伊豆大島航海記録(’91秋) |
(登場人物はすべて仮名です) |
本文中、紺太字部分は艇内記録 |
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ヨットに乗っていてもっとも多く問われることは |
「何処まで行きました?」あるいは「大島には行きましたか?」である。 |
我が愛艇は、北は御宿岩和田漁港を少々越えたところまで、南は小湊沖で鴨川を眺めただけであった。 |
それを正直に答えると失望がありありと顔に浮かんだ。なかには蔑んだ目をする者もいた。 |
しかしデイクルーズではせいぜいこの辺までがいいところだった。 |
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九月。鳥山に久々に会った。一年数ヶ月ぶりだ。 |
「一級、取ったのですか?」と鳥山 |
「取ったよ」 |
「大島...行かないのですか?」 |
「行きたいのだが、連れが居ない。」 |
「行きましょうよ。有給休暇を取りますから」 |
「どのくらい取れる?」 |
「一週間あればいいでしょう?」 |
「充分だ」 |
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1 航行予定 十一月 二十一日より |
第一日 勝浦 〜 千倉 |
第二日 千倉 〜 伊豆大島(波浮) |
第三日 大島観光 |
第四日 大島 〜 千倉 〜 御宿(車両使用) |
※ 千倉上架 〜 御宿(車両使用) |
2 積載物及び携行品 |
食料(米、インスタント食品、調味料、他)調理器具(包丁、まな板、鍋、圧力鍋、他) |
飲料水、水タンク、予備プロパンガス、カセットコンロ、医薬品、衣類、靴、マリンブーツ、現金 |
予備燃料 、係留索、カメラ、ビデオ、フィルム、テープ、無線機、ラジオ、電池、海図、 |
KAZI特集号、GPS、水中眼鏡、ウエットスーツ、海水パンツ、ノート、鉛筆、 他。 |
3 乗員 私 ・ 鳥山 ・ 佐藤 |
4 準備 鳥山の訓練 物品購入 アンテナマウント取付 |
5 好天祈願 |
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とりあえず、簡単な航海計画書を作った。 |
後に、3の乗員は一名増えた(英)。4の鳥山の訓練はほとんど毎週行った。 |
十九日夜。待望のGPSが手に入った。さっそく説明書を読みながら初期設定をする。 |
しかし二時間を経過しても位置は出ず翌日に持ち越し。 |
二十日。初期設定完了。データー入力。多機能故に百パーセント使いこなすには慣れが必要。 |
夜、KI より電話。二十二日よりGPSが四日間使用不可になるとのこと。 |
少々不安ではあるが間に合わなくとも行く心算だったから計画の変更は考えない。 |
午後十時過ぎ。我が家に鳥山が到着。就寝。 |
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’91年11月21日(木) |
6:00 起床 鳥山を起こす。 |
目覚まし時計が鳴った。鳥山に声をかけ外に出た。佐藤と英はすでに到着して車の中で待機していた。 |
朝の挨拶もそこそこに海を眺める。凪とは言いがたいが荒れていると言うほどでもない。 |
空は雲量はかなりのものだった。が雨の気配はない。 |
纏わりついてくる犬に餌をやる。私が留守にすることはわかっていない。 |
鳥山が起きてきた。玄関に用意してあった荷物を外に出す。 |
暫くして支援のHYが顔を出した。HYの車に荷を積み込んだ。 |
6:30 我が家を出る。 |
6:45 マリーナ到着 積み荷搬入 朝食 |
マリーナに到着。寒い。手分けして艇に積み荷を運び入れた。 |
大部分は前日までに運び込んであったのでたいした量ではない。 |
HYにビデオカメラを渡した。出航風景を撮らせる。 |
エンジン始動。機嫌がよさそうだ。無線機およびGPSのセッティングをする。 |
その間に湯を沸かし、お茶をいれる。朝食。 |
学校に行くHY(教師)を見送る。HYの車からの無線を受信。機械の調子も良さそうだった。 |
8:00 出港 鳥山ボケ ワンポイント |
離岸。 ポジションであるが、ヘルムスは当然私である。スタンの左右のもやいを佐藤と英。鳥山はバウ |
のもやい。 |
この時、私はバウのもやいを常設の物と換えてループに取っておいた。 |
つまり片方をクリートから外して引けばそっくり艇に取り込めるようにしておいたのだが、鳥山は両端を解 |
いて岸壁に投げ上げてしまった。係留策が一本減った。 |
港を出るとすぐに艇を風に立てた。メインセールを揚げた。 |
風が結構あったので大事をとってワンポイント・リーフ。ジェノアは八分開き。 |
佐藤がヘルムスを望んだのでティラーを渡した。エンジン停止。 |
8:30 ハーバーリミットを越える。 |
湾口を出るまで風向きはクローズだった。思いの他時間をとってしまった。 |
レースではないのだから機帆走すれば簡単だったのだが・・・・・・。 |
9:00 行川が見えてきた。6ノット強。トローリング(佐藤) |
タグボートをかわしてから佐藤がトローリングを始めた。うまくゆけば今夜は刺身で宴会だ。 |
初心者の二人と佐藤が交代で舵を取っていた。 |
マリーナ近辺でセーリングをしている時よりも私はだいぶ楽をしている。 |
GPSを使ってナビゲーションに徹することにした。三十分おきに艇の位置をメモリーする。 |
9:30 小湊沖 順調 沖出し |
10:00 天津沖 フルジェノア |
想った以上に沖は凪ていた。ジェノアをフル開放した。艇速が僅かながら伸びた。 |
艇は安定した航行をしている。 |
佐藤はもとより鳥山、英の舵取りにも特に不安はない。 |
10:30 鴨川をスターボウに見る。気温上昇、暖かくなってきた。弱風 |
鴨川沖に迄来た。本日の航行予定の半分を消化したことになる。 |
いまのところ不安材料はまったくない。風がだいぶ弱くなってきた。 |
10:45 フルメイン |
佐藤の要請でメインセールのリーフを解除。順調だ。 |
11:00 江見沖 |
12:30 千倉の町並みがようやく見えてきた。後三十分程で入港するだろう。 |
先日、HYと車で確認したKDDタワーが見えた。 |
千倉港はそこから僅かの距離の筈だがまだ確認できない。腹が減ってきた。 |
13:00 千倉、眼の前。定置網をかわしたのでタイムロス |
定置網が行く手を阻んでいる。これに絡め捕られたら大変な事になる。莫大な補償金を要求される事は |
間違いない。 |
ヘルムスを交代。エンジン始動。他の三名はワッチ。かなり沖出しをして定置網を迂回。 |
網を右に、洗岩を左に見て赤燈台を目指す。 |
洗岩の周囲にはかなりの数の暗岩が潜んでいそうだ。 |
千倉に入港する際は充分に注意が必要である。 |
13:30 入港 |
一番奥の西側の岸壁に係留。鳥山と佐藤で昼食の用意。 |
私と英は町中?に蕎麦の水切り用のザルを探しに繰り出した。 |
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14:30 遅い昼食(蕎麦) |
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小さいながらもキッチンはちゃんとある。 |
その気になればそれなりのものも作れる。 |
2バーナストーブ(ガスコンロ)は伊製 |
つまみを廻してゆくと火が小さくなるのが |
日本製と異なるところ |
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15:00 電話 明日よりGPS使用不可 海図に軌跡を記す。 |
英の友人が館山からやってきた。その車を借りて公衆電話へ。 |
まずHYとMNに。次にパイオニアへGPSの詳しい情報を聴くために電話した。 |
話中。電話をかけ直す事数回、やっとつながった。 |
明日からは人工衛星からの電波が欠射して全く使用不可能とのこと。・・・・・・d |
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バタフライテーブルを広げた。GPSよりメモリーしておいたポイントを読みだし海図に記入。 |
面倒ではあるが楽しい作業だ。本日の航跡を眺めていると満足感が湧いてきた。 |
時計を視ると四時をだいぶ廻っていた。無線機のスィッチを入れるとHYの声が飛び出した。 |
眼と鼻の先まで来ているらしい。 |
16:45 HY到着 佐藤がメインで夕食の用意 |
17:30 宴会?(ビーフ・シチュー他) |
みんなよく飲む。ビールの空き缶がたちまちの内に山積みになる。 |
酒を飲まない私はどうも手持ち無沙汰だ。 |
話題は当然明日からのことになる。 |
HY曰く「天気予報では、小春日和の上天気で風も穏やかだ」とのこと。 |
いい日を選んだものだと喜んだのだが.....。 |
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GPSの欠射についてであるが。下記は私の考察である。 |
二十二日からの四日間とは日本時間でのことである。 |
衛星が米軍の物だから米時間で考えるべきだろう。 |
つまりアメリカで三日間、日本で足掛け四日間と解釈すべきであろう。 |
すると日本とアメリカの時差が十時間ほどあるから二十二日は午前中はまず問題はないだろう。 |
月月火水木金金の日本軍と違い、戦時中にクリスマス休暇を取る国である。 |
ゆえに米軍が夜中の零時から働くはずがない。 |
当然、朝が来て関係者が出勤してから仕事を始めるだろう。 |
結論。二十二日は夕刻まで大丈夫であろう。 |
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HYが帰り早々と消灯。五分もしない内に鼾が聞こえた。鳥山だ。 |
本当に幸せな奴だ。俺はどうも寝つかれない。 |
昨夜もいくらも眠ってはいないから少々気がかりではある。 |
キャビンをそっと抜け出し防波堤で煙草に火を点ける。空を見上げた。 |
満月が輝いている。がどうも雲行きは怪しい。ふく風は冷たい。 |
キャビンに戻りシュラフに潜り込んだ。暫くして雨音が聞こえてきた。風も出てきたようだ。 |
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22日(金) |
6:15 起床 |
雨が降っている。天気予報は全く当たらない。寒い。大島行き、中止を考えた。 |
憂鬱である。こんな時には決定権があることが逆に恨めしい。 |
しかし、一時間程の内にどうしても決めなければ・・・・・・。 |
英はまだ惰眠を貧っている。 |
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洗面所(左) |
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ヘッド(右) |
当然水洗 |
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6:45 朝食(雑炊) GPSは可動 |
朝食を簡単に済ませると取り合えず出港。 |
荒れ方がひどいようなら再び千倉に入港する事を考えつつティラーを握っていた。 |
港から五六百メートル程離れた。雨を除けば海象は、それほど悪くもない |
メイン、続いてジェノアを展開。昨日と同様に佐藤とヘルムスを交代した。 |
9:00 GPSデーター入力 嘔吐 波、風、雨共に強 |
房総半島が霞んできた。雨脚が強まる。さらにそれにスプラッシュが加わった。 |
オイルスキンが予想以上に効果を発揮している。 |
波高は時折二メートルを越える。風速もブローで二十ノットを越えた。 |
艇は二十度程ヒールしたまま八ノット前後で荒れた海を疾駆している。 |
大島は影すらも見えない。船首方向に間違いなく横たわっているはずなのだが。 |
GPSは予想通りまだ健在だった。揺れるキャビンの内で大島の海図を開いた。 |
波浮の詳しいポジションを入力する。結構細かい作業である。 |
ブローで艇が大きく傾いた。床が濡れていた。バランスを失いバースに二度叩きつけられた。 |
睡眠不足、疲労、細かな艇内作業。 |
『危ない、船酔の前兆だ』キャビンをとびだした。冷たい風にさらされると吐き気がおさまった。 |
しかしつぎには寒さが襲ってきた。 |
オイルスキンの下のセーターを厚手の物に着替えるために再びキャビンに潜り込む。 |
また吐き気だ。スターンへと急ぐ。嘔吐。すっかり胃の内容物を吐き出すとスッキリした。 |
しかし寒さはおさまらない。三度キャビンへ。 |
今度は大丈夫だった。セーターを着替えた。ついでにポジションをメモリー。 |
昨日と同様に三人が交代でティラーを握っていた。私はヒールが強いのでバラストに徹することにした。 |
ライフラインから脚を投げ出した。うねりがマリンブーツを洗っていく。 |
ブロー!。ヒール四十度オーバー。声が挙がった。 |
房総半島が視界から消え去って暫くたっていた。だがいっこうに大島は姿を見せない。 |
眼前に広がるものは鈍色の海原だけだった。 |
時折本船の朧げな影がゆっくりと視界を横切った。 |
群れからはぐれた海鳥が近寄ってきた。小説の類ならばマストにその白い翼を休めるのだが.....。 |
・・・・・ |
「まだ、大島見えませんか?」鳥山が訊く。 |
「さっきから眼を凝らしているのだが・・・・・・見えない」 |
しかし西の空が明るくなってきたような気がする。まもなくだろう。たぶん。きっと。 |
12:00 大島が微かに見えてきた ホッ! |
雨が止んだ。オイルスキンのフードを取る。髪の毛から湯気が立っていた。煙草をくわえ一息つく。 |
「あれ、ちがいますか?」鳥山が指さした。五分前には何も見えなかった。 |
しかし確かにいまは、船首方向に三原山の頂が薄墨色に霞んでいた。 |
13:00 晴れてきた 海も穏やかに 気温上昇 |
大島が全貌を現した。海も凪いで波高は一メートル以下に落ちついた。 |
陽光が射し暖かくなってきた。上着を脱いだ。 |
GPSで現ポジションを調べた。艇は大島の中央部を目指していた。 |
波浮に入るには南下する必要があった。転舵。針路S。 |
先刻から空腹である。英の持ってきたチョコレートと佐藤が夕べ買った煎餅を胃に詰め込む。 |
『よく喰うな!』と言うような顔を三人がしている。 |
『そんな顔をするな、朝飯抜きと同じなんだから私は』 |
14:00 入港 散策 |
ジャイブを繰り返すこと数回。やっと大島の南端、波浮港入り口の龍王埼に着いた。 |
エンジン始動。五時間ぶりにティラーを握る。風に立てる。 |
「入港準備。ジェノア、ファーリング。メイン、ダウン。フェンダー降ろせ」 |
矢継ぎ早に命令を下す。三人が素早くデッキ作業を完了する。 |
それを確かめてエンジン回転数を千五百まで落とした。艇はゆっくりと波浮港へと向かった。 |
断崖に挟まれた狭水道を五百メートル北上、直径約三百メートル程、カルデラ湖の中央にたどり着いた。 |
(波浮港はカルデラ湖が外海につながった。または人為的につなげたという話をものの本で読んだ気が |
する。手元に詳しい資料が無いのでもしかしたら思い違いかも知れないが) |
十六フィートのモーターボートが二艇、港内を走っていた。四級船舶免許の講習艇だ。 |
それを避けながら係留適地を探した。 |
一苦労して民宿の看板を掲げたパワーボートの脇に出船もやいで係留した。 |
手間の掛かる出船もやいにした理由は風がなかった所為でもある。 |
しかしそこが漁船の係留場所で移動を余儀なくさせられることになった場合を考慮したからだ。 |
またこの係留法は乗船あるいは下船にも非常に都合がよい。 |
まず濡れた物を岸壁に広げた。次に電話連絡。そして改めて波浮港を見回す。 |
想像していたよりもだいぶ小さい。しかし水の透明度は申し分無い。 |
すでに我が町では失われてしまったものがまだここにあった。 |
左側の海面ではスキューバー・ダイビングをしている一団がいた。 |
おそらくCカードの講習だろう。それが充分行えるほど水が澄んでいるのだ。 |
島内探索。と言っても波浮港に沿って四人でブラブラしただけだが。 |
徒歩で行ける範囲には自ずから限りがある。 |
艇内スペースと予算に余裕があるならば折り畳み自転車を携行すべきだと思った。 |
集落と呼べるほどの規模ではないが時代を思わせる家並みが波浮漁協の後ろにあった。 |
公共施設らしきものも、商店と呼べるほどの店もなかった。 |
生活圏はカルデラ湖を囲む断崖の上にあるようだ。 |
※車は、なんと品川ナンバーだ。(後に小笠原に行ったがそこも品川ナンバーだった) |
15:30 入浴 |
簡易保険の保養所の看板を見つけた。佐藤が電話をした。風呂に入れる。土産ものもありそうだ。 |
山寺の参道のごとき道を登り始めた。電話では『十分程』だと言っていたがかなりの時間を要した。 |
『十分ではなく充分の間違いではないのか?』悪徳不動産屋の手口だこれは。 |
保養所は平日の所為もあろうが閑散としていた。が私達の用があるのは風呂だけだ。 |
宿泊客の有無には興味がない。 |
海を眺められる望洋風呂を思い浮かべていた。が見えたものは申し訳ないほどについた裏庭のみだっ |
た。もっとも海は飽きるほど見てきていた。 |
雨に撃たれ、潮に晒されたた身体には湯の暖かさ以外はどうでもいい事だ。 |
ちなみに風呂銭は三百十円であった。 |
風呂から上がり、土産物コーナーを覗く。くさやを数枚と絵葉書を購入。 |
17:00 夕食の支度&手紙 |
佐藤が飯を炊き始めた。私の出る幕はない。絵葉書を取り出して宛名を書き始めた。 |
鳥山を呼んだ。女房宛に書かせた。英も筆をとった。 |
18:00 夕食(帆立て丼、深川丼、中華丼、牛丼) |
三人は飲み始めた。私は空腹を満たす事が最優先だ。 |
三人にかまわずに先に飯にする。献立は英が用意したレトルト食品。 |
四名分、別々なものを持ってくるのが英の性格だった。 |
夕食を終え艇を降りた。鳥山が同行した。葉書を投函してからHYに電話をする。 |
「明日の天気はよさそうだが明後日は崩れる。」とのこと。 |
「場合によっては明日千倉に寄らずに勝浦を目指す。五時までに連絡が行かなかったら陸からサポートし |
てくれ、入港は夜半になるはずだから」と告げる。 |
海図の余白に四人でサイン。大島の夜が静かに更けていった。 |
消灯。 |
つづく |
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