2005年7月分の書き込み

ナナフシ SDTM 7/31

判ります?

記事は↓
http://blog.goo.ne.jp/sdtm/e/26c0d3357e8b76a5c15fd2a5fdf25cb2


大竹一彰さんの写真に比べると・・・ ヲアニー 7/31

お恥ずかしい限りですが、今日初めて昆虫の撮影に挑戦しました。難しいですねぇ。
何せ、花にとまったと思ったら、すぐに飛んでしまう。ピントを合わせる余裕がない。まだまだ私は無駄な動きがあるようです。
D爺亀苦楽部にも蝶の写真を貼り付けましたが、このBBSにも貼り付けさせていただきます。これからも、ぽせいどんさんや大竹一彰さん、SDTMさんの昆虫写真を参考に、勉強させてもらいます。

懐古人さん
それは間違いと言えるものではないと思いますよ。気にされる必要はありません。
私は、このサイトにお邪魔させていただいて、思い違い、勘違い、記憶違い、誤字脱字などしょっちゅうです。ぽせいどんさんからは、思い違い、勘違いを大いに楽しみましょうと言っていただきました。
それにしてもNHKに確認されるとは、懐古人さんの几帳面な性格をうかがうことができます。
高橋圭三ものど自慢の司会をしていたのは、いつかテレビの懐かしの番組だかで見て知りました。
NHKの番組では、このほかに「私の秘密」「それは私です」「ジェスチャー」「シャープさんフラットさん」など、いい番組がありました。
アナウンサーも、ほかには八木次郎、小川○○(名前をど忘れしました)、野村泰治など、いいアナウンサーがいました。


台風7号のお土産 大竹一彰 7/31

今日、御宿町で撮影したクロアゲハ。
帰宅して調べたら、近畿以南に分布している
ナガサキアゲハ♂であった。
房総半島に上陸した台風7号の置き土産のようである。


お詫び 懐古人 7/31

 NHKのど自慢が60周年と間違って伝えまして、心からお詫び致します。
 60年を迎えてというアナウンサーの言葉を早合点し、今年で60年と誤解してしまいました。また、問い合わせ中に、今年で60周年ですねと簡単にNHKの方に聞いて、そうですねと聞いたものですから、今年と判断してしまった面もあります。 

 もう赤恥で、仕方がないので、先の報告は「来年の60周年」ということで、ひとつ御了解してください。

再度、確認したところ、
テレビのど自慢素人演芸会の初代司会者は、高橋圭三氏、
宮田 輝氏は 昭和35年からの6代目司会者ということでした。
あの写真は、昭和35年頃のものかと思います。 また、「のど自慢」とタイトルが変わったのは、昭和45年4月からとのことでした。 
時間が無く慌てて準備したことが良くなかったと思います。 NHK様や皆様に御迷惑をお掛けしたのではないか、と案じております。申し訳ございませんでした。

 お詫びとして、以下のロータリー車の写真をアップ致します。 ロータリー車は一番想い出深く、構造的に興味のあるものなので、やっと探しあてました。
 この写真は、名寄市北国博物館が、キマロキ構成除雪車展示の30周年記念に発行した冊子やブックレットに掲載しているものです。 これらの資料をいち早く早く購入したのです。
 年代の若い人には珍しいものではないかと思い、是非その姿を見てもらいたかったのです。
 ブックレットには、ロータリー車の体験記があり大変参考となりました。
 ロータリー車については、他に取材したものがありますので、本件の詳細を含め改めて報告する機会があると思います。

それでは、9月頃に、また来ます。 すみませんでした。


お詫びとして、ロータリーについて。 懐古人 7/31

 一般に、ロータリー車の正式名称は、「回転式雪かき車」と呼ばれ、キ600系に属します。
 構成と機能
 1.前方に回転羽根、この回転羽根の後方にボイラー車体、その後方に石炭車、とう形になっています。
 2.ボイラー車体で石炭が燃やされ蒸気によって羽根が回転します。ボイラー車体の上方に煙突があり、ここから煙りがでます。
 3.羽根によって雪がかきこまれ、上方斜めの放出口から放出されます。 
 4.ロータリー車自体は自走しません。後方に蒸気機関車が接続され、これがロータリー車を移動させます。 

写真のものは、キ620型 です。
製造日: 昭和14年11月20日
退任日: 昭和50年10月18日

上:、現役の頃の力強い勇姿。(昭和20年代)
(テレビで、このような姿をよく見ました) 

中: キ620の全体像(回転羽根全体を写したものが無いのが残念) 
下:
右側: 回転羽根の部分 左側:雪を放出する放出口部分(赤色とは意外でしたね)


2頭ゲット 大竹一彰 7/30

今年、初めてのアオスジアゲハ。
三流メーカーの100mmマクロを使用。
三脚をセットする時間がなかったので、手持ち。


台風7号 ぽせいどん 7/27

実際拍子抜けいたしました。
古い倉庫の雨戸なんぞ釘で打ち付けまでいたしましたのに...。
もとに戻すのがけっこう面倒。

でも何事もなくて良かったです。


エッ??台風7号?? ボギパパ(C爺) 7/26

午後8時半頃、台風7号はぽせいどんさんや私の住んでいる隣町に上陸したとか。
ちょっと信じられない状況なのです。
←に示すよう、風が吹かないのです??
台風の目に入ったわけではありません。
勝浦測候所の気圧は979.1Hpaを示していました。
進路を東に変えてから、「これは直撃だな!」と心の準備をしていましたが
なぜ??なんでなの?と・・・
この時間も雨も無くとても静かな夜を迎えています。
・・・・・・・・・・・・不思議だ???・


NHKのど自慢 ヲアニー 7/25

懐古人さん
貴重な写真ありがとうございます。
もう60周年になるのですね。終戦間もないころから始まったようですから、本当に長寿番組ですね。敗戦後の日本復興のために、日本人を勇気づけた番組の一つでしょう。
写真を拝見し、私は宮田輝しかわかりませんが、小さいころよくこの番組も見ました。

宮田輝は、「紅白歌合戦」はもちろんですが、たしか「ふるさとの歌祭り」という番組の司会もしていました。これは、毎週各地を訪ねて、そこの文化芸能、民謡などを紹介するものだったと思います。
番組の中で、宮田輝が客席の方へ行きインタビューをするシーンが毎回ありましたが、「どちらからお越しで」と尋ねると「○○から来ました」と観客が答えると、そこの土地にまつわるいろいろな話を宮田輝が詳しく言い返します。
事前に勉強しているのでしょうが、本当によく知っており、またユーモアを交えた話術は絶妙でした。
♪はぁ〜〜 虹をかけましょ南へ北へ 歌でつなごう西東
 お国なまりは違っていても ほんに○○よいところ
 さぁさ手拍子 しゃっきりしゃんと・・・
※「○○」は、その番組の開催地を入れて歌っていました。
宮田輝のことを懐かしく思い出しました。ありがとうございました。

昨日、米子城山へ登りました。暑かったのですが、いい汗をかきました。D爺亀苦楽部にも徐々に貼り付けていきますが、城山から一望した米子市内と、向こうに見えるのは島根半島です。


追加 懐古人 7/25

 しかし、いつ頃、「のど自慢」のタイトルになったかは、分からないそうです。 「テレビのど自慢素人演芸会」から人気が急上昇したらしいです。


自前レポート その1「祝 NHKのど自慢」 懐古人 7/25

ぽせいどん様や皆様、地震大丈夫ですか? 心配しております。
 さて、話題を変えて大変恐縮ですが、時間の関係でここに書き込みさせて頂きます。
 まず、NHK様、のど自慢 60周年 おめでとうございます。

 ここに、極めて初期の頃のテレビのど自慢の情景をアップします。
 母の知人から頂いたものです。非常に珍しいかと思います。

 この頃は、のど自慢がテレビ化された昭和27年以降のものと思われ、タイトルは「テレビのど自慢素人演芸会」です。しかし、いつ頃のショットか分かりません。

 NHK様に確認したところ、のど自慢が始まったのは、昭和21年1月19日からのラジオ放送で、タイトルは「のど自慢素人音楽会」だったそうです。

 その後、昭和22年7月頃に、「テレビのど自慢素人演芸会」のタイトルになり、歌に加えて演芸も追加された内容となり、鐘が初めて導入されたそうです。 

 アップした「テレビのど自慢素人演芸会」の司会者は、若き頃の 宮田 輝 氏です。
 知人によると、鐘は、佐伯氏、三味線は、ハタノカナエさん らしいです。  

 尚、ゲスト2名を迎えての現在の形式になったのは、昭和45年7月からとのことです。

 NHK様の「のど自慢」は母とともに、心の糧となっています。 一層の御躍進を祈っております。

 それでは時間が無い関係で一方的ながら失礼させて頂きます。 次回、また自前報告に来ます。


地震 海苔海苔 7/24

本日17時30分成田着。高速で車が全然進まない。掲示板に、地震のため木更津封鎖と書かれているのを見て、地震があったのを知りました。
連日の猛暑でビールが旨い。でも、ビールの飲みすぎのせいか、やばいことに通風が出てきました。ビールを控えねば。


地震 ヲアニー 7/23

先ほどD爺亀苦楽部に掲載後、このサイトを訪問。
地震のこと全くわかりませんでした。今、NHKのニュースを見ましたが、十数人けがされた方がおられるとのこと。今のところ建物の損壊などは出ていないようですが、お見舞い申し上げます。


地震 ぽせいどん 7/23

久々にゆれました。
震度は5です。
しかしみなさまご心配には及びません。
我が家はなんの問題も発生していません。


カラスアゲハ SDTM 7/22

☆ ぽせいどんさんのBLOG、人気あるんですね!
  羨ましいっす。少しあやかりたいですね。

  裏高尾での撮http://blog.goo.ne.jp/sdtm/e/6c2e837c441e816c8dbd3ebc257c08fb影です。
  記事は↓


Weblog ぽせいどん 7/21

今朝、昨日のアクセス状況をチェックしたら
1000オーバーだった。

・・・・・gooブログTOP頁の
「ブログスタッフお奨め!! 今日のイチオシフォトブログ!」
に紹介されていた。

昨夜の嫌みなコメント(削除済み)もこの所為だったのか。


SDTMさん・・・ ヲアニー 7/19

ご批評ありがとうございます。
SDTMさんの「気まま空間・西武9000系甲種回送」の機関車を意識していました。
ただ、私のはトリミングしてあり、撮影時刻は12時半頃で太陽も真上あたりで、ちょっと暗いです。また、機関車の文字と車両を、もっと大きく、よくわかるように写すべきだったと思っています。
発車時間はどうしようもありませんから、撮影場所を物色して、いつか再度挑戦してみようと思っているところです。
ありがとうございました。


列車の全体が撮れているの良いです。 SDTM 7/19

☆ 貨物の編成を見ますと、結構面白いですよ。

  まず機関車はEF64の1000番台 国鉄色でこれは珍しくなっています。

  次位の2両はよく判らないのですが、日本では
  珍しいcar-carrierじゃないかと思います。


貨物列車 ヲアニー 7/17

先日、列車を撮り終えてカメラをバッグに収めて帰ろうとしたら、貨物車が通り過ぎた。
今日は、こちらでは全日本トライアスロン皆生大会が行われ、応援に行ったついでに近くを通ったので待ち伏せました。


ラピード ぽせいどん 7/16

ハーフサイズのカメラですね。
巻き上げはストラップを引っ張るという特殊なもの。

このあとにコダックのインスタマチックシステムに対抗した
ラピッドシステムが出ました。短命に終わりましたが。
現在は126のインスタマチックもありません。


懐古人 7/15

おっと、ヤシカのラピードです。↓ 
当時¥11,800.

三太も昭和36年です。


ご無沙汰です。 懐古人 7/15

 ぽせいどん様、ご無沙汰と今までの感謝として、このような
ヤシカのカメラ広告を贈ります。

 昭和36年にして、今のカメラを予感する斬新なものですね。
当時のグッドデザイン賞もので、私は当然知らなかったのですが、
何となく見覚えがあるような気がします。 

 この長い間いろいろなことがあってネットにはあまり出てませんでした。このサイトも全くのぞくこともなく毎日がてんてこまいでした。ですから、今回一応挨拶をしに参りましたので、いままでのログは見ておりません。

 尚、何かしら支えられた気がして、思いこみ勝手の感謝のつもりで、今後月に一度か二度ぐらいのペースで、ネットによらない自前報告というシリーズをやらせて頂きます。 これは、身近なものを、自分の力でネット検索せずに調べたものを報告するという、長い間暖めていた手作りレポートです。従って、ネットに既出どうこうというより、要は感謝のための企画なので、ぽせいどん様も皆様も、ひとつお許し願います。 これからも毎日が多忙で、ここを覗く機会もあまり無く、レスの無い
一方的なものになりますが、何かしらご参考や懐かしみを感じて頂くだけで幸いです。来年頃には、ログをゆっくり見る機会があると思います。
(なんと言っても、出光様の皇帝第2楽章後半部を扱ったCMを観た時には、涙が出るほど感動致しました。ホロビッツ調の甘美なピアノの響きで..。皇帝を扱うCMが多かったので嬉しい限りです。皇帝第2楽章は「愛惜」とも呼ばれていたようですね。えーと、あれは片思いの青春に心をえぐるバックサウンドでした。生茶。また、ブラームスのピアノ協奏曲第2番は、皇帝とチャイコP協奏曲のミックスで、イントロのホルンとピアノを聞けばすぐ分かりますよね。第3楽章は皇帝第2楽章に通ずるものがあります...笑) 失礼しました。
   
(独り言:知床旅情を加藤登紀子さんがなぜ歌ったか?興行上の成り行きか、高木東六氏の問題か?)

 明日から節目に入る今日、スプーン一杯の幸せもある人生でありたく、皆様の御多幸もお祈りしております。


懐古人 7/15

三太物語です。

 ついでに、ぽせいどん様と皆様に、手みやげとしてもう一つ(笑)
 
 三太物語の放送開始のカットです。 水車小屋の一番上にいる少年は、ご存知、渡辺篤史氏です。 
 
 データは、(敬称略)
 出演者:
 とめ: 中尾哲平  さだ:相模忠平  花子:ジュディ・オング
 花萩先生: 中西杏子
 三太の父:市村俊幸 母:七尾怜子
 音さん:牟田悌三  音さんのかみさん:市川寿美礼 
 仙 爺:左 ト全  婆さん: 原 泉
 強羅さん:天草四郎  校長さん:瀬良 明
 フジテレビ、木曜ヨル7時に放送。,       

 このドラマの記憶はあまり無いのですが、水車小屋やジュディ・オングさんの記憶はなんとなくあります。 三太の父親が頑固者だったようですが、子供の仲を自然に描写し、人情味あふれるおもしろいものであったことは子供ながら憶えがあることは確かです。親も毎回楽しみに観ていました。

 尚、放送を記念し、抽選で、三太のハーモニカのプレゼントがあったようです。

 余談ですが、このドラマシーンで、父親に文句を言われながら三太が飯を食う時に、たくあんをご飯に当てて海苔のように丸め込み食べるシーンがあり、あんな食べ方があるんだと痛く感動し、以後たくあんを見ると必ずご飯を包んで食べるようになったですね(笑)。

 また、提供のアルコやモノゲンに、アップしたようなアヒルのマスコットや漫画がよく出てました。憶えてるCMの場面は、図示のようなアヒル人形が、三太の住む田舎のようなセット背景に、モノゲンを運んで、CM担当の女性と会話するシーンです。

 最後に、ロンドンのテロ事件は翻弄されてはいけません。 テロはテロでも諜報機関が分からないことは,個人的には政府側も見つめてます。 
 
 ネットにはあまり出られませんが、また来ます。 


ぽせいどん 7/11

とん楽さんお久しぶりです。

「月光仮面」は小学一年生の時に私が最初に描いたキャラクターでして...
またひとつ昭和が遠くなりました。

「夜霧の滑走路」と言うタイトルには記憶があります。
内容は???


三船 浩さん ヲユキ 7/11

三船 浩さんの歌は、その低音の声と相俟って男っぽい歌が多いですね。
私が三船さんの歌で知っている(唄える・・って、かなり音程は怪しいですが^^;ゞ)歌は、「月光仮面の歌」の他には「夜霧の滑走路」と言う歌が有ります。
当時この歌がヒットして、同名のタイトルの映画も制作された様です。
この映画は一年くらい前にCSで放映されましたが、ちょっとした手ちがいで観ることが出来ませんでした。
テレビの懐メロ番組でも「夜霧の滑走路」を唄われる事が多かったですが、一度だけテレビ番組で「月光仮面の歌」を唄われていたのを観たことが有ります。
いつの頃かハッキリしませんが、ここ10年以内の事と思いますので御覧になっていた方もいらっしゃるかもしれませんネ。
とん楽様のご投稿は昨日拝見しておりましたが、その時の映像とか、三船さんがおっしゃっていた事を出来るだけ思い出そうとして遅いレスとなりました。

唄う前に三船さんは、当時歌謡ショーなどで公演している時に、何時になく子ども達の姿が多いのに驚き、自分の歌は大人の聴く歌の筈なのにどうしてかな?と思っていると、子ども達が「月光仮面」唄って〜〜と言われてはじめてその訳が解った、と言う事をおっしゃっていました。
記憶が正しければ「月光仮面の歌」をテレビで生で唄うのは初めて・・ともおっしゃっていた様に思いますが、このことは定かでは有りません。
いずれにしましても、三船さんが唄われていた映像はそんなに多くないと思えますので、この時の映像は貴重なものかもしれませんね。
実際に唄われていた映像で印象的だったのは(これも記憶が正しければですが)、♪・・我が名は月光 月光仮面・・の所で、人差し指と中指でVサインを作り、その手を真横に(>)額に当てて唄われていたと思います。
その映像を見た時はハッキリとした意味がわからなかったのですが(単なるVサインと思っていました)、これは「月光仮面」の額の三日月を表現されていたものかもしれないと思いついたのは、それから暫く経ってからでした。
三船さんも楽しそうにノリノリで唄われていた映像でした。


月光仮面の歌・・・ ヲアニー 7/10

このBBSで三船浩さんの「月光仮面の歌」が話題になったことがあります。今年1月15日のNo1709でムサシさんが、「低音の名曲 わが名は月光、月光仮面・・・」という書き込みをされています。
実は、私はこの歌は知ってはいましたが、歌っている方はムサシさんに聞くまでわかりませんでした。「月光仮面はだれでしょう」が印象に残っていたものですから。

オンラインアルバムにも貼り付けました。日野川鉄橋を渡る「特急やくも」です。今日は、やくもを撮るつもりではなかったのですが、ちょうど通りかかったのでシャッターを押しました。


ゲームセンター 海苔海苔 7/10

ヲユキさん 100円で男の子やおばさん?と遊べてよかったですね。私の娘が塾に通っており、毎週土曜日は近くのスーパーの5階の本屋で娘と待ち合わせです。会った後は、同じ階にあるゲームセンターで300〜500円娘を遊ばせます。娘は時々お菓子を取れるとニッコリします。時々、私もソッと何か遊んでみるのですが、いつも何も取れません。「太鼓の達人」は、絶対に私がやった方が上手いであろうと思うのですが、私は手を出さないようにしています。


月光仮面の歌 とん楽 7/10

新聞に、月光仮面のエンディングの「月光仮面の歌」を歌っていた三船浩さんの死亡記事がありました。
記事には2,3の歌謡曲のタイトルが紹介されていましたが、月光仮面の歌には言及していませんでした。
一度ナマで聞きたかった・・・・・。合掌


今日は・・・ ヲユキ 7/9

仕事が午前中で終わり、いつもの様に県外のデパートに行ってみることに致しました。
もちろん、今回は購入したいアイテムが発売されていれば購入することが目的で、何方かが言われるところの“怪しい出費”をする為です(^^;)ゞ。
でも、どうしたわけか此方でもまだ発売されていないようで購入することが出来ませんでした。
こうなれば、ネット販売を利用するしか無いかもしれませんが、残念ながら昨年よりメールが使えなくなりましたのでそれも無理のようで、もう少し気長に待つ他無いようです。
時間はまだ2時前、せっかく来たのですから階下にあるゲーム場に行ってみる事に致しました。
カプセルトイも購入したいようなものは見あたらず、場内を回って子ども達が遊んでいるゲームを見て回りました。
と、場内の一郭にパチンコが有りました。
何人かの大人達が遊んでいましたので、私もやってみることに致しました。
私がパチンコをするのはこれで3度目です。
一度目は20歳の頃友達に連れられて、2度目はその数年後父、母、ヲアニーさんとでした。
2度ともついていたと言うのでしょうか、使ったのは100円だけでした。
今回はパチンコ屋さんではなく、子ども達も遊ぶゲーム場に有るものですからどうなりますか・・もちろん、私は使うのは100円だけと決めました。
まず台選びです、数タイプ有りましたが私は「新・海物語?」と言う液晶画面にお魚が泳いでいる台に決め、同じタイプは3台有りましたが真ん中の台にしました。
100円を投入し(100円で玉は50個有るようです)、玉はすぐに無くなると期待しないで適当にハンドル?を回して打ち始めました。
所が、どうした訳か打つ球の殆どが真上から、あるいはチューリップ(?・・と、言うのでしょうか)とか他の穴に入っていきます。
瞬く間に球数が増え、突然「リーチだよ!」とか聞こえたと思いますと慌ただしくランプが点滅し始めて音楽がなり始め、チューリップとか真下の扉?が開いたり閉じたりし始めました。
(アワワ・・こ、壊しちゃったのかナ^^;)と少々慌てましたが、よく見ますと玉が入ると下のトレイに次々とコインが出ています。
(そうか・・これは何かの条件を満たしたのでコインが出るようになったのか、でもいつまで続くんだろう?)
ハッキリした時間はわかりませんが、5分以上そのような状態が続き、コインもかなりの数出ていました。
やっと終わったと安心していますと「もう一回?」とか言ってまたまた「リーチ!」・・今度は余裕を持って液晶画面を見てみますと、3列のお魚に番号がありそれぞれ別々に横にスクロールして、数が縦と斜めで揃えば「当たり」となってコインが出るようになっている様です。
再び「当たり」、水着のポリゴンの女の子が出てきて笑いかけています。
こう言う状態になると球数は増えたり減ったりせずそのままになっているようでした。
トレイからコインがあふれ出しそうになり「アワワ・・これ、どうすれば良いの?」と、困っていますと横から「はい、これに入れれば良いですよ」と、一人の男の子(小学生)がプラスチックトレイを置いてくれました。
「ありがとう」私はお礼を言ってコインをプラスチックトレイに移し替えました。
ふと、辺りを観ますといつの間にか私の周りは男の子達が取り囲んで見物の輪が・・・
やっと元の状態に戻って打っていますと再び「リーチ」、「当たり」・・「リーチ」、「当たり」・・・ウ〜ン、このままでは終わることが出来ない(^^;)。
既にトレイにはあふれるほどのコインが有りますので私は途中でやめることにしました。
「あの・・ここやめられますか?・・代わってもらっても良いですか?」男の子の一人が言います。
「うん、良いよ」
私は台を男の子に譲り、「さて、このコインはいったいどうすれば良いのかナ?」と思案していますと「すみません・・コイン少し分けてもらえませんか?」と今度は別の男の子が空のトレイを持ってやってきました。
私はトレイを持って男の子の空のトレイにジャラジャラとコインを移しました。
「ウワ〜・・こんなに沢山!・・本当にもらって良いんですか?」
「うん、良いよ」
「ありがとうございます」男の子はうれしそうにトレイを持って駆けていきました。
まだ私のコインはトレイ一杯に有ります。
私は近くにいた男の子に「このコインって、どうすれば良いんですか?」と聞きますと「沢山あるから使ってしまうか、ここに預けておくかしないといけませんね」「使うって・・どのように?」男の子は近くに有るゲームを示して「あれで遊べますよ」「教えてもらえますか?」男の子はゲーム機の前に来て「コインをここから狙って台の上に落として(自分のコインを投入して見せてくれました)、こうすると入れたコインが重なったコインを押して台の端から落ちて・・・下の受け皿に落ちてきます」「アー・・なるほど、ありがとう」男の子は少しの間コインを入れて遊び、やがてパチンコをしている男の子の元に帰って行きました。
台は2段になっていて、上の台が前後に動き下に溜まったコインを押し、上の段にもコインが乗るようになっていてこの段のコインは壁に押されて落ちるようになっています。
私は最初下の段に投入口からねらって落としていたのですが、よく考えますとこれではコイン一枚分うまくいっても数ミリずつしか動きません。
でも上の台に落とせば多いときで4〜5枚落とすことも出来、その分下の台のコインも一枚ずつ投入していたときと比べればより多く動きます。
そのようにしてから、一度に受け皿に落ちてくるコインも多くなり・・トレイに少なく観ても4〜5百枚は有りそうだし・・って、これではいつ終わるかわからないナァ。
と、その時一人の身なりの良いお婆さんが横に来て受け皿から落ちたと思えるコインを拾って私のトレイに入れて「はい“お兄さん”、これ落ちてたよ、これはいつも受け皿からコインが飛んで出るから気を付けんといけん(いけない)よ」「すみません、ありがとうございました」話の様子からこのお婆さんはここに来るのは初めてでは無いようです。
時々私に話しかけながら横に立って私がコインを投入するのを眺めています。
(ウ〜ン・・このお婆さん、もしかして「コイン落とし」のプロなのかな?・・このままだとコインが無くなるのはいつになるかわからないし・・よし、決めた!)
「はい」私はコインの入ったトレイをお婆さんに差し出し「エッ?」とお婆さん「良かったら、お(・・婆さん・・と言いかけて慌てて^^;ゞ)・・宅がして頂けますか?」「本当に!?・・いいの、もらって」「はい、よろしければどうぞ・・」「じゃぁ、やってみようかな・・ありがとう“お兄さん”」受け皿に出たコインもトレイに入れてお婆さんに渡し、手を振ってその場を後にして家路につきました。

今日は、100円の出費で見知らぬ人と何度も「ありがとう」を言ったり言われたりして、なんだかとても心和む午後の一時を過ごしました(*^_^*)。


わ〜〜い\(^o^)/ ヲユキ 7/8

2000番、ゲットで〜す。


カミキリ、、 SDTM 7/8

☆ 昼休みの収穫です。

  記事は↓です。

http://blog.goo.ne.jp/sdtm/e/31d544e5e5eead1dfab020a09c073d
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七夕・・・ ヲアニー 7/7

そうでした。
残念ながら、山陰地方は雨で星が見えません。もし晴れていれば、天の川の写真を撮るのに挑戦しようと思っていたのですが・・・(^_^;)。


今日は七夕 ぽせいどん 7/7

いまから10年ほど前に大学生(複数)と夏の夜空を眺めたことがあります。
琴座のベガ(織女)とわし座のアルタイル(牽牛)を差し示すと
「七夕になるとあの星がすぐそばに近づくんだ」と言った女子大生がいました。
....約16光年はなれてます。


馬賊の歌は... ぽせいどん 7/7

私が生まれる以前の歌ですから当然知りませんが。
「狭い日本にゃ住み飽いた」この部分だけは
いろいろあちこちで使われてますから...うーむ。


そうか・・・ ヲアニー 7/7

「馬賊の歌」は、知っていない(忘れた)か。
ヲアニーが覚えているのは、昔の我が家に、親父と同じ職場の人が2人ほど来られて、夜遅くまで酒を飲んで一緒に歌っていた歌がその歌だったと記憶している。もしかしたら、お客さんが歌われて、親父がつられて歌っていたのかもしれない。ヲアニーが小学校に行っていたかどうかのころだから、ヲユキが知らないのは当然かもしれない。あのころは、狭い我が家で部屋数もなく、寝るのに困ったことを記憶している。

「アニーよ銃を取れ」は、まだ我が家にテレビのないころだった。近所の散髪屋で見せてもらった。
いつかも書いたと思うが、「ナショナルキッド」「七色仮面」「アラーの使者」「竜巻小天狗」「風小僧」「白馬童子」「琴姫七変化」「怪獣マリンコング」「少年ジェット」「黒百合城の兄弟」「スーパーマン」「三バカ大将」「ものしり博士」などは、いずれも近所で見せてもらったものだ。

今夜は書き込みの前に推敲したので、訂正はないと思うが・・・。


訂正致します ヲユキ 7/6

商品 → 賞品

なんだか最近、私、ヲアニーさん、海苔海苔さんで訂正競争をしている様ですネ(^^;)ゞ。


ヲユキ 7/6

400000ヒット予想レースには私も参加させて頂くつもりでおりますよ。
今度は是非とも商品をゲットすべく、慎重の上にも慎重を期して締め切り直前までデータを収集しているようなしだいです(^^)。

「馬賊の歌」はヲヤジイさんに聞きました。
食事が終わって、お互いのグラスにジュースを酌み交わしながら・・
「ヲヤジイさん、馬賊の歌って知ってる?」
「知らんな・・どんな歌だ?」
「こう言う歌だけど・・♪ぼくもゆくから〜きみもゆけ〜〜ぇ せまいにほんにゃ〜すみあいた〜〜・・・・いま〜じゃ〜まんしゅうの〜だいばぞ〜く〜〜・・って歌だけど、思い出せない?」
「聞いたことが有るかも知らんが、替え歌が有ったんじゃないか?・・でも何でだ?」
「昔ネ、ヲヤジイさんが酒瓶を抱えながら唄っていたのを聞いたと言う人がいてね・・・それで聞いてみたんだけど・・・」
「(^_^;)ゞ・・覚えがないが昔は唄っていたかもしれないな」
と、言うようなわけでヲヤジイさんは記憶に無いそうです、こうなったらヲアニーさんがヲヤジイさんと酒を酌み交わし、無理にでも当時の状態に戻すと言うショック療法を試してみるのはどうでしょうか?

No.1978でヲアニーさんが記された「シェナンドー」は私も見た覚えが有るように思います。
西部劇だったのかナ?・・主題歌も覚えているのですが英語だったため子供だった私は言葉が理解できなかった事もあり聞こえた通り覚えていたためか、思い出せたのは全く意味をなさない言葉でしたが、メロディはほぼ正確に思い出せました。
「アニーよ銃を取れ」はテレビで見た記憶は有りません。


訂正 海苔海苔 7/6

「24」←「34」 う〜む、老眼が更にひどくなったようだ。


DVD持参出張 海苔海苔 7/6

本屋で、「禁じられた遊び」と「キングコング」の500円DVDを購入しました。今回の台湾出張に持参してきています。「34」のシーズン1を先ほど見終わりました。24時間寝ていないはずの主人公のヒゲがいつもきれいに剃られているのが、とても気になりました。


40万長期予想・・・ ヲアニー 7/5

今月末が長期予想の締め切りですが、私以外にまだどなたも予想されてないようです。このままだとズバリ賞といかなくても、最低でも前後賞を私がいただくことになる。フッフッフ・・・。

海苔海苔さん
愛知万博への引率ご苦労様です。しかし、夏休みがそのころから始まるのですか。早いですね。
今日の新聞を見たら、入場者が早くも一千万人を突破したようです。暑い中を何時間も待たなければならないようで、疲れを出されないように。
私は、行く予定はありません。どうも、たくさん人がいるところは苦手なものですから。

ヲユキへ
「馬賊の歌」は、親父は知っていただろうか?。ヲユキが確認すると思って、ヲアニーは確認していない。
まあ、酔っぱらっているときに歌っていたから、そのことは覚えていないだろうが、知っていることは確かだと思う。もし忘れていたら、う〜〜ん、年を取ったということか・・・。


愛知万博 海苔海苔 7/3

0310000ヒットは、私ではありません。
娘が愛知万博に行きたいというので、JTBでチケットを購入しました。娘の学校が休校となる7月14日に行きますが、既にどのパビリオンも予約一杯となっていました。従い、3〜4時間も並ばねばならないのでしょうが、ゾッとしますな。
昨夜は、DVDで「24」のシーズン1を4話観ました。
朝の4時半までかかった。途中で不整脈が出たようです。


狙うなら40万 ぽせいどん 7/3

長期予想企画やってますので参加してください。
締め切りは今月末にしてあったと思うが


馬賊の歌 ヲユキ 7/2

昨夜記した「馬賊の歌」は、書き込みしながら思いついたタイトルでしたが、投稿の後試しにその言葉で検索してみますと見事にヒット致しました。
記した歌詞に多少違う部分も有りましたが、ほぼ記憶通りと言ってもいいでしょう。
しかし、元の歌は四番まで有り私の記した歌詞は一番と四番の最後の部分だった様です。
若山さんがテレビで唄われたのは一番と四番だけだったのかもしれません(・・と、強引に決めつけて^^;)。
二番、三番もどことなく哀愁をかんじる歌詞ですネ。

私はヲヤジーさんが唄っていたのは一度も聞いた覚えが有りません。
今、実家に帰っていますので明日にでも聞いてみることに致します。

所で、0310000ヒットをねらっていたのですが、結果は御覧の通りになりました。
「キリ番ヒッター」の海苔海苔さんもねらっておられたでしょうが、もしかしてヲアニーさんが・・・?


馬賊の歌 ヲアニー 7/2

ヲユキが書いている↓の歌は、「馬賊の歌」という歌のようだ。
私もこの歌は聞いたことがある。メロディは知っている。私が小さいころ、親父が酒を飲んで歌っていたのを聞いたことがある。
調べてみると、作曲は鳥取春陽となっている。岩手県の出身のようだが、鳥取県人として親近感を覚える。
鳥取春陽は、このほかに「シーハイルの歌」というのを作曲している。
♪岩木のおろしが 吹くなら吹けよ 山から山へと我らは走る
という歌である。よく考えると、この2曲ともメロディが似ている。


今日は・・・ ヲユキ 7/2 01:08

いつものように仕事をしながらですが(^_^;)この所「夕日と拳銃」を読んで小説の世界に嵌っているためか、その舞台となる時代に流行ったと思える歌を思い出しました。
私が中学生の頃(と、思います)、テレビの懐メロ歌謡番組で唄われていた歌です。

僕も行くから君も行け 狭い日本にゃ住み飽いた
遙か彼方にゃ支那がある 支那じゃ四億(?)の民が待つ
○○○○○○○○○○○ 今じゃ満州の大馬賊

短い歌ですが3行それぞれ同じメロディで唄われていますので、歌詞一、二、三番となっているのかもしれません。
歌は、若山 彰さんが唄われていたと思いますが、若山さんは戦後の歌手(の筈?)ですから持ち歌では無いと思います。
思い出した歌詞に間違った部分も有るかもしれませんが、三番の歌詞最初の部分は全く思い出せませんでした。
歌のタイトルも思い出せませんが、歌詞の雰囲気から考えますと・・・「馬賊の歌」?

「夕日と拳銃」はフィクションですが、すべてがフィクションではなく(「伊達麟之介」のモデルは実在した拳銃の名手「伊達順之助」、小説には当時の檀 一雄さん自身の満支放浪の経験が織り込まれているようです)、嘗ての日本にこのような時代が有り、人生をおくった方達がいらっしゃった事を思いますと、現代日本の世相、生き方の違いに隔世の感を憶えます。

前回の投稿で変換ミスが有りました。
堂々たる最後 → 堂々たる最期