたのですが、少し歳を取っていましたが、彼だとすぐに分かりました。相変わらずいい役を格好よく演じているな、と思いました。1995年に落馬し、首から下が麻痺した身体で、9年間も生き続けるなんて、凄い生命力、精神力だと思います。映画の中のみならず、real life でも本当の hero といえる人物でした。心からのご冥福をお祈り申し上げます。 |
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スーパーマンを演じたクリストファー・リーブさんが、心不全のため亡くなりました。ご冥福をお祈りします。 私はこの方が主演した映画は見ませんでしたが、小学校のときにテレビで放映されたスーパーマンを、近所や親戚で見せてもらいました。”玉よりも速く、機関車よりも力が強く(だったかな)”というナレーションで始まると、姿勢を正して見たものです。 |
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今回の台風は、アッという間に過ぎ去ったようですが、雨量も結構あったようです。山陰地方は、今回の台風は影響がありませんでしたが、今朝は豪雨がありました。 サムソンさんが書いておられる野口雨情と中山晋平ですが、私も「しゃぼん玉」には思い入れがあります。 「東京行進曲」は佐藤千夜子が歌いました。サムソンさんと同じように、歌っているのは見たことはありませんが、何かの番組で聞いたことはあります。高音の声で歌っていました。 |
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ボギパパさんおっしゃるように、今回の台風は本当にアッと言う間でした。最も被害の大きかったのは千葉だったのでしょうか。"夕焼けの中の暴風"というのもスゴイです。写真でも見たことはありません。 ところで、中山晋平さんと言うとすぐ思い浮かぶのは野口雨情さん作詞の「しゃぼん玉」です。ホントは悲しい童謡ということでよく取り上げられますね。 ♪むかしこ〜いしぃぎ〜んざの・・ も中山さん作曲だったんですね。ナツメロ関係のBGMでもよく流れ、心に残る曲ですよね。でも佐藤さんという方が実際に歌われているのを拝見したことはありません。捜しましたらメロディ(カラオケ?)を見つけました。しばし聞き入っておりました。 |
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台風被害はありませんでしたか? TVで御宿はだいぶ放送されていましたが。 台風本体はちょっと変わっていましたね。 突然強風が吹き出した暴風になり、あっと言う間に治まってしまった。 1時間半位の暴風でした。 それに、この年になり初めて夕焼けの中の暴風をい体験しました。 |
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カール・ブッセの詩の事だったんですネ。 この詩は、中学生の時に授業で習い、暗記しました。 でも、三遊亭歌奴さんの浪曲では聴いた憶えがありません。 テレビに出演されていたお姿やお顔は思い出せるのですが、何という番組だったのか記憶は曖昧です。 |
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書き込み後に、見るとヲユキに対するサムソンさんのレスが・・。 サムソンさん、↓に書いた以上のことしかヲアニーには考えが浮かんできませんよ。(^^) |
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ヲユキへ 海苔海苔さん 「痴楽綴り方教室」に、『東京娘の言うことにゃ、サノ言うことにゃ。柳亭痴楽はいい男……』という一節があります。 ところで、古賀政男は中山晋平を目標にしていました。 |
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歌奴(三遊亭円歌)さんの「授業中」です。この落語は大人気で、ひと頃はあちこちの寄席番組で歌奴さんが浪曲調でうなっておりました。生徒が指名されて詩を読みながらどもってしまう場面でしたね。「山のあなたの空遠く幸せ住むと人のいう・・」という詩でした。(えっ?ヲアニーさんの考えてたのは違うって?) |
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モハメッド・アリ=カシアス・クレイは知っていましたが、他の選手の名前は判りません。 「笑点」も私は殆ど見たことが無く、皆さんが話されている話題も殆ど判りません。 |
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サムソンさん 改名というよりは、その時のノリで。 「あなだはなかみせでこりさとなきまめあぱんもかてきてきめ」これ、柳亭痴楽師匠の「ラブレター、つづり方教室」の中で出てきたのを丸暗記してものです。「あなたは、仲見世で氷砂糖と南京豆とアンパンを買って来てね」ということらしいです。 ♪青いハナを垂らした、ふるさとのわんぱく時代、かみなよ〜と言ったら、すすってなめちゃた〜よ、青いハナ、ショッパかったあの時のあの青いハナだよ♪は、「白い花?」の替え歌。 |
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いいですね〜。大言壮語・・ホラ吹き・・人生を楽しくすることこの上ナシです、ヲアニーさん。ちょっと前までジャンボ尾崎さんのこれに近いコメントなども大好きでしたよ。 >よく毎週おもしろい表現を・・ 三波伸介さんは非常な勉強家とのことでした。その片鱗を伺わせますよね。 小痴楽さんは後の「梅橋」さんです。柳亭痴楽さん独特の口調も忘れられませんね。「・・・・・・痴楽綴り方教室のはじまり」ですね。 |
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サムソンさんも「笑点」に関して書き込みしておられますが、私も追加して書かせていただきます。 談志師匠の司会による大喜利は、見たような記憶はあるのですが、余りはっきりとした記憶には残っていません。 学生時代に、池袋のパルコに行ったときに、小円遊を偶然見ました。恐らく、サイン会に招かれていたと思いますが、階段に座って話を聞いたことがあります。内容は、たしか「笑点」にまつわる話や、歌丸師匠の”悪口”などを言っていたように思います。あれから間もなくして亡くなりました。キザでしたが、好きな落語家の一人でした。 円楽師匠の司会も好きですが、三波伸介もよかったですねぇ。 小痴楽は記憶にないですね。 |
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海苔海苔様(改名されましたか?)に続きまして私も。 最近ラジオ番組への投稿の中に、「無言の葬儀の真っ只中、大きな音で "笑点"の携帯着メロが流れてしまった」というのがありました。思わずその情景を想像してしまいましたが、まるでドリフのコントみたいですよね。でもこれも笑点人気を伺わせます。 笑点は談志さんが司会をされた頃から見ておりました。ただ、メンバーの入れ替わりが多くて司会の方とメンバーの方との組み合わせははっきり致しません。小痴楽さんなんかもいらっしゃいましたね。それから小円遊さん。小円遊さんと歌丸さんの掛け合いは楽しかったですね。そう考えると今なお活躍されている歌丸さんはスゴイです。その頃は星の王子様、円楽さんも回答者でしたね。 ところで談志さんと言えば、エピソードが限り無くありますよね。私が覚えてるだけでも幾つかあります。最も新しいのは"クイズミリオネア"です。今年の正月と思いますが、加賀まりこさんを応援ゲストとして出演されていました。ミロのヴィーナスの問題でパーフェクトの1,2問手前でみのさんの「残念」の声。その問題に異議があったのかどうだったのかは忘れましたが、獲得した小切手をこんなの欲しくて出たんじゃないんだよとばかりにちぎって紙吹雪舞う中、去って行かれたのです。ご覧になってお怒りになった方もいたかも知れません。でも私の目には、さすが意地っ張りな談志さんの面目躍如、粋な姿に映りました。またかなり以前の話ですが、円楽さんが司会をされている大喜利の最中でしたか、ゲストでもないのに突然回答者の方達の後ろを変な姿で横切り(ただそれだけです)皆をアッと言わせたことがありました。もちろん大受けでした。 さらにもう1つ。これは何かのトークゲストで小朝さんが、目撃されたことを語られたものです。でも残念な事に、強烈なエピソードであった のは確かなんですが細かいいきさつは忘れてしまっているものです。確か、対立関係にある方の葬儀に出席された時の談志さんの振る舞いについてでした。その姿や一部始終の顛末を、あの小朝さん独特の天性のしゃべりで伝えておりました。それはどなたか覚えておいでなら是非もう一度聞いてみたいくらいの、心を惹き付けるエピソードでした。 |
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最近は水中写真にもデジタルの波が押し寄せてきました。 しかしかなりの出費になることは間違いありません。 手持ちの器材を改造することにより対応できるかもしれません。 とりあえずはじめてみました。 NikonF4用のハウジングをD100用に改造です。 http://www3.zero.ad.jp/poseidon/kohsaku/d100/d100.html |
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学生の頃、世田谷の祖師谷大蔵というところに住んでいましたが、松崎誠が住んでおり、自転車をこぎながら、誰彼かまわず大声で、「こんちわ」と声をかける姿をよく目撃しました。近所では名物おじさんでしたが、今はどうしているのかしら。 大学生の頃、TVドラマや映画のエキストラをやっていて、「気になる嫁さん」で、町で石立鉄男とすれ違う通行人の足の役とかやりました。で、笑点でサクラもやったのですが、三波伸介さんは何のきっかけがあったか忘れましたが、観客に対し威嚇していました。彼は冗談のつもりだったのかも知れませんが、皆ひいていました。芸人さんなら、頭にくることがあったとしても、もっと別の表現方法ができたのではないかな、と思ったのを覚えております。 アリ対フレージャーは、実際に対戦する前にコンピューターで二人の戦いを予想する番組で、CGではなく、どうみても実写の二人が戦っているのを見ました。コンピューターを駆使したとはいえ、戦ったことのない二人を、どうやって実際に戦っているように見せているのだろう、と驚いたのを覚えております。それとも、あれはひょっとして、子供の勘違いだったのかしら。で、その予想の戦いでは、どちらが勝利したのかは覚えておりません。 |
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懐古人様、お久しぶりです。 「笑点の謎」という本を以前購入しました。 「笑点」は昭和41年5月15日から始まったそうですが、歴代の座布団運びは、初代司会の立川談志のときは毒蝮三太夫、二代目の前田武彦のときは小野千春とヨネスケ、三代目の三波伸介のときは松崎誠がやっていたそうです。 |
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ちょっと時間が空いたので、書き込みます。 ぽせいどん様も皆様も、お元気のことと思います。まだ、過去ログ見てない不手際者で本当にすみません。いつかは、詳しいレスと書き込みをしようと思います。 そうですね、クレイの初めての衛星中継?TV映像を思い出します。強かったですね。 ところで、林家こん平師匠が早く回復され、ご登場なされることを、心から願っています。 あれは、昭和42年〜44年、こん平師匠が若き20代の頃、「♪こん平が、種まきゃ、カラスがほじくる・・」を歌っていたCMが、とても懐かしく想い出します。 そう、元祖柿の種でしたよね、こん平師匠殿! 白黒の画面に、柿の種の缶をもって種まくまねをして、ニコリと笑った師匠の丸い顔、大好きでした(笑)。早く復帰してください。 また勝手な書き込みして申し訳ありません。皆さんと共に書き込みする時がくるよう、なんとか思っていますが、大変な仕事のスケジュールと家庭内事情でネットに出ることが少なく、また、いつか御邪魔します。 |
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>「ホラ吹きクレイ」と呼ばれるのもよく聞きました。でもほとんど彼の言った通りになったように思います。 私は、アリの一番強いころは見たことがないのです。No.1570に書いたように、アリの試合を初めて見たのは、ジョー・フレージャーとの対戦でした。あのときは、初めて見ても強いころのアリの体つきではないことがわかりました。肉が付いて、動きも鈍かったように思います。 |
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そうですね。当時のクレイと引退する頃のアリとは確かにイメージは変わっておりました。 「ホラ吹きクレイ」と呼ばれるのもよく聞きました。でもほとんど彼の言った通りになったように思います。「自分ほどハンサムで顔のキレイなボクサーはいない。打たれたことが無いからだ。」という言葉も確かありました。でも次第に、ヲアニーさんの言われるように動きは遅くなり「蝶のように舞い〜」とはいかなくなりましたね。 |
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カシアス・クレイって知ってる。 モハメド・アリと同一人物だたの?ボクシングは知らない世界だったからかもだけど、今日びっくりぃなり。 |
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カシアス・クレイがベトナム戦争の徴兵を拒否しタイトルを剥奪されたことは、私が中学生のころだったと思いますが、新聞などで読んで知っていました。 ボクシング選手で更に思い出すのは、「大和魂」を流行語にした藤猛ですね。 |
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ヲアニーさんが別のところに、『蝶のように舞い 蜂のように刺す』モハメッド・アリ、と書いておられました。頭の中を駆け巡った思い出を数行記そうと思いましたが、流れもありましたのでこちらに少しだけ書かせて頂きます。 ネットでアリについて検索すれば、数え切れない程の記述が出てくると思います。ローマオリンピックで金メダルを獲った頃、物心はついていたと思いますが私はアリのことは知りませんでした。小学校の3〜4年生の頃、どなたかの寄付だと思いますが山の中の小さな学校なのに教室に1台ずつテレビが置かれました。教育テレビの番組(理科のが多かったような・・)を授業で見たり、テレビカメラを使って私たち児童による放送も行っていた記憶もあります(ちょっとアヤシイ記憶ですが・・いや間違いないです)。ある日(昼休みか休み時間と思います)何人ものクラスの仲間がテレビに釘付けになっておりました。ボクシングをやっていたのです。私が初めてモハメド・アリを見た日でした。当時はカシアス・クレイという本来の名で戦っており、今でもアリよりクレイのほうが私にとっては馴染む名前となっています。その時は、ヘビー級のド迫力とあまりのクレイの強さに見ていた仲間と共に圧倒されたことを覚えています。相手は誰だったのかは思い出せませんが、ソニー・リストンではなかったと思います。 その後しばらく忘れていましたが、ある日「徴兵拒否」「タイトル剥奪」という言葉と共にアリの姿が大きくニュースとなって流れました。 この時から再びアリのボクシングとその生き方に注目するようになりました。ジョージ・フォアマンとの戦いもレオン・スピンクスとの一戦も見ました。しかし後年の異種格闘技・猪木戦は、私が熱心なプロレスファンではないということもあるんですが、あっけなくて心に残るものとはなりませんでした。 今でもモハメド・アリと聞くとあの頃の小学校の教室と精悍なクレイの姿を思い出します。 |
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