2006年8月分の書き込み

No.2387 NEX BOY ヲユキ 8/27 18:51

サントリーの新時代のコーラ「ペプシネックス」が発売されたのを記念して、「ツキヌケル、タノシサ。NEX BOY」キャンペーンのプレゼント商品となったものです。
1 Aコース 2足歩行ロボット「NEX BOY」、「株式会社ボークス」の開発した新時代二足歩行ロボット「ロボフィー」の内部構造をベースにした、「ペプシネックス」オリジナルバージョン。
クイズの正解者の中から抽選で21名に当たります。
2 Bコース iPod(R)+NEX BOYスピーカー「NEX BOY MUSIC PACK」、フィギュアにサウンドスピーカーを内蔵し付属のiPod(R)をつなげてサウンドを楽しむことができます。
クイズの正解者の中から抽選で500名に当たります。
3 「NEX BOY」型1GB USBメモリー「NEX BOY MEMORY」、ミニチュアフィギュアにアイ・オー・データ社製の「TB−SQ1G」(1GB USBのフラッシュメモリー)を内蔵、PCとの接続中はフィギュアの胸のペプシロゴが光ります。
応募券を6枚集めて応募すると、毎週抽選で合計2000名に当たります。
なお、この懸賞の応募期間は2006年3月28日〜2006年5月31日(水)までで現在は行われておりません。

私の「NEX BOY」は、上記のうちの・・オッと、言わぬが花・・ですかね(^_^;)。


No.2386 今日は・・・ ヲユキ 8/27 18:01

午後から実家の帰り、いつものようにトカゲ君たちの姿を探していますと丁度ヲアニーさんの車が帰ってきました。
「今日はトカゲの姿が見えないね」私が言いますと眉をぴくりと動かし私の話題にふれず(どうやらヲアニーさんは爬虫類が苦手のようです^^;)「蝉の鳴き声も全くしなくなったな」と言いました。
確かに先週までは沢山の蝉が庭の木々に留まって鳴いていたのですが、今日は鳴き声が聞こえません。
まだ残暑は続いていますが、秋はすぐそこまで来ていると言うことでしょうか。
先週ヲヤジイさんに頼まれていた買い物につきあい、車で市内まで出て帰ってから再び庭へ出てみました。
するといつものように沢山のトカゲ君たちが庭の彼方此方で元気に走り回っていました。
トカゲ君たちも活発に活動する時間帯と言うものがあるのかもしれませんね。
沢山のトカゲ君たちの中で、庭石の上から、いつものように何時の間に来たのか(^_^;)※「NEX BOY」とにらめっこをしているトカゲ君が目に付きました。
「NEX BOY」はトカゲ君に「こんにちは」と元気よく手を挙げて挨拶しているようですが、トカゲ君はそのキラキラ光るボディに恐れたのか、この後すぐに木々の間に姿を消してしまいました。

前回の投稿で記憶の誤りがありました。
消しゴムを親指と、人差し指の爪の間に置いて・・と、記しましたが、今日実家の砂利を指の間に置いて飛ばしてみますとうまく飛びません。
そこで、人差し指を中指に変えてみますと面白いようにうまく飛びました。
結果、当時消しゴムを使って飛ばしていたのは親指と中指を使って、が正解だったようです。
どのような些細なことでも、疑問を持てば実際に検証してみる几帳面で生真面目な(と、人から良く言われます^^;)ヲユキでした。


No.2385 こんばんは ヲユキ 8/26 21:12

懐古人さん、お久しぶりです。
懐古人さんも小学生の頃には自作のヒーローを考えて描かれる少年だったのですね。
私も良く小学生の頃から高校生の頃にかけて、ノートに既存の漫画のヒーローだけでなく自作のヒーローを描いていたものです。
授業中にもサムソンさんがご紹介された「ボンナイフ」で削った鉛筆で教科書の端、ノートの端など白紙の部分が目に付くと必ず何か落書きしていました。
これは何時かぽせいどんさんのご指摘された通りですが(^^;)、「ボンナイフ」と言えば鉛筆だけでなく消しゴムも端の方を正方形に細かく刻んでいたことを思い出しました。
そんなに小さく刻んで何をしたかと言いますと・・前の席で先生の話を聞きまじめに授業を受けているクラスメートの後頭部をねらい、親指と人差し指の爪の間に置いた消しゴムをパチン!と弾いて・・って、こ・・これは私だけではなくクラス中でしている人がいて、もちろん私が被害者だったこともありますよ(^_^;)。
懐古人さんとぽせいどんさんは横山光輝さんタイプの画を描かれていたようですが、私はどちらかと言えば桑田次郎さんタイプの画を良く描きました。
やはり私もその頃に描いた画は一枚も残していませんし、姿形も殆ど記憶に残っていませんので懐古人さんのように詳細に再現することは出来ません。

「ゲド戦記」のオマケ、私はスケッチブックと鉛筆セットを購入しました(^^;)。


No.2384 ご無沙汰しております サムソン 8/23 23:15

ぽせいどんさん、皆さん、今晩は。
懐古人さんのCM関連のお話、滝田さんのお話、イラスト、
そして(懐古人さんの文章の行間にいつも垣間見られる
ように感じてます)平和に対する思い、全てとても興味
深く読ませて頂きました。
宮川氏についても書かれておりましたが、私もとても残念
な思いです。流行ったのが舟木さんの「高校三年生」の頃
だったでしょうか、ピーナッツの「恋のバカンス」も
大好きな歌の1つです。

お忙しい様子が伝わってまいりますが、お時間ある時に
またご投稿、是非読ませて頂ければと願っております。


No.2383 おひさしぶりです ぽせいどん 8/21 08:33

しかしそれにしても長文ですね。

「投稿その四 個人的想い出」
私も小学生の時には随分描きました。
(何も残ってはおりませんが)

私の場合は横山調でしたが...。

最近3DCGロボットをモデリングしていないので
「ビッグ・アストロ」を作ってみますか...。


No.2382 投稿その一 CMネタ (その四まであります) 懐古人 8/20 04:33

 皆さん、長い間お久しぶりでした。
 しかし、残念ながら今年はこれ限りで、ちょっと寄ってみました。
あれから、ネットに出ることもなく、やっとこの時だけ、ぽせいどん様の掲示板に出る機会を得ました。
 何もしないで帰るのも心残りですので、失礼かもしれませんが長い投稿をしておきます(苦笑)。お暇の間にでも、お読みになってください。 また来ますので、その時は過去ログを振り返り、なんとかお話に加わりたいと思います。現在は事情が事情で誠に勝手ですみません。

▼上段のイラストは、昭和45〜46年?頃の例の日本航空CMシーンで、お亡くなりになった「原ひさ子」さんのシーンを再現しようとしました(似てねえなあ〜)。 あの名曲「♪ま〜あるい地球の〜・・(略)」で始まるCMです。(思い出のメロディーでの昭和46年のフォーリーブスの「地球はひとつ」でも「まあるい地球」と言ってましたね(笑) ’71年の共感テーマか?) イラストは、羽田空港ロビー内で、家族が手を振るのに答え、原ひさ子さん扮するお婆ちゃんが、椅子に座って手を振る短いワンシーンを表したものです(薄れて表現しているのは、うろ憶えを表します)。原さんは、この短いチョイ役だけの出演でした。このシーンのあと、別れるのに涙を浮かべ俯き加減の家族たちの上半身クローズアップ映像(だったと思う)や、別れに際し泣きながら寄り合うカップルなどのシーンも、曲を盛り上げる印象的なものでした(中略・・♪めぐ〜りあう人、別〜れる人〜、(転調サビ部へ)時の流れに・・略)。このCMでは、原ひさ子さん以外は、素人の方々や名もない役者さん達が沢山出演していました。
 改めて、日本の優しい心を代表する原さんには、心からご冥福をお祈り致します。 
このような一般の人達を主に写した、ちょと心の動くシーンを扱ったCMには、昭和46年頃?の、あのアリナミンのCM(♪生きているって、いいことね、愛しちゃった・・)にもあります。憶えているでしょうか、漁船とともに夫が船出していくのを見届けた若い妻が、目に手をあて涙を拭いながら港を後にするワンシーンを。これは、一般人の生シーンだけに、胸が瞬間熱くなり、CM曲を盛り上げるものでした。曲は、明るいアップテンポ調で、大変よい曲だと思います。個人的には、上記のなだらかな日本航空CM曲を、アップテンポにしたような、ちょっと同じ線を感じます。
  その他、アリナミンか大正製薬かのCMで、一般人を扱ったものに、サラリーマンものがありました。 中高年のサラリーマン男性が、ワイシャツ姿で、一人夏の故郷の田舎を歩いて、子供の頃を思いだし、藁葺き屋根の実家の中を見渡し子供の頃あそんだものを手でもったり、虫取り網を片手に小川や森で無邪気に遊ぶ様子など、どことなくほほえましい静止画の数ショットが記憶に残っています。また、中年のサラリーマン数人が、会社の屋上で、腕を輪にして、そこに両足を入れる運動をして、体の堅さに困るシーンのものもありました。これらは、昭和46年から48年頃のCMと思われます。このような素朴な人間模様を扱ったCMは心がなごみます。

▼中段のイラストは、おそらくマックスファクター?のCMシーンと思います。これは昭和44〜45年頃のものです。 昭和45年は、新しい風が世の中を覆い始める大変意義深い時期と私は思っています。 CMも同じで、この化粧品CM(と思ったが)は、思うに初めての「無音・完全静寂」を意図とした新感覚的なCMでした。
 イラストのように、一人の女性が車の中に静かにすわり、車の窓から雪のふる外を眺めているだけです。女性は時折視線を他に寄せ、また、外の雪の降る様子を黙って見ています。そして、女性のナレーションが静かにひとこと言います。「雪が降っています」。 最後のシーンは雪だけが降る完全静寂の中に、もう一度静かに「雪が降っています」のナレーション、その後に、たしか「バイ・マックス・ファクター」という当時からのお決まり文句が続いたと思います。その静寂に包まれ、女性の目が空間の中を漂う神秘的とも言える無音のシーンは、何かの感性を自分に与え、冬の季節に溶け込み、そこはかとなく哲学的響きさえ残します。個人的に推奨したいCMでした。 当時、若い世代は無や解放感を追い、その中に哲学と新しい生き方を作り出そうという雰囲気がありました。そんなものを醸し出すようなCMではなかったかと思います。
 無音ではありませんが、静かという路線感じたのは、昭和45年頃、たしか高橋幸二氏主演の「宮本武蔵」のスポンサーだった?赤玉ワインのCM曲に。「・・♪風のささやき、すき、すく、すき、すく・・」の静かで緩やかなボサノバ調をバックに、若い女性達が、夜のひとときに家外でネグリジェ姿にワイングラスを持ち、ゆっくりと自由な動作で戯れ合うシーンでした。ある種の静寂感があり、且つ、若者が求める無と解放の新感覚性を感じるようです。
 
 尚、余談に走りますが、この頃のCMは、コーラス主体の「日本のわびさび」を残させているCM曲に、30〜50代の歌い手は活躍してました。欧米風な若い人の歌が独占する現在の傾向に、私は少々疑問を感じています。曲や歌は、みんなが耳にする場においては、決して年代に偏るものではなく、みんなが快く聞け簡単に歌えるのが、標準の姿ではないでしょうか。 若い人の響きだけでなく、中高年の貴重な音色も、今後の新しい歌に主張できるものでありたいと思います。昔の歌謡曲はジャズなど欧米から影響は受けたとはいえ、日本の感覚(欧米の流れる曲調とは違い、日本語に合う「静止的曲調」)を残しバランスのよいものだったと思います。
 この点、老若男女が誰でも歌える「一般歌謡曲」はどこへ行ったのでしょうか? 現在、あまりにも歌が特殊化しているのでは? 「一般」と「特殊」を考えれば、おわかり頂けるかと思います。たとえば、サザンは欧米の流れる曲調に日本語を組み込む工夫、それから以後派生する歌の欧米的流れの発展はよいのですが、それは静止的曲調から脱却する歌の特殊化として考え、一方では、後者の日本的標準曲調は歌の一般状態として保つべきだと思います。私はこれを強く主張したいです。(個人的に、演歌も一般というより特殊化と思います)街角で誰もが簡単に口ずさめる静止的曲調の一般歌謡曲の復活を願います。


No.2381 投稿その二 宮川 泰氏、CMメモ 懐古人 8/20 04:30

▼ 歌いやすい名歌謡曲を残した故宮川 泰氏のワンシーンを下段にアップします。尊敬し大好きでした。同氏を心から冥福を祈る意味で、今回だけNHK様お許しを...。 写真は、神津善行氏作曲の名歌「星空に両手を」を楽しそうにピアノ伴奏する宮川氏です。島倉千代子さんと里見浩太朗氏とのデュエットでした。 また、同氏の作曲した「銀色の道」は神秘的な深い曲で、子供の頃から、「雪の降る街を」とともに大好きでした。この同じ線としては、吉永小百合さんが歌った「勇気あるもの」(♪この道は長いけど、歩きながらゆこう・・)も大変好きでした。この種の奥深い曲調の歌は、今は望めない程、貴重な日本本来の歌謡曲です。

▼ 下段は、アサヒ飲料の「ゲド戦記」のおまけ3種です。各6種類、計18種集めました。もちろん、三ツ矢サイダーのおまけですよね(笑) ジブリは日本の心を忘れてないですね。高く評価してます。

▼ CMメモ
1. 最近、星にまつわるCMを興味深く見て、「星の露」という飴を思い出し、この極めてローカルなCMを思い出しています。 「(略)・・♪ほ〜しのつ〜ゆ、たべようか〜、チャン・チャン・チャン・チャ〜〜」 ご存知の方はその地方の方かと思います(笑)これは昭和44年頃か?、ある地域だけのCMです。映像も、その頃としては古い映像を使っていて、昭和20年代のような風貌の30代ぐらいの女性が、目をバチクリ盛んにまばたいて、飴を口に入れるシーンは、私の学校中の噂となりました(笑) この目をパチクリする行為は、戦後20年間?位はよく見られた女性特有のもので、思うに謙遜さや気品を意識する女性にありがちなものだった気します。 たとえば、中学の頃に学校で観た、就職指導用の教育映画で、女性が会社に入り一生懸命研修に励むなか、接客練習の際、客に説明するときに盛んに目を瞬たくのが印象に残っています。たぶん、この笑ってしまうようなオーバーアクションは、彼女にとっては気品を込めて接客しているつもりだったんでしょう。今の女性は、どうでしょうか、奇妙と思うだろうか。

2. 最近のクレラップのCMですが、ちびっこギャングのアルファルファを模したような外国人の男の子と、日本人のおかっば頭の女の子が出演していたのが印象的でした。 庭の垣根の下に、その二人がすわっている情景のシーンがありましたが、それは、アルファルファと恋人の女の子とのデートシーンに似かより、この二人が垣根を背に芝生に座ってサンドイッチを食べるシーンに何か似ているを感じました。当時のちっびこギャングのこのシーンでは、垣根の裏にひそむ悪い2人が、女の子が作ったサンドイッチのチーズを石鹸とすりかえるいたずらシーンがありました。アルファルファは、そのサンドイッチを食べ、何か味がおかしいのに気づきますが、彼女の表向き我慢して石鹸の入ったサンドイッチを食べるのです。すると、話すたびにシャボン玉が口から出てくるのが、とにかく面白かったですね。そのあと、アルファルファは、そのまま歌の発表会に出るハメとなり、歌うごとに、シャボン玉が口からポコポコ出てきて、目が寄り目になって歌う姿が、もう抱腹絶倒ものでしたよ(笑)

3.過去ログ見てないので、もう既出でしょうが、日曜の「がっちりマンデー」で、コカコーラの懐かしいCM曲(♪きみのほほえみがー、パッパヤパー・・)が流されましたね。しかし、この大流行曲が、なんでもない映像のなかでちょっと聞こえる程度に流され、正式に紹介されなかったのが大変残念に思います。60年代の加山雄三氏のCMは色々あり、特に、彼のコカコーラを数秒で一気に飲み干すシーンはよく憶えています。ところで、皆さんも気づかれたと思いますが、コカコーラのCMシーンの紹介の部分で、世界の人々(スペイン人、オランダ人、アフリカ人など民族衣装を着ている人々)が、野原で並んで、コカコーラやファンタをもって、何かを歌っているシーン(音声はありません)がありましたね。録画している人は再度チェックしてください(「コカ・コーラ」=「さわやかさ」とう文字がオーバーラップした場面です) これは、昭和46〜47年頃の「愛するハーモニー」がCMソングに使われていたCMシーンだと思います。(そうでなくとも、これと同様なCMシーンは何種類かあるのを憶えており、私自身は、その頃或いはその頃に近いものと判断します) これは、もう飛び上がるほど嬉しく、あの平和と人種差別撤廃を叫ぶ若者のエネルギーを再び実感する貴重な映像ですね。当時の若者が割と大人っぽいのを感じます。 これも、正式なコカコーラCM歴史として紹介されてなかったのが残念です。


No.2380 投稿その三 「滝田 栄 氏のこと」 懐古人 8/20 04:28

 話しが長くなり申し訳ないですが、以前から、滝田氏の話がしたかったのですが、去年あたり滝田氏を特集したテレビ番組がありました。彼の実直さや懸命さには、胸をうつものがあります。たしか仏像だったと思いますが、母を慕って丸太に彫刻する彼の姿に強い愛情と信念を感じました。
 この番組で、滝田氏が、NHKドラマ「なっちゃんの写真館」前後かに、新宿のアパートに生活していたとしていますが、実は、この頃、私の叔母が新築し管理していた3階建てマンションに、奥さん・子供さんと暮らしていたのです。四谷三丁目付近でした。(先日の某番組でも滝田氏と娘さんの食べ歩きシーンがあって四谷三丁目の地図が示された時は感慨深いものがありました。しかし、本投稿はずっと以前からこつこつ草案(1年前)していたものですので、今回の私の全4つの投稿分が、最近の放送番組と類似するものがあっても、それ以前のものなので、偶然か何かの縁と解してください(笑))
 叔母にとって、滝田氏は本当に「命の恩人」で、滝田氏の話題になると最後まで感謝を言っていました。 叔母は2階、滝田氏は3階にいましたが、叔母が突然倒れて身動きが出来ないのを、滝田氏が気づき、窓をこじ開けて叔母を救い出し、病院へすぐさま連れて行き、一命をとどめたという逸話があります。清楚で真面目な滝田氏には以前から好意を感じていましたが、このことから、一層心のファンとなりました。「料理バンザイ」の滝田氏を見るたび、そのお人柄を深く感じておりましたが、番組が終了となり、今でも何か寂しい気がします。 もし、滝田氏が、この書き込みをご覧になっていましたら、叔母に代わり、再びお礼を申し上げます。私も、心から敬意を表したいと思います。 叔母は、昭和56年頃から体調の悪化から病院を転々とし、昭和58年頃に熱海の病院で亡くなりました。尚、叔母は、祖母の「妹」です。(祖母は、以前アップした、台所でキュウリを切る婆さんです)
 滝田氏におかれては、今後とも御活躍なされることを、心からお祈りします。 私自身は、昭和56年頃に一度このマンションを訪れています。3階には、奥さんがベランダで布団を干されているのが見えました。階段には、娘さん?のものらしい玩具等が見えたのが、なんとも家庭らしい雰囲気でした。
   
 余談: 叔母は、昭和38年頃に、その同じ土地で、木造2階建てアパートを建てました。よく祖母と訪ねたものです。確かマンションに改築したのは昭和53年頃かと思います。叔母は、琴を趣味としていました。 昭和51年頃か? 三越で琴の演奏会があり、司会を、鈴木健二氏(その当時NHKアナウンサーでしたが、体調を崩されていたか?)がなされていました。司会中に、土地や街の名前の由来などを見事に説明なされ、その深い博識に驚かされました。それ以後、クイズ面白ゼミナールや歴史もの等でNHKに御活躍なされました。


No.2379 投稿その四 個人的想い出 懐古人 8/20 04:26

 今年の投稿が望めないので、恐縮ですが、話しておきたい個人の思い出を話します。上段のイラストは、小学校5年の頃から草案したロボットものの自作漫画です。どうしても紹介したかったです。当時の小学生らしいタッチで描いたつもりですが、記憶の薄れで半分は不正確です。どう見ても手塚漫画パクリそのもので、お恥ずかしいです。その名も「ビッグ・アストロ」(汗)宇宙から地球に来た宇宙人のロボットで、手が引っ込み、たしか四分割反射板の中心が破壊光線銃?となる珍品です(笑) 鋼鉄などを粉砕溶解します。皆さんがマジンガーやガンダムなどに熱を入れたように、ロボットもの宇宙ものにハマったものです。 特に、少年とロボットの暖かい関係を描きたかった漫画です。少年とは、表面上暖かい付き合いをしますが、少年の知らないところで、ビッグアストロを怪しんで追求する組織のロボットや兵器と戦います。ラストは、秘密裏に行っていた地球調査を終え、少年とは苦しい胸中で地球を去るという少々W3気味な構想でした(苦笑)が、ついぞ漫画用ノートにペンを入れることはありませんでした。(約束した友にお詫びを...)

 中段は、少女ものです。ずいぶん前に一度だけ書いてたのを発見し、記念として勝手にアップしました。 右は16才の時の、左は21才の時の、それぞれの憧れだったマドンナの雰囲気を伝えています(似顔絵ではない)。まっ、見過ごしてください(笑)。

 さて、最近のアニメですが、ハウルもゲドも映像から生み出す造形の面白さを駆使し、懸命に「心」を描こうという意気込みが感じられます。その極限については、ジブリ様やアニメ関係者様には、天性からの新境地が訪れるだろうと思います。やはり、繊細な日本アニメはディズニーを越えたのだろうか。 

▼終戦と原爆に寄せて・・
 戦争は、指導者と闇組織が勝手に行うもので、国民は教育を受けている限り、作られた知育から離れ、本質的な英知へ転換する時代を迎えました。それでなければ何のための教育でしょうか? そして、勝手な行動の原因や繰り返される悪性を暴き制する時代にも入ってると思います。 未来において、環境、医療、福祉に思いやる非戦平和の世界を築くことを願っています。
 広島・長崎を襲った原子力はもう古いエネルギーであって、危険でない新エネルギーの開発を強く願います。 どうして、原子力にこだわるのでしょうか? 日本も世界も危険な核武装をしたいのですか? 
 終戦間近の頃、日本も原子爆弾を開発しようとしていました。私自身、30年も前から、母の知り合いの元岩崎財閥関係の人から、当人が秘密裏に原子爆弾の開発に加わり、終戦直後に、密かに作っていた原爆試作品も設計図も処分したとの驚愕な話しを、母を介し聞いてます。この話の真相はわかりませんが、本当に大丈夫なのでしょうか、恐ろしいことです。安全な夢のエネルギーを開発してください。
 それでは、本当に長くなりました。お許しください。いつかまた来ます。NHKの「あの歌がきこえる」や「純情きらり」は本当に面白いですね。個人の想い出はとても貴重です。私は子供の頃から、人の思い出話を聞くのが好きで、その人の子供の頃や若い頃のアルバムを見るのが大変好きでした。


No.2378 花火 ぽせいどん 8/4 07:01

昨宵は我が町の花火大会でした。
(大会とよぶほどの規模ではないのですが)
友人家族と一緒に庭先から眺めました。
メインは花火ではなく特大カツオのタタキと
焼きそばでした。

写真はweblogで順次掲載